![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/15/week7rx/65/ed/j/o1080072415392008274.jpg?caw=800)
令和5年(2023年)10月11日㈬
「秋の乗り放題パス」を使用する旅2日目のは岩国に来ました。
新山口から乗った上り山陽本線
3320M 新山口923発 岩国行き
は終点の岩国1122着
*この記事の続きです。
*秋の乗り放題パス 7,850円
全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席が乗り降り自由
発売期間:2023年9月16日(土)~2023年10月20日(金)
利用期間:2023年10月7日(土)~2023年10月22日(日)のうち連続する3日 ※10月20日(金)利用開始分まで発売 ※利用開始日を指定して購入
発売箇所:全国のJRの駅の「みどりの窓口」、指定席券売機、JRの旅行センター及び主な旅行会社
発売額:おとな 7,850円、こども 3,920円
利用開始日から3日間連続で有効。 (複数名での利用不可)。
全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席 気仙沼線BRT(「柳津~気仙沼」間)、大船渡線BRT(「気仙沼~盛」間)、JR九州バスの日田彦山線BRT(「添田~日田」間) JR西日本宮島フェリー(宮島訪問税[100円]の支払いが別途必要)、
*JR線へ通過利用する場合に限り利用可、青い森鉄道 青森~八戸、 IRいしかわ鉄道 金沢~津幡 あいの風とやま鉄道 高岡~富山
新幹線・特急・急行・グリーン車 、JRバス(日田彦山線BRT除く) は乗車不可、特例として、佐世保線早岐佐世保、宮崎空港線 宮崎~宮崎空港 、奥羽本線 新青森~青森、石勝線 新得~新夕張は、特急の普通車自由席に乗車可能
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/15/week7rx/24/83/j/o1080072415392008283.jpg?caw=800)
岩国駅構内通路にはこのような展示
1673年(延宝元年)に建造された錦帯橋は2023年(令和5年)で350年
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/15/week7rx/0c/46/j/o1080072415392008292.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/15/week7rx/df/55/j/o1080072415392008301.jpg?caw=800)
岩国を訪れる(下車)のは2年ぶり
2017年に橋上された駅舎
*2021年3月に下車した岩国
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/15/week7rx/60/74/j/o1080072415392008306.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/d2/ed/j/o1080072415392045643.jpg?caw=800)
錦帯橋を渡るのは「有料」、入橋券が必要です。
料金所にて購入
■セット券(※錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城) 970円
錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城を
個別に券を購入すれば通常1,140円 →970円に
錦帯橋入橋券(往復のみ) の料金は310円
12年前はケチって錦帯橋を目の前に見ながら渡りませんでした。あの頃はケチだった(笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/16/cf/j/o1080072415392045651.jpg?caw=800)
*錦帯橋で撮影した画像はコチラ
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/86/d9/j/o1080072415392045663.jpg?caw=800)
錦帯橋を渡ると吉香公園
吉香公園の読みは「きっこうこうえん」、恥ずかしながら「きっかこうえん」と思い込んでいました。
*吉香公園(きっこうこうえん)
山口県岩国市横山地区にある都市公園(総合公園)である。1885年(明治18年)に旧岩国藩主であった吉川家の氏神社である吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのを始まりとする。その後、1968年(昭和43年)4月18日に都市計画公園の総合公園の指定を受け、今に至る。 総合公園としての吉香公園には、前出の吉香神社の境内および付属地に加え、旧制岩国中学および後身の山口県立岩国高等学校が1968年(昭和43年)5月31日まで校舎として用いていた用地なども組み入れられた。都市計画公園としての吉香公園の区域には、紅葉谷公園や岩国城天守閣および天守閣が再建されている通称・城山の横山二丁目側の山麓一帯も、含まれている。 吉香公園自体は紅葉谷公園の部分を含めて、年中無休。入場も無料である。ただし、施設によっては休業(休館)日時や入場・利用料が設定されている(「岩国徴古館」(後述)や、岩国城との間を結ぶロープウェイ(岩国城ロープウェイ)など)。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/2e/4a/j/o1080072415392045671.jpg?caw=800)
錦帯橋の近くには松
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/0c/34/j/o1080072415392045677.jpg?caw=800)
「槍倒し松」の標記
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/23/d4/j/o1080072415392045682.jpg?caw=800)
説明板によると
槍倒し松
この松は、岩国武士の負けず嫌いをまけず表徴する有名な槍倒し松です。昔諸国の大名が他藩の城下を通るときは行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのですが、大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものです。岩国藩が六万石の小藩であるため岩国の武士達はこれを見て憤慨し、そこでかなり成長した横枝の張った松の木をわざと橋の頭に植え、大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ通ることができないようにしたものです。今では昭和十年(一九三五年)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移りましたが、元は河辺りにあって、ここの石段が坂道になっていましたから大名が槍を倒して坂を登るのを見て岩国武士達は溜飲を下げていたということです。昭和十九年(一九四四年)頃、この地方に発生した松食い虫によって、この松も昭和二十七年(一九五ニ年)八月残念ながら枯れてしまいました。この松は、初代の松の実から自生した直系の松を昭和四十三年(一九六八年)二月十五日三代目槍倒し松として吉香公園から移したものです。
樹齢 三百年 樹の高さ 十四・五メートル
幹の周囲 三・七メートル 樹冠の面積 三ニ三平方メートル
昭和二十九年一月 岩国保勝会
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/08/df/j/o1080072415392045686.jpg?caw=800)
吉香公園の入口に建つ吉川広嘉 像
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/8c/2f/j/o1080072415392045692.jpg?caw=800)
*吉川 広嘉(1621−1679)
江戸時代前期の周防国岩国領3代領主。、延宝元年(1673年)、同2年(1674年)と連年錦川に架橋工事を行い、現在の形の錦帯橋を架橋した。特に延宝2年の架橋工事は緻密を極め、橋は以後第二次世界大戦後にキジヤ台風で崩壊・流失するまで一度も流失しなかった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/c5/09/j/o1080072415392045697.jpg?caw=800)
山口県指定文化財 香川家長屋門:岩国藩の家老に列せられた5家の一つ、香川家の長屋門。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/a4/b7/j/o1080072415392045704.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/bc/60/j/o1080072415392045712.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/4c/df/j/o1080072415392045719.jpg?caw=800)
説明板から引用
香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から二百七十年余前香川正恒が建造したもので建築面積一二三、一四平方メートル江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料であります。 香川家は始め芸州(広島県)八木城主で吉川広家が岩国に移封され当時客分から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳大平記は正恒の父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したものであります。その他香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出しています。この長屋門は昭和三十年一月二十五日山口県指定文化財顕彰規定により指定されていましたがその後昭和四十年山口県文化財保護条例が制定され同四十一年六月十日山口県有形文化財の指定を受けました。 なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和三十年十月二十五日、岩国市に寄贈されております。
岩国市教育委員会
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240121/16/week7rx/ab/e0/j/o1080072415392045727.jpg?caw=800)
「鵜飼い」といえば岐阜の長良川を思い浮かべますが岩国の錦川でも鵜飼いをしてるとは知りませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240122/15/week7rx/b3/49/j/o1080072415392421153.jpg?caw=800)
吉香神社は岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社で現社殿は、享保十三年(一七ニ八)横山の白山神社内に造営され、明治十八年(一八八五)旧城跡の現在地に移築されたものです。鳥居、神門、拝殿及び幣殿、本殿が南から北に一直線に並んだ構成となっています。
神門は、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があり、拝殿は、入母屋造妻入りで背面に幣殿が張り出し、本殿は、三間社流造で正面に軒唐破風が付されています。
いずれも軸部から小屋組まで当初形式をよく保持しており。充実した細部を備えた丁寧なつくりとなっています。特に本殿と拝殿および幣殿は独特な形式で複雑な架構と屋根形式を巧みにまとめていて、独自性が認められます。
全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、全体的に岩国藩大工の質の高い技術が窺え、地方における江戸中期の優品として、高い価値が認められます。
神門は、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があり、拝殿は、入母屋造妻入りで背面に幣殿が張り出し、本殿は、三間社流造で正面に軒唐破風が付されています。
いずれも軸部から小屋組まで当初形式をよく保持しており。充実した細部を備えた丁寧なつくりとなっています。特に本殿と拝殿および幣殿は独特な形式で複雑な架構と屋根形式を巧みにまとめていて、独自性が認められます。
全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、全体的に岩国藩大工の質の高い技術が窺え、地方における江戸中期の優品として、高い価値が認められます。