令和5年(2023年)7月12 日㈬


北海道&東日本パスを使用する旅1日目は青い森鉄道とJR東日本大湊線の接続駅、野辺地に来ました。
雨の降る野辺地駅前

*この記事の続きです。


*北海道&東日本パス


JR北海道線、JR東日本線、青い森鉄道線、いわて銀河鉄道線及び北越急行線の普通列車(快速含む)普通車自由席及びJR東日本のBRTが乗り降り、新函館北斗~新青森間内相互発着の場合に限り、別に特定特急券購入により北海道新幹線の普通車の立席(空いてる席が)が利用可能


発売箇所 :JR北海道・JR東日本の主な駅の指定席券売機・みどりの窓口及び主な旅行会社


利用期間 【春季】2023年 3月 1日~2023年 4月22日 【夏季】2023年 7月 1日~2023年 9月30日 【冬季】2023年12月10日~2024年 1月10日 


 発売期間 【春季】2023年 2月20日~2023年 4月16日 【夏季】2023年 6月20日~2023年 9月24日  【冬季】2023年12月 1日~2024年 1月 4日 


雨の降る中、野辺地の町を歩きます。

二級河川の野辺地川を渡り
雨の影響か、流れる水は茶色

野辺地駅から歩くこと1.4km、野辺地町公民館、図書館、野辺地町歴史民俗資料館が立ち並ぶエリアに到着

目立たぬ場所にある「野辺地代官所跡」の石碑、ここは野辺地城跡


*野辺地城

青森県上北郡野辺地町字野辺地に所在した日本の城。別名・金鶏城(きんけいじょう)。城跡は「野辺地代官所跡」として野辺地川右岸沿いの同町中央公民館敷地内に位置し、「城内」の字名が残る。
野辺地城は中世の平山城で、天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には、「野辺地 山城 七戸 将監 持分」とあり、北方および西方に備えた要害屋敷として、慶長3年(1598年)の『城持支配帳』には「野辺地館 弐千石 藤の丸石井伊賀」とある。その後、小軽米氏、日戸氏が相次いで城代となり、享保20年(1735年)に、盛岡藩内に通制が敷かれた時、代官2名がおかれ、野辺地代官所となった(元々の建築年代は明らかではない)。 明治元年(1866年)の戊辰戦争の一局地戦として、弘前藩と盛岡藩が交戦した野辺地戦争では、盛岡藩兵側の拠点となった。 

wikipediaより引用
公的施設が立ち並ぶエリア、史跡らしきものはあまり見当たらず

野辺地町歴史民俗資料館に入館

入館料210円

野辺地町歴史民俗資料館にて購入

野辺地城の御城印


館内は一部撮影可能とのことなので

展示されている文化財を撮影

赤漆塗木鉢(国指定重要文化財)

縄文時代前期(約5千5百年前)の木製鉢

土偶(重要文化財)

縄文時代後期、(約3500年前)の土偶
二本足で立つ土偶

「ひとり立ちする土偶」(愛称:縄文くらら)

なんともユニークな形の土偶は一見の価値アリ
野辺地町歴史民俗資料館を出て
 4年前にも歩いた場所へ

昭和の雰囲気を残す野辺地町役場は健在、次第に雨は強くなり

*2019年7月18日、野辺地町を歩きました。


 


野辺地町役場の敷地内にある

登録有形文化財 旧野村家住宅離れ(行在所)

 6代 野村 治三郎(のむら じさぶろう[1]/ちさぶろう[2]、1828年(文政11年11月)[1] - 1900年(明治33年)9月8日[1])は、幕末から明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 経歴野辺地出身の豪商・政治家 6代 野村治三郎(1828−1900)の別邸。 1876年(明治9年)の明治天皇巡幸でこの別邸に御宿泊された。 現在の建物は、1890年(明治23年)の大火で焼失後に、同一設計で再建されたもの。

旧野村家住宅離れ は4年前にも見学しましたが
雨が強くなっきたので雨やどりを兼ねて見学
由緒ある建物で「雨宿り」、なんとも申し訳ない気分?

幸いか、私以外の見学者はいません。


このあとは野辺地町役場から400m先、C11が保存展示されている愛宕公園を訪れる予定でしたが雨が強いため断念、雨足が弱まるのを待って野辺地駅へ戻ります。
 
2019年7月、野辺地町の愛宕公園で撮影した

C11 210



かなり濡れましたが、野辺地駅に戻ってきました。

次に乗るのはJR東日本大湊線

他のJR線と接続しない「飛び地路線」