
3月21日㈫ 春分の日㈷
「令和5年3月下旬の旅」1日目は1デイスマイルチケットを使用し近江鉄道本線に乗車、水口城南に来ました。
米原1337発車 貴生川行き
は終点の水口城南1510着
この記事の続きです。
*1デイスマイルチケット
金曜・土曜・日曜・祝日利用可能。 近江鉄道全線1日乗り放題 (きっぷの呈示で沿線施設の割引が受けられる典付き)
発売金額 :おとな 900円 こども 450円
発売日 :金・土・日曜日および祝日に発売いたします。
発売駅 :〇終日(始発~終電)購入可能な駅 彦根駅、八日市駅、貴生川駅、近江八幡駅 〇時間帯により購入可能な駅 米原駅、彦根口駅、高宮駅、スクリーン駅、愛知川駅、日野駅、水口駅、水口城南駅、新八日市駅、平田駅
無人駅から乗車し無人駅で降車の場合は乗務員が発売

この日の滋賀県南部は雨、水口城南駅のある甲賀市
も雨が降っています。
傘を差しながら駅を出ます。これから向かう水口城跡は駅から4分
駅の裏手には木に覆われた土地がこれから向かう水口城跡と思い込み行くと

違っていました。緑に覆われた土地にある建物は水口図書館及び水口歴史民俗資料館

水口図書館

緑に覆われた土地は水口公園、水口城跡とは水口城南駅を挟んで反対側の位置にありました。

水口公園に隣接する水口神社
スマホの地図アプリを見ると水口神社から水口城跡は600m、どうやら逆方向に行ってしまったようです。
水口神社は慌ただしく参拝、御朱印は頂きませんでした。

雨の降る中歩き、ようやく水口城跡に到着
*水口城
江戸時代初め、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に従来の水口御殿に替えて築かせた。これが水口城(水口御茶屋)である。城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれた。しかし、この御殿が将軍の宿舎として使われたのは、この家光上洛の1回限りで、その後同城は、幕府の任命した城番が管理する「番城」となった。 天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した。それまで、幕府お抱えの宿館として城番をおいて管理していたが、水口城は同氏の居城となった。鳥居氏が一時藩主となったが、再び加藤氏が2万5千石で藩主となった。歴代水口藩は、同城を幕府から借りている城として大切に管理し、特に居城であるにもかかわらず、本丸部の御殿を使用しなかった(藩の行政諸々は二の丸で行った)。本丸御殿は家光上洛以後使われることなく正徳年間に解体。本丸は空き地のまま使用されることなく、明治維新を迎え、水口城は廃城となった。
水口城廃城後、城の建材は一部を残し、大半が公売に付された。石垣は出丸部分と乾御矢倉部分を残しほとんどが、当時近江鉄道の線路敷設に使用されたようである。本丸御殿は一部を残して撤去された。旧本丸は学校敷地となり、現水口高校の運動場として利用されている。 その後、水堀埋め立てなどの意見も出されたが、1972年(昭和47年)に将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定されたのを契機に保存整備への関心が高まった。そして、石垣の遺構が残る出丸跡(大手外枡形虎口部分)を整備修復し、廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築。水口城資料館として1991年(平成3年)11月に開館した。
wikipediaより引用

水口城歴史民俗資料館の前に来ました。