
令和5年(2023年)2月16日㈭
「令和5年2月の旅」2日目は香川県高松市の八栗ケーブルに乗り八栗山上に来ました。
八栗ケーブルは11年ぶりの乗車
EX高尾の「全国鉄道完乗ルール」、既乗、路線でも前回乗車から10年以上経過しなら「乗り直す」
今回は11年以上乗っていない志度線の「乗り直し」です
コチラの記事の続きです。
*11年前の2012年10月17日、八栗ケーブルに乗車、この日は雨でした。
平日の朝、八栗寺の参拝者はまばら
八栗ケーブルは15分間隔で運行しています。
ケーブルカーに乗ったならば往復で違う車両に乗りたい
八栗ケーブルの在籍車両は2両、930発の往路(上り)で乗車したのは赤い車体のコ−1形 1
帰路(下り)は青い車体の コ−1形 2 に乗りたい
30分後か1時間後の下りケーブルに乗ろう
八栗山上駅から八栗寺へは350m
このような参道を進みます。
11年前の秋、雨の降る中でこの道を歩いたのを思い出しました。
八栗寺境内へ
八栗寺(やくりじ)は、香川県高松市牟礼町牟礼字八栗にある真言宗大覚寺派の寺院。四国八十八箇所霊場の第八十五番札所。本尊は聖観音。
四国85番霊場とともに、歓喜天霊場として知られ、木食以空が東福門院から賜った伝・弘法大師作の歓喜天が祀られていて「八栗の聖天さん」と呼ばれる。 寺伝によれば空海(弘法大師)がここで虚空蔵求聞持法を修めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を中獄に埋め、岩盤に丈六の大日如来の像を刻んで山の鎮護とし五剣山と名づけ天長6年(829年)開基したという。 五剣山頂上は眺望が良く八つの国が見えたので、「八国寺」ともいわれた。唐から帰朝後、空海は再訪し唐に渡る前に入唐求法の前効を試みるため、植えておいた焼き栗八つがみな成長し繁殖しているのを見て八国寺を「八栗寺」に改めた。 天正の兵火で全焼したが、文禄年中(1593-96年)に無辺上人が本堂を再建した。さらに寛永19年(1642年)高松藩主松平頼重が現在の本堂を再建して、聖観音を本尊とし観自在院と称するようになる。なお棟札によると二天門と本堂は三代藩主松平頼豊が宝永6年(1709年)再建とあるが、宝永3年(1706年)五剣山のうち東峰が崩壊する大地震が影響していると思われる。
歓喜天堂の左にある納経所にて

再び八栗山上駅へ向かいます。
その途上に参道で見かけた座像。
木食以空上人像

木食以空上人像
八栗寺のHPによると
延宝四年(1676年)木食以空上人(もくじきいくうしょうにん)は、後水尾天皇の皇后である東福門院(徳川秀忠・江の娘)より賜った、歓喜天をお祀りする場所を探し四国行脚していました。厳しく神秘的な五剣山の山容を拝して、この山こそ「天尊勧請相応の霊地」と悟ります。そして、本堂横の岩窟が凡庸ではないことを見て意を深くし、延宝五年(1677年)にお堂を建てました。
天尊行者として名高かった木食以空上人が八栗寺に歓喜天を勧請し、寺の繁栄の礎を築かれたことをたたえて、昭和四十年(1965年)に建立された像で、姿は上人の自画像をもとにしています。ちなみに、肉類や五穀を食べず、木の実や草などを食して修行することを「木食」といいます。

八栗山上での滞在時間は30分、再びケーブルカーに乗車
八栗山上1000発 八栗登山口行き、乗客は私ひとり
ホームに停車中の車両は往路と同じ赤い車体のコ−1形 1
青い車体のコ−1形 2 ではありませんでした。
この前の発車、945発は往復とも乗客がいなかったのか、運休したようです。

八栗1050発 琴電志度行き
に乗車
600形2連 (←瓦町)630+629(琴電志度→)
この編成は名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)からの移籍車両、東山線旧250形
使用するきっぷは ことでん全線がフリー
1日フリーきっぷ 1,250円