
令和5年(2023年)2月16日㈭
「令和5年2月の旅」2日目は高松琴平電鉄の瓦町駅から
1日フリーきっぷ 1,250円
を使用し、志度線に乗車
瓦町829発 琴電志度行き
844着の八栗で下車
コチラの記事の続きです。

八栗で下車するのも11年ぶり
11年前と同じく1.5km先の八栗ケーブルの八栗登山口駅へ歩いて向かいます。
八栗ケーブルの八栗登山口への路線バス等は運行されていません。公共交通機関を利用しては訪れがたいケーブルカー
11年前は雨の降る中、1.5kmを歩きました。
*
2012年10月17日、八栗ケーブルに乗車、この日は雨でした。

八栗駅から徒歩数分、このような案内を記した石碑がありました。
「源兵衛合戦史跡」
このあたりは屋島の戦い(1185年)が行われた地
*屋島の戦い(やしまのたたかい)は、平安時代末期の元暦2年/寿永4年 2月19日(1185年3月22日)に讃岐国屋島(現・高松市)で行われた戦いである。治承・寿永の乱の戦いの一つ。

民家に囲まれた一角には石碑
これが総門?

解説板によると
寿永2年9月、平氏は安徳天皇を奉じて六万寺を行在所として (屋島檀の浦の行宮のできるまで)ここで門を構えて、海辺の防備に備えました。 総門はこの遺跡です。 後、檀の浦に行宮をうつしてからも、この門を南部の重鎮として大いに源氏軍を防ごうとしましたが、ついに源氏の占領するところとなりました。 当時この付近は海浜でした。 標木は高松藩主 松平頼重の建てたもの、碑は野津大将題、黒木欣堂撰書“夏草や”の碑は久保不如帰氏作。
高松市教育委員会
源平合戦、屋島の戦い、私には「偉そうに語る」知識はありません(泣)
11年前にはこのような史跡があったのには気づかず、雨の中で初めて訪れる八栗登山口へ向かうのに集中して見落としたのでしょう。
再訪したの今回はやや余裕?このように途中の史跡2気づくことができました。
同じ場所も再訪するの別の発見がある。

*八栗ケーブル
香川県高松市牟礼町牟礼の八栗登山口駅から八栗山上駅に至る四国ケーブルのケーブルカー路線である。八栗ケーブルと呼ばれているが正式な路線名はない。
四国八十八箇所第八十五番札所の五剣山八栗寺への参詣者で賑わう。毎月1日の縁日には早朝5時から運行される。
運行は毎日毎日 7:30 ~ 17:15
毎月1日は 5:00 ~ 17:15 ・
運行間隔は定期15分毎(毎時0・15・30・45分) ・多客時は随時運転
距離∶0.7 km
軌間∶1435mm
高低差∶167 m
最急勾配∶277‰
所要時間∶4分
毎日 7:30 ~ 17:15 毎月1日 5:00 ~ 17:15 ・定期15分毎(毎時0・15・30・45分) ・多客時は随時運転
1964年の再開業の際に日立製作所で新製した車両を現在も使用している。形式はコ-1形で、1・2の2両が在籍する。前面は丸みをおびたボンネット形の形状で、側面は3扉、折り戸となっている。車両の愛称は付けられていない。車両塗装は車体側面が白色、車体下部が灰色、前面は1が赤色、2が青色である。現在の塗装は2016年の全般検査時に変更されたもので、それ以前は車体側面と下部の色は同じだが、前面の色が異なっていて、1がオレンジ色、2が緑色となっていた。なお、再開業当初は同年に開業した東海道新幹線にあやかり、1・2ともにアイボリー地にブルーのラインという塗装だった。
wikipediaより引用