
令和4年(2022年)12月23日㈮
「令和4年12月の旅」は新今宮から
宿泊した新今宮駅前のホテル中央クラウンの部屋から見た景色、右を見ると
新今宮駅に到着する大阪環状線、その奥には星野リゾートの高級観光ホテル、OMO7大阪が見えます

左に目を向けると阪堺電気軌道の新今宮駅前
阪堺電車は半年前に乗りました。
*2022年7月、阪堺電車全線に乗車

8:30過ぎにホテル中央クラウンをチェックアウト
画像はホテル中央クラウンの外観、左奥には通天閣が見えます。

阪堺電車の新今宮駅前、今回は乗りません。

JR新今宮駅のガードを潜り


新世界へ、まだ人通りは少ない

この時間帯は営業開始前の飲食店が多い
朝から営業しているマクドナルド通天閣前店にて

朝マックです。
残念ながら客層はイマイチ、朝から商品の提供が遅い!と店員に怒鳴っているオッサンもいました。
個人的に安い店で店員に怒るのはカッコ悪いと思うのですが
まぁここは大阪

通天閣の前を通り過ぎ

新世界から800m程、安居神社へ
安居神社の西側入口、なかなか生活感が溢れる参道
*安居神社(やすいじんじゃ)
大阪市天王寺区にある神社。旧社格は村社。安居天満宮、安井神社ともいう。
創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息(安井)をとったためにその名がついたという伝承がある。また、四天王寺の僧が当社で夏安居を行っていたので安居となったともいう。 慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の時、当社で真田信繁が討死している。
神職は常住していない。参拝は7:00 - 16:00の間可能となっており、時間外は門が閉鎖されて境内に立ち入ることが出来ない。




真田幸村公之像と真田幸村戦死跡之碑

大阪の夏の陣(1615)における天王寺口の合戦に敗れた真田信繁坂は四天王寺近くの安居神社(大阪市天王寺区)の境内で木にもたれて傷つき疲れた身体を休ませていたところを、越前松平家鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「この首を手柄にされよ」との最後の言葉を残して討ち取られた。享年49。
wikipediaより引用

安居神社拝殿

残念ながら御朱印は頂けませんでした。

安居神社への入口は3箇所、逢坂(国道25号線)に面する南側入口を出て

安居神社から逢坂を上り400m、四天王寺へ、
2日連続の参拝
画像の四天王寺の入口、重要文化財の四天王石鳥居のすぐ脇は四天王寺中学校・高等学校、女子校です。
前日に訪れた時はちょうど朝の通学時間帯、多くの生徒が登校中、このような時に撮影していると通報されそうなので。石鳥居の撮影は控えました。
再訪しな今回の時刻は9時過ぎ、登校時間は過ぎているので、安心して?鳥居を撮影しました。
*前日にも訪れた四天王寺

境内のの納経所にて


直書きの御朱印を頂きました。

四天王寺を後にして天王寺駅方面へ向かいます。
その途上に位置する堀越神社を参拝
*堀越神社
大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。旧社格は村社
聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。かつて創建当初から明治時代中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したことが社名の由来だとされている。古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。 明治時代になると村社に列せられている。 境内にある熊野第一王子之宮は、もとは熊野九十九王子の第一王子・窪津王子である。 現在は交通量の多い谷町筋に面しているが、境内は樹齢数百年に及ぶ樹木をはじめ緑が多く、閑静な境内を構成している。
wikipediaより引用
