仏のこころ・・・
<写真クリックで拡大>
『照り輝く金色』
新暦11月にこの場所で行われる祭りは
この地で最大級。
全国から僧侶、尼僧が集まってくる。
一般のひとだって。
アジアには宗教の信仰が強い国が多い。
愛国心だって同じ。
人々の生活をこの目で見てみると感じる。
それらが各個人のこころの拠りどころになるのだろう。
そのこころが窮地に立たされたとき、気持ちを強くするのだろうと。
個人では宗教。
国では愛国心。
Nipponはどうだろう。
こころの拠りどころは・・・。
きっと違うところにあるような。
自分は純粋に無宗教だし・・・。
『愛国心はありますか?』
そんなとき、
『あることはあります。』
こう答えちゃうかな。
これが多くのひとの答えなのかなぁとも思う。
自分の家族が歴史と強い絆をもっていないし。
あったってなくたって変わらないのでは。
と冷淡な考えを持ってしまう。
いまの島国に生きているのだから。
紛争のないいまの国に生きているのだから。
豊かさがそうしたのかとも思う。
自分が日々生きるためのこころの向く先は、
閉じられたNipponの社会にあるのだから。
個人個人の心の拠りどころはいま・・・。
会社、学校、家族。
きっと、その中にいる。
そんなとき自分ひとりが窮地に立たされたら・・・。
豊かさと自殺大国。
仏教と貧しいけど物乞いのいない国。
ひと気がなくのんびり過ごせる場所。
こんな場所でそんなことを考えた。
ラオス ビエンチャンにて
レンタルバイクで・・・
十数件回った末、
ある宿に一部屋空きがあった。
私はそのドイツ人2人にその宿を譲ろうと考えていた。
フロントから詳細の情報を聞くまでは・・・。
しかし、話を聞いたところ、
その部屋は3人部屋であるとのこと。
UDOが私に尋ねた。
『キミはどうする?』
私は決めた。
これも何かの縁だ。
泊まってみっかな。
ワールドカップ開催の地から来た2人と泊まることを決めた。
私達は3つのベッドとユニットバスがあるだけの
だだっ広い部屋に泊まった。
『トヨタ、ホンダは日本ではどう発音するのか?』
『日本での仕事は楽しいか?』
そんな話を交わし・・・。
次の日の朝、
私達は別れた。
部屋代1$を渡し。
レンタルバイクで一日この地を観光し、
ルアンパパ-ンへ行きベトナムに入るという。
一期一会。
ラオス ビエンチャンにて
やどNAKAMA・・・
『今晩は見つからないかな。。。』
そんなこと今までなかったのに。
ある日の夜、どこを探しても宿に空きがなかった。
探した宿の数、十数件。
と諦めかけたところ、
ひとつの宿、ひとつの部屋の空きが見つかった。
しかし・・・。
私はそのとき、
ドイツ人の2人と宿探しをしていた。
タイからこの国に同じタイミングで入り、
国境から市街地まで同じ荷台タクシーに乗ってきたのである。
そこで一言二言会話を交わし市街地に到着した。
その間、30~40分。
タクシーが停車したとき、
ドイツ人の一人がドライバーに今いる場所を尋ねたところ、
話が通じない。
そこで、ドイツのガイドブックと日本から持ち込んだガイドブックの
地図のページをとっかえひっかえ
ドライバーに見せる。
あちらが持っていたペンライトで照らしてもらいながら・・・。
どうやら旅の経験値はあちらが上であった(笑)。
しかし、通じない。
今いる場所がわからない。
どうやら地図も読めないようだ。
読めないというのは、
単に地図に書かれた言葉(英語、日本語の地名、ストリート名)が
わからなかったことを意味してるのかもしれない。
近くのホテルの人に聞きながら
そんなこんなで、
あるところで私達3人はくるまから降り、
一緒に宿探しが始まったのである。
写真はその一人。その名は『UDO』。
~続く
紹介された宿のほうが・・・
ある日の宿。
ここはその四日前に泊まった宿のお母さんに紹介された。
この地からカンボジアへ行き、
日本へ帰るため戻ってきた。
『また来るね』
と言い残し、ここへ戻ってきた。
そして同じ宿へ向かった。
PM8:00過ぎに到着。
『部屋は空いてる?』
と聞くと、
それよりもチェックインを締め切ってしまったとのこと。
本当のところはわからないが・・・。
しようがないからと言って、
5軒隣の知り合いの宿を紹介してくれた。
部屋の広さといい、テレビの場所といい前の宿より良かった。
テレビの言葉はわからないが、
なぜか、テレビがほしい自分・・・。
ありがとう。おかあちゃん。
ベトナム ホーチミンシティにて