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WEBマーケティング屋のブログ

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などを中心にWEB担当者、中小企業様でWEBを活用したい
経営者、担当者の方々に向けて情報を発信していきたいと思います。

 

 

 

 

 

たまきちゃんを救う会、無事に活動完了という事になりました。

 

2年前にたまたま見つけた記事で、お父さんの竜馬君を20年ぶりに知るきっかけとなり、その後のやり取り、周りの方々も高校時代の知り合いが中心となって全力で支援、告知を進めてきた活動で失礼ながら、当時サッカー部の竜馬君とは見違える人間力の素晴らしさ、というか

「運命を呪いたい時期もありましたが、たまちゃんとみんなが元気づけてくれました」と。

 

当時、入院していて、仕事もお金も何もかもが落ちていた自分も竜馬君のメッセージにいつも助けてもらいました。

 

過程を見ている中で全くの損得無しにみんなが純粋に応援し活動していこうというのが、一緒に高校時代を過ごしたメンバー、もちろん他様々に支援をしてくれた方も含め、たまきちゃんにたくさんのきっかけを頂きました。

 

この場を借りて本ブログ上で寄付を頂いた方にも感謝申し上げます。

下記は多くの人たちの願いや希望が託されている様子が分かる本です。

 

 

なお、余剰金(1億5千万以上)は、小児の患者さまの渡航移植を実現するために現在募金活動を行っている3団体に寄付されています。

 

 

おうちゃんを救う会


https://www.genki-o-chan.com/


しょうへいくんを救う会
https://www.saveshohei.com/


りくくんを救う会
http://riku-kun.com

 

 

 

 

 

2018思風会全国大会では覚醒の時代 ~日本の覚醒・日本人の覚醒~
をテーマに開催、受講生の方々から各人のテーマに沿ったプレゼンを頂きました。

 

 

池川先生「お産の覚醒」

 


土橋優子さん「幼児教育の覚醒」

 


松前兼一さん「歴史の覚醒」

 


田嶋久登志さん「食の覚醒」

 


谷亜由未さん「ママの覚醒」

 


山田千鶴子さん「教育の覚醒」

 


阿久津一一さん「国民の覚醒」

 


生田サリーさん「女性の覚醒」

 


原田未緒さん「夫婦の覚醒」

 


金城正昭さん「若者の覚醒」

 


山田浩之さん「地方の覚醒」

 


北澤修さん「家族の覚醒」

 


新井和弘さん「経済の覚醒」

 

覚醒の時代 ~日本の覚醒・日本人の覚醒~

をテーマに今回第6回の思風会全国大会の開催


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思風先生の講演から

理性に生きる時代から感性で感じて生きる時代へ

 

 

 

 

 

行徳哲男先生と思風先生の対談

行徳哲男先生と思風先生の対談から
行徳先生が一冊の本がきっかけになり、思風先生との出会いが始まった経緯、行徳先生が感性の大切さを思風先生から教えて頂いた事などを語って頂きました。

 

 

 


第2部では、子育て塾の方々もお集まり頂き、皆さんで行徳先生と写真撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創立一周年となりますpremea(PRENATAL MEMORY EDUCATION ASSOCIATION)

おかげさまで、創立前から携わらせて頂きまして、早一周年で、11月18日(日)白金台「八芳園」にて創立一周年記念大会&パーティ、池川先生の基調講演:「胎内記憶教育の未来」

第1期の頃から、学びに来られる方の意欲、意識が高く胎内記憶を広めるという志命を受講前から持っている方が多く、場のエネルギーを感じます。

池川先生から教えてもらったのは、日本国内で胎内記憶を広げるに約10年、最初は変な人、替わった人、オカルトと言われていたのが、徐々に広まるまでに時間が掛かったが、今後1人で広げていくには限界があり、賛同頂いた皆さんが各地で少しでも広げて欲しいとの想いからスタートし、2:6:2の法則で

2割:信じてくれる

6割:どっちつかず

2割:反対

だいたい割合は当てはまっていて、上の6割のうちの1割でも上位2割に入ってくれれば広がりが一気に広がるとの事で、その1割の方向けに対して話をする様に心がけているとの事で、分かりやすく、実績、学術的な話も含めて話をする様にしているとの事で

これからは世界に向けて!との想いで活動されています。

全国展開も12月の佐賀からスタートが決まり

先生も来年からは北欧?での活動が活発になりそうな・?そんな話をちょくちょくお伺いしております。

 

 

 

11/10(土曜)開催の全国大会

 

いろんなご縁を頂いて当日ちょっと運営携わらせていただく予定です。

音楽アリスポーツありとこれからの若い世代を考えると、確かにこういう企画をどんどん取り入れていくのはいいな!とお寺でスポーツとか素敵すぎて。

 

 

テーマは「仏教×SDGs」
「SDGs(エス・ディー・ジーズ)」とは〈Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標〉の略語で、2015年に国連サミットにて採択された行動計画です。2030年までに国際社会が取り組み、貧困や格差をなくし持続可能な社会を実現するため、「誰一人取り残さない」ことを理念として具体的に17の分野の目標が提示されました。この「誰一人取り残さない」というSDGsの理念は仏教ととても親和性の高いものです。とくに仏教の未来を担う青年僧侶は真剣に考えていかねばならない問題です。

 

 

 

若いとひとくくりにしてはいけないのですが、これからの世代に伝えていくという視点で考えると


若い世代が頑張らないから、勉強しないからいけないのか?

お偉い方々が目線を同じくして、伝え方を変えれば普及するのか?
その前に興味を持つ!というところに行き着くまでには何があればいいのか?

などなどありますが、

 

面白かったのは円覚寺、横田館長の説法にて

「夜中、子供がお寺に来てウロウロして何かを探してるんだけど、どうしたのかな?と思って聞いてみたらポケモンgoというのをやっていると。その後その子の親から感謝の言葉があり、引きこもりの子が外に出るきっかけが出来ました。」

 

そんな事を仰っていて、なるほどな~と。お寺を知る、お寺に来るというきっかけもそんな視点もあるんだなと。

一昔前なら音楽はまだしもお寺でスポーツは考えられない時代だったと思いますが、知る、響くきっかけがどこにあるか分からないからこそ、今回の様な取り組みはこれからにとって大切な事ではないかと。思います。

 

 

 

 

 

 

 

釈正輪老師講和会11月予定についてですが

11月14日(水)、11月17日(土)にて開催します。

確定ではないですが、武術、和法、茶道体験会も開催予定です。

 

釈正輪 釈正輪

 


 

最近ちらほらと「釈先生って誰ですか?どんな人?」
「山本さんが何で関わってるの」
と聞かれる様になりまして


現在、超細かい経歴や回顧録などをまとめております。

とはいっても
難しい話になるので、興味ありそうな箇所をピックアップし紹介したいと思います。

・著名人の方から
・マザーテレサとの出会い
・私自身の出会い


 

・著名人の方から

デヴィ夫人ブログ

このご本は悩みを持つ人に 光明を与え、 悲しんでいる人に 慰めを与え、苦しんでいる人に 悟りを下さるような ご本だと 信じています。

 

お父さんがやくざでお母さんは水商売。人が殺される瞬間を目の前で見た少年時代。刑事とやくざが学校にまでやってきます。同級生からも先生からも無視され続けました。
遂にお父さんは刑務所に。そしてお父さんの敵方ヤクザに狙われます。自衛のためにやくざ相手に喧嘩の毎日。
このような日々から救い出してくれたのが臨済宗の名僧でした。
初めて自分を認めてくれる友人達との出会い。そして教師の道に進みますが、今度はお父さんの残した膨大な借金のため商売の道に転進。
再び仏教の道に戻り、千日回峰行を成就。
千日回峰行を達成した人は大阿闍梨の称号を得ますが、宗門へのこだわりのため称号は得られず。

実際には上記に書けない様なもっと壮絶な経験もされていらっしゃるのですが、素晴らしいなと思うのは、ブッダ(お釈迦様)は35から80で亡くなるまでの間、当時文字が無い時代に歩いて歩いて対話を通じて説法を行うのをずっと行ってきた。その本来の姿というのが仏の道を志す人間に求められているのではないかという事で、なくなられた方の供養もされますが中心は今、生きて悩みを抱えている方への対話、説法という事で講和会を中心に活動を数十年されています。宗派にとらわれずに講和会を続けている根底にマザーテレサとの出会いがあります。

 

 


マザー・テレサとの出会いと教え

マザー・テレサ 1
師匠を失った私は彷徨(さまよ)いはじめた。
あるとき私は、衣を着て、綱代笠をかぶり、托鉢をする姿のまま、カルカッタの空港に降り立った。私には会いたい人がいた。そして、その方の居る場所を目指した。
カルカッタの郊外にその場所はあった。当時はあばら家のような粗末な場所だった。
「死を待つ人々の家」と呼ばれるその場所は、マザー・テレサが開設したホスピスだ。私は以前、マザー・テレサが来日した折に、彼女の講演を聞いていた。


マザー・テレサ 2
誰も孤独な人間を作らない」というマザー・テレサの言葉は私に大きな感銘をあたえていた。
実際に会えるかどうかわからないまま、私は門をたいた。最初に訪れたその日、マザー・テレサは隣町に行って留守だった。翌朝、訪れた時も会えなかった。昼に訪れた時も会えなかった。3日目も会えなかった。会うことを拒否しているのではないことは、対応してくれたシスターの言葉でわかった。いずれタイミングがあれば会えるであろうという希望を持って、翌日もその場所を訪れ、施設の近くにあった木の陰に立ちつくしたまま、ずっと待っていた。


マザー・テレサ 3
その日、一人の杖をついた老人が「死を待つ人々の家」の前に立った。その老人はみすぼらしい身なりをし、体もやせ細っていた。曲がった腰で、両手を前に差し出すと、門の前で座り込んだ。一人のシスターが駆け寄り、コップに入れた水を差しだす。老人は手でコップを払いのけた。またシスターはコップの水を渡そうとしたが老人はコップを拒否し、両手を差し出して、そこに水を入れるように言った。シスターは老人の汚れた手を水で洗い、その手に水を注いだ。老人は両手に注がれた水をこぼしながら口に運び、一口含むと、崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。


マザー・テレサ 4
中からもう一人シスターが出てきて老人を助け起こすと、ふたたびコップで水を飲まそうとした。老人は頑なにコップから水を飲むことを拒んだ。それでもシスターたちは老人に水を飲まそうとした。小一時間もの間、水を飲ませようとするシスターたちと、それを拒否する老人のやり取りがあった。あきらかに老人は力尽きようとしていた。最後に、シスターはコップから水を飲ませることをあきらめ、布に水を吸わせて老人の口に運んだ。
老人は濡れた布から水を吸った。そして安堵の表情を浮かべ、涙を流し、何か言葉を口にして、事切れた。施設の中から、また何人かのシスターが出てきて、老人の遺体を部屋に運び込んだ。そのすべてを、私は少し離れたところで見ていた。


マザー・テレサ 5
私が呆然とその場で立ちすくんでいると、施設の中から小柄なシスターが出てきて手招きした。私は周囲を見渡し、私が呼ばれていることに気がついた。そばに近づくと、手招きしたシスターはマザー・テレサ本人だった。マザーは、私がここに来たことを最初の日から聞いていたと言い、「日本のお坊さんでしょう?」と尋ねた。私は合掌してから、「はい、そうです」とうなずいた。マザーは私の手を取った。そして私の腰に手をかけ、部屋に招き入れた。
マザーが作った「死を待つ人々の家」は、路上で死にそうになっている人たちを連れてきて、最期を看取るための施設だ。ヒンドゥ教徒の国で、カトリック修道女が良く思われるはずもなく、当初は地元の強い反発があったと聞く。死にゆく人たちへの奉仕を無駄なことと考える人たちもいた。しかしマザーは、最期の一瞬でも人が大切に扱われることの必要性を説いた。

マザー・テレサ 6
マザー・テレサは言う。
「見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。」


私が見た先ほどの男性も自分の死期を悟り、ここへ来た。彼は異教徒からの施しをいさぎよしとせずにコップの水を拒んだが、最期にシスターらの優しさに触れ、感謝の言葉を述べた。そして来世では人のために尽くしたいと語ったという。老人と見えたが、実際は四十代だったそうだ。インドには彼のような恵まれない人々が多くいて、マザー・テレサは彼らの為に一生をささげた。
私は来訪の目的を、自分が師匠を失いどのように生きたらよいか迷っていて、ここに来ればなにかわかるのではないかと思ったと告げた。マザー・テレサの言葉はこうだった。
「あなたが日本という素晴らしい国に生まれ、男性であり、いま僧侶であるという事実は変えようのないことでしょう。ならば、その運命を受け入れ、出来ることを坦々としなさい
ミルクティーを頂きながら話した時間は二十分程度であったろう。しかしこの出会いは、私に大きな覚醒をもたらした。それ以来、私は宗派にこだわらずに自分の道を行こうと心に決めた。

以上が釈老師とマザーテレサとの出会いと教えになりまして

宗派をこだわらずに活動を決めたきっかけがあったとの事です。

 

 


・私自身の出会い

お会いするきっかけは

武士道経営塾で講師として来られていたのがきっかけで
個人的に歴史は興味があったので、その後講和会に定期的に参加していただけの受講生でしたが
昨年の夏の暑い日に
たまたま呼ばれて話をする機会があり、
そこでこれからあなたが中心となり、若い方、これからの人たちに向けて
少しでも自分の経験談やつながりが役立つ様にと!の激励を頂き
主催者として代表として関わらせて頂く事になりました。

そこには私自身に対してのこれからの世代として頑張れ!のメッセージも隠されているのだと!感じており
単なるお手伝いではなく、山本さん自身が考えやりたい方向を示して私がお手伝いすると
有難いお言葉を頂きながら、自分は日々PC前でヒーヒーしながら夜な夜なこのブログを書いているという感じです。


釈先生のお話の中では死についてを深く考えさせられる話が多く、そして壮絶すぎる先生の体験談を基に話をしてくれるのでその話だけでも興味深く聞けるかもしれません。

講和会では歴史、仏教、宗教、その他もろもろと様々な分野について先生の話を聞きながら

生き方、あり方
がこれからの人生、これからの時代に求められている所だと感じており

高度成長時代は、努力さえしていれば来年給料が上がる、将来は一軒家を建てる
という何と無くの漠然とした、でも共通認識の様な目標があったと思いますが
それが今の時代はほぼ壊れてしまい、、
どこを目標に、終着地点に、が見えない状態になった。

それを自ら決めれる人はいいのですが
大抵は迷う、モデルを探す(書籍、セミナーなど)、諦める(流れに任せる)
のが実際の所殆どではないかと思います。

 

正直、自分自身も
生き方を求めるというより
神、存在、時間など
父親からの影響が大きく
実存系の哲学をかじって
サルトルやウィトゲンシュタイン、ドストエフスキー、あと安部公房など
ニヒリズムのスーパースターの様な方を好んで読みながら
吉田松陰、ゲバラにも惹かれる所もあり

自分には無いものを持っている人に憧れを頂いていたんだと思います。


特に哲学系は、理論から入るケースと誰?という人から入るケースがあるんだと思いますが
理論から入ると全然分かりません状態なので
極端な事を言う人に興味を持って、非日常の世界に憧れを持つみたいな。

そんな感じでした(笑)

 

今思うと世の中がドストエフスキーの地下室の手記で書かれている世界になりつつあるなと。
(自意識過剰で社会不適合者のいい歳したおっさんが地下室に引きこもって、誰かに読んでもらうことを前提としてない手記を愚痴愚

当時、映画もTVも無い時代に、唯一極端で狂乱の非日常の世界が小説のみに与えられた特権だったのかなと思うと
文字での表現は自由だ!と。ようそこまでマイナスな事が書けるなと思ったりもしますが。。

 


改めて生き方、在り方が求められるという点においては
人間そんなに強い訳ではないと思うので、何かしらの指針を求めている。

それが昔は、有名な会社に入って。資格を取って。公務員になって。安定した生活が送れて
というモデルが崩れ
親も先生も示すのが出来にくくなりつつある。

となると自分で探すしかなくなり

何を基準に探せばいいかが分からない

そこをチャンスと捉えれば
自分らしい生き方が出来る次代になってきた
という視点で見る事が出来ると思います。

 

釈先生も当時40歳前後の頃、

自殺寸前までいった自身の体験から知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

 

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。

自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

釈迦の悟りの境地は「今を生きる」。世は無常なのだから、取り返せない過去にも、分からない未来にも縛られず、今を誠実に生きる。今に集中していれば、魔が差すことはない。

 

 

乗り越えただけではなく、乗り越えたからこそ語れる内容なんだと思います。
釈先生の講和会では、
歴史的な経緯を基に、これからの時代に求められる人物像、考え方

※大局の視点から見て、大いなる目標を持つ


岸先生の帝王学では

※自分自身を徹底して見つめて、ぶれない本当にやりたい事を明確化する

ですが、岸先生も当時学びを一緒にしていた方の自殺があり、その方の為にも今の活動をされていると。そこがすごく心に響いて、さらにお金の問題で人間不信にもなりと壮絶な経験をされてそれを乗り越えたからこそ、知識だけではない経験にも基づいた帝王学なんだと思います。


感性論哲学では

※具体的に興味関心好奇心、そして5つの視点から自分自身のこれから何をしたいかを問い直す。


そんな勉強する環境に恵まれている自分がいつも不思議で、大してそこまで大いなる夢や人間力がある自分ではないのですが。。周りの方々と環境に恵まれている根底には、父親の会社がダメになった時の家族の地獄の辛さや前職の会社での休眠状態になるまでの葛藤する日々とその後のジプシー生活での経験など、上記の先生と比べれば鼻くそみたいな小さい悩みだと思いますが、家族が壊れるってこういう感じなんだなとか、人が裏切る、裏切られる経験、そこで自分だけではなく何とかしようという想いだけがあって、何とか周りに生かされた事とその後損得での付き合いをしないというのが唯一誇れる所かな?と。

 

またこのタイミングで出会いの機会と学びの機会を得た事で自分自身のこれからを明確に明文化したいと思うところで

各先生の教えに共通しているのは
日本の文化伝統は素晴らしい、そして大和魂なる
心の部分も素晴らしいという事とこれからの時代の中心は日本、日本人であるという事。

 

 

歴史的に見て独裁支配が当たり前の時代から
多種多様な文化、人種、考えと交通の便から仕事での交流、移民等々がある中で
受け入れる文化を持っていた日本人だからこそ、これからの時代に求められていると思います。

実際に海外でも親日なインドネシア、ペリリュー島のパラオなども
統治であっても教育を行い、学校を作り、現地の方の識字率が上がったなどなど
海外に誇れる人間性があったのが日本人。


そういう背景がある日本だというのを日本人自身がまず知る事が第1のスタートではないかと想い
日本を知る!をテーマに最初は開催させて頂いております。

また、受け入れるという所は釈先生の講義でも
何教に縛られる事無く、キリスト教、イスラム教、仏教と
それぞれ言い悪いの批評も無く、それぞれがどんな経緯を辿ってきたのか
どこに素晴らしさがあるのかを教えてくれますし、実際に
それを体験されてきたからこそ言える事があると思うので
興味深く釈先生の話を聞いています。

 

今週末になります 第6回思風会全国大会2018in東京

テーマ 覚醒の時代 ~日本の覚醒・日本人の覚醒~
実施日時 2018年10月27日(土)
〈第一部〉13:15~17:25 ※受付12:45~
〈第二部〉17:45~19:45

実施会場 京王プラザホテル 東京都新宿区西新宿2-2-1
第一部:本館5F コンコード/第二部:本館4F 花
参加費 第一部のみ ¥6,000/第一部+第二部 ¥12,000
登壇者 ・芳村思風先生
・行徳哲男先生(スペシャルゲスト)
・思風塾生 15名
・司会:生田サリー
主催 思風会
主幹 東京思風塾

 

思風先生とのご縁をいただいてから約5年

 

感性論哲学以上に、思風先生のお人柄、生きる姿勢(有限実行)に魅了される事が多く
心打たれるのは、素晴らしい理論以上にその方の生き様の部分ではないかと改めて感じる所です。

 

なおかつ、76歳というのは私よりも40程上の方が精力的に活動されているという事自体が素晴らしいのですが
いつも謙虚な姿勢で横柄な態度を一度も見たことがなく、
先生の仰る事をなかなか実行できなくても
「それが人間や。人間くさくてええやないか!」と励ましの言葉を頂き!

 

あまり公に出来ないのですが
ご家庭の中で物凄い苦労を重ねられている中で、その苦労が感性論哲学を創ってくれたと!

そんな姿勢の部分が素晴らしく。

そしてぶれない所も素晴らしく。
当時(昭和50年代)にまだまだ心の部分が着目されていない頃から感性を唱えていた事、
やっと時代がそういう視点になりかけているものの、全然注目されていない頃から続けられていた事。

 

また強制もしないこと。


感性論哲学のすべてを学ぶ必要はありません。
自分にとって必要なところを取り入れて、実践してください。
感性論哲学以外のことも学んでください。
大切なことは、実践することです。
体験を通してしか真実はわかりません。

そんな感じです。

 

 


たまに、聞かれる事に
「哲学は必要か?」
そこは、会社に例えると経営哲学や経営理念が必要だと言う方は多いと思います。

 

なぜ人間は、科学と哲学という学問を創造したのでしょうか。
それは、理性という能力を持つようになった命である人間にしか湧いてこない欲求が2つあるからです。
第1は、「もっとよく知りたい」という認識欲であり、
この欲求を満たすために生まれたのが「真理を追究する」科学

第2は、「もっと幸せになりたい」という幸福欲であり、
この欲求を満たすために生まれたのが「真実を追究する」哲学です。
なぜ、哲学が必要なのかというと、人間は、事実を知っただけでは生きられないからです。

 

 

人間が生きるということは、多くある事実や存在の中から、

何かを選び取り、何を捨てるかという価値判断と決断をすることです。
そしてこの価値判断と決断によって、その後の人生が決まります。
その事実が自分にとって、どういう意味や価値を持つのかを考えないと選択ができません。
だから、物事の意味や価値について考える哲学が、人間には必要なのです。

人間が今よりもっと幸せになるためには、

未来に理想や夢や希望を掲げて、志を持って生きなければいけません。
動物は与えられた現実にどう対応し、適応するかという生き方しかできません。

 


人間と動物の生き方の違いは、

人間は、与えられた現実をどう素晴しいものに変えていくかという生き方をするところにあります。

夢や理想は、物ごとのより素晴しい意味や価値を考えることによって生まれます。
夢や理想を持って人間にふさわしい生き方をするためには、哲学が必要なのです。

 


私たちが現実的に今より幸せになるためには、今より素晴しい社会を作らなければいけません。
社会が良くなっただけでは、人間性は成長しません。

人間が内面的にも成長して幸せになるためには、今より素晴しい生き方を探求する必要があります。
自信を持って人生を生きていくためには、物事の根拠や理由を明確に自覚し、知る必要があります。

哲学は、物ごとの意味や価値について考え、どちらを選び取ることが、
自分にとって幸せであるかを判断する根拠を与えてくれるものです。

 

自信は、根拠と体験から生まれるのです。

経営者は、現実の問題に対処するだけでなく、
5年後、10年後こうなりたいという自社や、
働く人の未来像を明確に持ち、
その為に今何をしなければいけないかを情熱をもって、
熱く語れなければいけません

未来を予想するのではなく、将来のあるべき姿、夢や理想を明確にもつことが大切なのです。私たちも一人ひとりが、今やっていることの意味や価値や素晴しさを感じることで、将来の夢や理想を持つことができるのです。

 

「この命を何のために使うか」を考えることが哲学

 

感性論哲学の究極の目標は「全人類の人間性の進化」
理性の時代から感性の時代へ。欧米の物質文明から、東洋の精神文明へ。

 

これからの500年~1000年に必要な考え方が感性論哲学です。新しい時代には、新しい哲学が必要です。人間の本質は、理性ではなく感性です。欧米の理性の哲学の時代が終わり、感性の哲学である感性論哲学がこれからの時代の考え方であり、これからの時代の哲学となるのです。

明治維新は、吉田松陰の志を多くの人たちが受け継ぎ、成し遂げられました。
吉田松陰が、松下村塾で塾生たちに伝えたのは「志」でした。
「志を立てて、以って万事の源となす」
まず志を立てることからすべては始まると考え、志を確立することを主眼に置きました。
志とは、自分を超えた大いなるもののために、
この命を使い、自分の命に社会的・歴史的意味を創造しようとする決意です。

今、日本の真上に世界文明の中心がきています。
日本人が中心となり、核兵器のない世界ではなく、戦争のない世界の実現、
核廃棄物・放射能の無害化から有効利用の研究など
近代科学文明の集大成をしていくときが来ています。

日本経済の復活は東京から首都を他へ移す遷都から始まります。
この遷都の問題も1~2年で結論の出ることではありませんが、
50~100年かけてでも、今の日本にとって必要なことなのです。

 

 

教育についても「人材・人財教育から人物教育へ」
と考え直さなければいけないときが来ています。
能力ではなく、人間の格をつくる、人間性の成長のための教育が大切なのです。

人間は、時代を変えるために生まれてきています。
子育ては、38億年の命を受け継ぎ、新しい時代をつくるための大事業です。

感性論哲学のすべてを学ぶ必要はありません。
自分にとって必要なところを取り入れて、実践してください。
感性論哲学以外のことも学んでください。
大切なことは、実践することです。
体験を通してしか真実はわかりません。

これからは、日本人が世界のリーダーになるという自覚と
世界平和を実践することが日本人の使命であることを
次の世代へと「志」を伝えていただきたいのです。

 

 

 

 

 

日時 2018年10月23日(火)19時~21時(開場は18時30分から)
場所:和泉橋区民館 5階洋室D
〒101-0041 東京都千代田区神田佐久間町1丁目11−7

詳細はこちら


禅の世界においては、事実をありのままに見る事が重んじられ、坐禅をしたり、瞑想をしたり、神仏に祈ったりすることは、「サムシング・グレート」と親しむための方法といえるでしょう。坐禅によって、誰もが「サムシング・グレート」に親しむことができ、心豊かになれると教えるところが、禅の現代的な意義であろうと思います。

 

 

過去開催から

我執を乗り越える発想

人間の我執というのは実はとても根強い。例えばこれは自分のものとか自分の言い分が正しいなど
人は誰でも自分にこだわりを持つ。自分への執着は生存本能の裏返しでもあるからある程度はやむおえないとしても度が過ぎれば害となってしまう。

 

それを乗り越える為には非常識な発想が必要

 

いくら考えても判断がつかないような時にも同じ事が言えます。チームのリーダーになればいくら検討しても結果の良しあしが予想出来ない中で決断を求められる事があり、そのような苦しい時に失敗のリスクを負って決断できるかどうか、まさにリーダーとしての勇気が試されるところ。
そこでリーダーが失敗のリスクを恐れ全体の利益よりも自己保身を優先するとしばしば間違った方向にチームを導くことがある。

困難な中で利己的な考えを棚上げにして冷静に判断するには我執を抑える発想が大切。

 

松下幸之助氏に学ぶ
・自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる

・断じて行えば鬼神でもこれを避けるという。困難を困難とせず思いを新たに決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台となるのである。要は考え方である。決意である。困っても困らない事である。

 

 


実際に実生活におけるケースで

周りからは成功していると言われている経営者さん

会社が大きくなる事と経営者が幸せになる事は必ずしも一致しない
例えば
「死にたい」という経営者。でも業績はOKで周りから成功者と言われている。

何故?となった場合
ITのエンジニアで元々現場が大好き。


進めていくうちにお客さんが多くなり仕事が多くなり人を雇い・・・
そのうち
会社は大きくなりステージが変化していくが
管理が仕事になり、現場に入る事がなく、もともとが技術者タイプでリーダーシップは得意ではない。

 

そのうち会社の新規事業がいつの間にか役員会で決まり10億必要です。となって自分が借金を背負うと。

 

向き不向きがあり適材適所があるが、本来はあなたが幸せにならないと意味がない。

何の為に独立したのか・?


間違っているのが経営の価値基準
売上と利益、従業員数、上場
いざそうなった人たちがすごい不幸になっている。

 

周りの目で価値基準が決まっている。自分が通過して求めていない所まで行ってしまい不幸になっている方が多い。


いい人なら断らずに頑張って 自分1人では無理だから人を雇う
その繰り返しで
いつの間にか大きくなり

意図せずに会社の規模が決まっている。
それはあるべき像を明確にしていないから意図しない所に突っ込んでしまっている事

あとは稼いだお金をどう使うのか?
お金を稼ぐのはいいとしても
その後を聞くと答えれないケースが多い

 

という事で自分自身の価値基準を決めないといつの間にか会社は大きくなっても本人が幸せになるかどうかとは別。


なるほどと思わせる内容でした。

 

 

自分自身もニーズを拾って拾ってお客さんの為にと考えても、いつの間にか抱えすぎて苦しくなっているケースも多くどこに基準を置くかを改めて考えさせられました。

 

 

昨日開催の猛獣会議 塾頭と直接顔を合わせて現在ご自身で抱えている悩み、課題を仰って頂きながら、解決に向けてのヒントを!という形で開催しました猛獣会議

スタッフから見た塾頭の新たな一面をお伝えしたいと思います。

 

 問題を抱える部分で、今回頂いた1つに

組織について

エネルギーが溢れていて活動的な社長さんの下で、どう次のリーダーを育てていくのか? 背中を見てついていくのであればそれで解決出来るのですが、いかに組織として方向性、目的、役割を浸透させるかについて理論だけではなく、生の現場を基にした経験談を語って頂きました。

 

 

 

その時の関わる人たち、状況によって役割が異なり浸透のさせ方も異なる。 

 となると、これだ!という一通りの方法ではなかなか通用しずらい。 

それがあるからこそ、相手を知る事の大切さと相手を知り、自分の弱さも知った上で、協働!の箇所を見つける 

 

WANTS,LIKES,NEEDSを見定めて、相手を知り自分を知りお互いのとんがり(強み)の部分を付け合せる。

 

というSTEPを辿る事を塾頭は重視しているのですが

スタッフの視点から見て凄いと感じるのは 塾頭が理論で言っている事が全てにおいて、経験談(実際の体験)を基に話をしているという事。なので書籍づけの頭になってしまうとイレギュラーなケース、想定外の問題が生じた際に、アワアワとなってしまうのですがそれが無い! つまり想定されるであろう問題、課題も含めて乗り越えた経験を基に理論にしているという事。 そこがあるからこそ何を聞かれても答えれる境地に行ってしまったのだと!思います。

  そんな感じの価値のある内容なので、是非興味もっていただけたら足を運んで見て下さい。

 

 

 

 

 

 

 

創業前からのお付き合いで同級生の姉さん夫婦が経営している cafe403

「403」は、東京に住んでいた時の部屋番号。青森でも「我が家にお招きするように楽しい時間を皆さんに過ごしてほしい!」との思いで命名
そして、プロレスと競馬が大好きな夫婦。

 

 

残念ながら20日で閉店となりますが、これまでの4年の間いろいろと思い出を頂き、地元に戻る時はいつもみんなの集まり場所として、あそこがあったから会えたというきっかけがたくさんありオシャレなお店でした。

改めて、店舗運営・経営は大変なんだというのと、でも日々顔を合わせながら会話が出来るやりがいの部分と両方あるんだろうなと感じます。

一般的には単なるお店であっても、

個人的には

 

シャッター街の場所で、店長の様に地元出身でなくてもチャレンジするという所の素晴らしさがあると思っていて。同級生がたくさん来て、自然とみんなの集まれる場所だった事は
自分にとってはすごい価値のある事だなと感じ

 

次のチャレンジに向けて活動して頂きたい!と思います。

 

 

少しビジネス的に捉えると
・今はつながりを感じられない世界→それを感じられるところにお金が集まる。

 

感じる中には
・つながり
・元気になるもの
・ストーリー(感動)

その元気になるものが

 


cafe403には
プロレスがあったり!いろんなイベントが開催されたり!

 

ストーリーには
関東出身の店長が青森に関わる事で青森を元気にしようという想いであったり
同じ地元のあの人のお姉さんがやるから応援しよう

理論的に頭で把握するよりも
実際に店舗を構えて、直接お会いして話して目の前の人が元気になる事、来る人それぞれ
元気になるポイントが異なるからこそ、ひとくくりにまとめれなくて
やりながら、肌感覚で感じながら
やり続けていく事が大切なんだと思います。

 

 

と共に、顔が見えない自分の様なパソコン中心の仕事であればあるほど
見えない部分を見ようとする姿勢が大切なのだと。

技術面も必要ですが、本質というか、本来は
つながり、元気、感動に視点を当てて
自分は自社はこうなりたい、お客さんや仕事仲間をこうしたい!と発信するだけでも
全然見方が変わってくるんだと思います。