工藤先生、松本先生が中心となって活動されている北海道グループ
お二人の先生から講座の時にお話されている様子で
北海道から通っているだけでも称賛に値すると思うのですが、素晴らしい人間性を持った方です!
オンラインセミナー(後日録画配信付)
講師:池川明、土橋優子、町田明生晴
特別ゲスト:荻久保監督ご夫妻!講座名:魂の旅が導く真の幸せへの成功法則
・第一部 胎内記憶と魂の話(池川明先生)
・第二部 心理学と魂の旅の覚醒(町田明生晴)
・第三部 胎内感覚が無意識の扉を開く(土橋優子)
・第四部 体験! 魂の記憶を探す潜在意識のワーク
・第五部 スペシャル対談 荻久保監督と語る
普段お世話になっていて、素敵な先生方のオンラインセミナーです。
魂の話と死後の世界については
講座を受けてる時に父親が亡くなった関係もあって
ずっと深く考えてたテーマで
プラスな捉え方をすると「死は幻想」
死を考えているのは自分たちがいる3次元のとらえ方で
肉体から、魂、意識が離れて別の次元に行くだけの話。
なので、出来るだけ親の事もそういう捉え方をする様にしていると
辛い、悲しい事があっても、何とか前向きに捉えられる感じがしていて、
その意識は高次元においては、潜在意識のみで
俗世間の世界では、顕在意識も存在する。
↓
さらに深い所では
俗世間のこの3次元世界では、おおむね潜在意識が世界を創っていて
自分の心の声に反して無理して顕在意識だけを変えても、なかなか変化しにくい。
※だから、心の学びや自分を知る!というのがたくさん講座として存在してるのかな?と思います。
(この辺りの話はチャネリングやハイヤーセルフになるかなと思います)
自分も実際に実感したのは
はじめて、ヒーリングセッションなるものを受けた時
知り合いの紹介だからという事で試しに、程度の感じだったのが
事前に情報を伝えず、対面でもなくオンラインで
自分の状況や家族の関係をズバリ言い当てた
こちらのお方から
あなたは父親との関係を過去から引きずっている。
前世から常に強い父親と自分を比べて、現世もそれを持ってきている。
そして、前世は貧しいお坊さんでホームレスお坊さんだったとのこと。
親は親、自分は自分とも言われ
そうなのかな~!と思いながら
半年後の自分の誕生日の日に父親が亡くなり
何かがあるんだろう!と常々考え、何かメッセージを伝えたかったのでは・・?
と考えながら
必要なタイミングで紹介頂いて
深く考えるきっかけになりました。
昨日のTRT心理学、ベビー手話講座では、
町田先生が語っていたのは
次元の話!
産まれる前、神様にいた頃というのは
5次元以上であることは間違いない
↓
それを映画に例えて
見るまでは分からない。
途中までしかみてないと、途中までしか分からない。
30分なら30分まで
その先と後は分からない。
神の次元でいくと、映画全て見えてて、シナリオも見えている。
という事を落とし込むと
大人が今の部分だけしか見えてないと、前後が見えない中で子供と接してしまう。
なので、多次元があるのだ!(高次元から子供が来ていて、いろんな苦難や困難も含めて)
決めて来ていて、そこを乗り越えた先に何があるかも決めている!と
確かに胎内記憶を学ぶとその通りだな!と思うのですが
俗世間にいると、つい忘れてしまう事も多く
何度も目にして耳にしてを繰り返して
自分自身を自分で洗脳していこうかなと。
そこは、結構自分の中で重要ポイントかな!と思っているのが
分かっていてもいいから、何度も何度も繰り返す。
そうすると、何も見なくても言葉が出て来るし、ふとした時に思い出したりで
思風先生の教えも、8年近く日々接して本を見て、動画を見てを繰り返してると
いい感じで脳みそが洗脳されている感覚で
あとは、それを自分なりのアレンジ力が持てれば素敵だなと思います。
その時に意識しているのが
学びの3段階で
1、知る分かる
2、やってみる、実感する
3、共有する(シェアする)
※3までいけれればですが
ステージが2と3で差が出るのは
学んでいいものと感じたことと
自分で言葉を発して伝えたこと
のその後まで残っている記憶というのは自分で伝えたり、シェアしたりまでいくと
意識しなくても頭の中に残っていて
その違いというのを感じるのは
同じ仕事をしてても、社員さんと社長さん(特にベンチャー)では
中身が同じでも残る印象や、やってる感というのが天と地の差がある位感じていて
大変だけど面白い!
保障されない世界だけど、それ以上のものがある
その感覚があるから、失敗してもまた挑戦しよう!という方が多い気がします。
abemaユーチューブで紹介されていた障害者アート!
芸術へ!の視点は自分もすごく感じる所で
この女の子の絵をかいて頂いた子は
統合失調症とてんかんをお持ちの女の子でしたが
かなり戦力として活躍してくれて
芸術としての能力が見えない方でも
社会生活に慣れる為、社会復帰の一歩としてで
週に1回か2回の2,3時間位がちょうどいいという子もいて
うちの場合、特例子会社に合わない方が来られる方が多かったので
次は無い!という切実で必死な想いを持って来られてた方が多く
更に言うと、40代、50代の方が社会復帰を志して来られる方
(バリバリにバブルの頃に経営をされていてその後、会社だけじゃなく、家族もご自身も崩壊してまだ精神的に立ち直りの出来ない方)
こちらもその時に、人を見る!という事に凄く注力して能力を見る
伸ばす環境を用意するという事に出来てるかはわかりませんが本気になって
取り組んでた気がします(自然と)
+
パソコン前になると力を発揮する方も多くて
人前で話ししたり、挨拶したりは苦手でも、パソコン前に1日中いるのは全然OKの方だったり
ゲームの時はすごく力発揮したり
外に行く機会が少ないから、初島に行ったり
などなどで
振り返ると、マニュアル的にこう教育する!というのは到底難しいなと。
やってたら多分ガチガチに礼儀正しすぎる位の人間になって義務感とプレッシャーの毎日になりそうだなと思ったのでとりあえず、そういうのは全て捨てるところからがスタートかな!と。
そんな感じで、自分の体力と会社に余裕があればよかったのですが
コロナ影響で、数少ない仕事場を失ってしまった。昔働いてた方からお声を頂いており、余裕のない自分が、人様雇って頑張り続けれる様になるかは分からないですがうちではなくても、その人が活躍して、人並みの生活が出来るところには何とか応援出来る様になりたいと思うところで
多分支援する方や支援する会社は増えても、当の本人が頑張って活躍してやりがい持ってるかは
支援の数が多いかとは別に
上の人間の理解がどれだけ重要かにかかっている様な気がして
自分もよく言われた事として
・助成金とかいろいろ出るんでしょ!
・立派だね、偉いね!
・ちゃんと仕事回ってるの?
というのはよく言われて
やはり、実際に体験してみないと見えない部分も多く
雇用して伸ばしていこうという裏に
お金はかかるし、来なくなったり、いきなり奇声を発する事もあるけどそういうのも全部受け入れる度量の広さ、大きさがないと!
悪い部分が見えた時に、悪いイメージしか持てなくなる気がします。
まだまだ、自分もそこまで余裕と度量の広さがなかったので
受け入れるとなったら、お金はかかるし、ヘマする事もいっぱいあるし
その度量の広さがないと多分すぐこじれるので
いい面だけを見て受け入れるのでなく、裏側にいろいろある事を知っておいて
その上で受け入れる度量の広さと義理人情に生きれる人間になりたいと!
そんな自分への気づきも教えてもらいました。
こちら、日本理科学さん訪問時に見た素敵なメッセージ
関連してこちらが、先日開催の「胎内記憶教育✖️障がい児支援」
久々に参加の若獅子の会
鈴木大拙がテーマという事で、父親から教えられたのはハイデッガーとお友達の人
横田館長からは、円覚寺の隣に住んでた方であり、禅を日本中、世界中に広めた方
そして、鈴木大拙が晩年、大谷大学で京都に行き、いわゆる京都学派の西田幾多郎との親交など
多分、あまり一般受けしない、名前が殆どなんだと思いますが、、、
かじった程度レベルですが、鈴木大拙は禅よりも日本的霊性の方が興味深い所があり
日本的霊性は大地に由来し、鎌倉時代に仏教や禅を通じて開化する。それは法然、親鸞により体現される。 人間の持つ霊性を覚醒させる手段、道を提示するのが宗教
特に鎌倉時代に着目していて、法然・親鸞の阿弥陀信仰を重視して創造主である神も、救世主である仏も、この世に生を受けた自分も、すべてが一つ(阿弥陀仏)であるという自覚を妙好人が持っている
法然・親鸞の阿弥陀信仰を重視し、
これに徹底した妙好人
ちなみに、お釈迦様が私の師として紹介しているのが阿弥陀仏
で、その阿弥陀仏は、親鸞聖人曰く
「無明の闇がすべての苦しみの根元である」
↓
辛い、苦しいと思う心があるから、物質面で豊かになっても最終的なしあわせにたどり着かない その無明の闇を破るのが阿弥陀仏の力で 阿弥陀仏の力を言う、親鸞は他力本願の考え (他人任せではなく、阿弥陀仏の力が他力本願)
その他力本願がいいか悪いかは分からないのですが
親鸞の場合は、両親を早くに亡くされて
死について考えていた。考え考え
たどり着いたのが他力本願であり
どんなに自分の心が強い人であっても、おそらく死については
分からないし、自力で克服出来るものではないという事
そして、親交のあったハイデッガーは、
死から自由になるために、自分の死を理解することを、死に先駆ける「先駆的了解(せんくてきりょうかい)」と表現し、そこに至ることで、死から逃亡せずに自分に今何ができるかに向かうことができると
「死」を自覚した時に自分の将来全体を見定めやすくなり、可能性を求める本来のあり方に戻ることができる
ナチスに在籍したりで相当否定的にみられる方だと思うのですが、、
「存在と時間」において
・人間は現存在=現在を生きているが世界の様々な存在と関わっている
これを世界 内 存在という言い方で
・死への存在
死と向き合う事で真の自己に目覚める
例えると
一般的には人生には可能性があるから、頑張って先を見て生きていこう、悪い時もあるけどいいときもあるから前を見よう
に対して
ハイデッガーの場合は、常に人間1秒1秒死に向かっている。。
だけど、日常はそれを忘れている(存在忘却の時代)
経済やモノなどはそんな死に向き合うべきところの真理を忘れさせている(故郷の喪失)
となると、個性のない没個性の平均的な人間になってしまう(ダス・マン)
自己について有限であり、個性を見出すには死と向き合う事が大事
死について目を背けているうちは自己の存在に気づけない
同じく、実存系でサルトルはアンガジュマンと言ってて
ニーチェは超人という言い方で表しています。
つまりのところ、自分で決断して自由を勝ち取れ!を言いたいと思うのですが
ショペンハウワーも
すべてに意思がある
意思は無限にあるもので、完成や終着点はない
完成がないということは世界は永遠に不完全
そのような不完全な世界は
人間にとっては「苦」である
その苦からの解放に同情(同苦)
自分の苦悩だけでなく、他者の中に自分と同じ苦悩を見出し、他者を理解しようとする それによって愛が生まれる
以前釈先生から教えて頂いたのも
いじめ、自殺問題、これからの時代と価値観など
改めて思う事の1つに昨年から、今の状況を救う事が出来るのは、仏教しかないのではないかと感じている。
様々な宗教を経験する中、お釈迦様が唱えた仏教を教えていかないと本当に人を救う事は出来ないのではないかと
いう思いを強く持つ様になった。その根拠の1つに、人間の持つ悪の部分も仏教はしっかり説明している。
良いところだけを見るだけではなく、生々しい悩みの部分も含めて人を救う事が本質的に出来るのが仏教ではないか。
釈尊曰くの四諦と八正道(はっしょうどう)の部分に該当する箇所
四諦
「苦」そのものを直視し、心の表面でごまかすことなく一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え失せ、その影には必ず「苦しみ」がつきまとうという事を断ぜられた真意
しっかりと「現実」を見すえて「苦」を正面から受け止め、その原因を見つめる態度が大事であるという事です。このような時「諸行無常」の真理を悟り、今の苦しみは永遠のものでもないし、今の楽しみや喜びも永遠ではなく一時的なもので、これらの現象にとらわれない生活習慣をつけること!
一. 苦諦:人生は「苦」であるという真理
二. 集諦:苦の原因は「割愛」にあるという真理
三. 滅諦:その苦を滅した境地が「悟り」であるという真理
四. 道諦:その悟りに到達する方法は「八正道」の実践であるという真理
お釈迦様は、まず人生は苦であり(苦諦)、その苦の原因は「割愛」であるとし(集諦)、この割愛を滅し、あるいはコントロールすれば、苦に悩まされない境地(涅槃)を得ることができるとし(滅諦)、さらに、この苦を滅する修行方法は、八正道の実践である(道諦)
八正道(はっしょうどう)
正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定
「正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる人間となる事を示す道として解き明かしたもの</blockquote>
現在に話を引き戻すと、生きる基準が示しづらくなっている現代において、誰かから与えられるものではなく自分で考え探し決める
そんな時代に突入してきている中で、しっかり自分軸を持てる人はいいものの、迷う人もたくさん増えてくる時代に突入。
そんな答えの無い時代だからこそ、周りに流されずに自分視点での幸せ、生き方、あり方は指し示してもらうものではなく、学んで体験して選択(決める)する事も時代の変化と共についてくる事なのかなと思います。
この辺りは、胎内記憶を学んでいても多くの共通するところがあり
意思があるというのはショペンハウワーも同じことを言ってて
しあわせは与えられるものではなく、むしろ現実を見ると苦しみ、悲しみ、苦難困難がありふれているのが現実
↓
そこに対しての不平不満よりも、どう向き合うかの考え方や解釈が大切
更に言うと、そこで疑問を感じる事も多くあり 心の勉強や自分を変えるプログラムなどに参加した方から聞くのが
・成果の出す人はこんなことをしている!みたいなまねるパターンや
・魅力を持つために、〇〇の資格など ある意味、自分を変えて強い人間になる、魅力のある人間になる
という事だとは思うのですが、 実際に変革して、環境も含めて変わった方というのは正直僅かだなと感じる事も多く
強い人が強い人同士でグループを作ることはあっても 弱い人も含めて助けて行こうというのは正直少ないなと。
つまり、弱い立場にいる方が「助けて」「力を貸して」「学びたいけどお金がない」というのが言いづらくて、強い立場の人間になると 弱い人を努力してない、本気で学んでいない そんな弱さをさらけ出しづらい場になっている様な気がしております。
きっと胎内記憶でも、最初から人脈がある、人気がある、お客さんを抱えている方はいいのですが
愛を実践すべきは、そういう力を持っていなくても、頑張って学ぼうという方や 伝えたい!と思ってもツールや人脈を今持っていない という方に対してのアプローチがどこまでできるかが これからの広まる!に重要だなと思うところで、強い人が広げるのは知るべき人が知る範囲なんだろうと思っていて
池川先生と話する時も本当に広まるのは男性 というのを仰られていて
大体、知るべき人が知るところが一巡した段階だからこそ、見知らぬ方が気づくべきステージに来ているのではないかと
思うところで、自分自身はツールを駆使していきたいと思う限りであります。
若獅子の会でも、素敵だなと思うのは きっかけは何でもよくて、興味を少し持てば全然参加OKで 受け入れてくれる場があり、人がいて お金も殆どかからないし、入会制限は年齢はありますが、それ以外は多分殆ど何もなくて 縛りとかもないので そういうところが素敵だなぁと。 学びたい方にはマニアックに学べる方々もいたりで 森信三先生、安岡正篤先生、中村天風先生、坂村真民先生、中條高徳先生などなど
今思うと、20代のうちに知る事が出来て、共に学ぶ仲間がいるというのは 後々になってすごい財産になるんだと思います。
24分頃から、トミーさんが講師となって活動している中で感じたことやトミーさんの基礎講座を受講されて
変化が見られた様子をお話頂きました。
実は今でも見ました!のお声をちょくちょく頂くこちら
昨年トミーさん宅にて受講の基礎講座by男性only
この時はまだ、10人ちょっと位の時期だったのが、既にトミーさん講座で50名達成と。
トミーさんのライフワークの一つに、「感謝の言葉を伝える」 というものがあります。
日常生活の中で、お店や、電車の中で出会った 優しく素敵な行動をしている方 に向けて、「ありがとうございます!」「すごく素敵ですね!」の言葉がけをしたり、会社の社長さんに「こんな素晴らしい従業員さんがいましたよ!」とお知らせのお葉書を出したりして、「愛と感謝の言葉の発信」を魂のミッションとして行われています。
そんな中、仕事や精神的にきつい時にトミーさんの言葉や活動に助けてもらい
この世に産まれてきたことについて みんな決めて産まれてきた(どんな困難があっても)
みんな産まれるときに決めてきているという事で、そこに辛い体験や親、環境、様々な出来事、挫折、孤独などいろんな事がある中で、それを選ばないという選択も出来たはずなのに、それでも選んでいるのはどれだけ勇敢な魂を持っているんだろうと。
もし、皆さんが辛い体験や超えられない思いをしているのであればそれだけ大変なことを選んだという自分自身を認めて欲しい、褒めてほしいと思います。
言葉だけではなく外に出る機会も作って頂き
いつも、ご自身の体験談を基に願った事が叶う、自分に正直に生きる、自分を認め、さらけ出すというのを実践されていて 受講された方も人生観が変わった!happyになった!そんな喜びの言葉をたくさん聞いてます。
そして、池川先生の70歳の夢(4年後には現在の100名体制が、実働300名体制に!)
今回の思風塾にて、愛をテーマになるのですが
早速、それが試されるというか、、
素敵な参加者さんがいらっしゃって
女性の方で、FBを見て来ました。初めての方で知り合いつながりではなく
ふと、FBを見たきっかけで参加されるという
愛をテーマに学ぶだけではなくて、実践するという視点で
一般的に、経営者層で尚且つ男まさりの多い哲学の勉強の場に
1人女性が新規でも来れる懐の深さが大切ではないかと。
思うところで
学びの場の雰囲気創りも大切だなぁと改めて思います。
かつて、自分が子育て塾や胎内記憶に関わる中で、あの男1人足を踏み入れる微妙な勇気を思い出し
中身、内容も大切ながら
男性でも参加しやすい場作りという入口の部分をいかに参加しやすく、男性、独身でも参加したいと思わせる雰囲気にするかも
これから大切なんだなぁと。。そろそろ男子会を。。と思うところで
思風塾も振り返ると当時、中学生のまなちゃんが周り100人ほぼ男性、大人だらけのところで思風先生に、「恋」について質問してくれました。
更にその前の大阪の全国大会では、沖縄のかき氷屋さんの女性二人が感性の素晴らしさについて講演して頂いたりで
学びの前の場創りにおいても、どうも居心地がよくなるとチームというか、仲間内の集まりにはなるのですが
入りづらくしてはいけないなと。従来の価値観を持たずに年齢、職業、性別抜きで捉える必要があるなと。
思風先生から
愛については多くの人が求める愛から脱却できず、与える愛に気づいて進化していない事が人間関係の崩壊の原因になっている事を教えて頂きました。
離婚、幼児虐待、誹謗中傷等、ネットを使って悪意のある他人に対する非難等
↓
これらは、完全性を求めるが故に失敗を許せない。相手を否定・非難・責めるという理性的な理屈な形で人を責めてしまう。=愛の欠如
・身勝手な愛
愛を持って対応していても、相手からすると伝わっていない。自分勝手な愛。愛しているつもりの愛も多い。
・未熟な愛
愛というものはあるが、未熟である。愛の未熟さ。人間の愛というのは、子どもの頃の求める愛から、大人になるにつれて、与える愛へと成長していく。愛の成長のプロセスがある。
これらの与えられることを前提に捉えてしまうと、多くの人が求める愛から脱却できず、愛されても物足りなく、愛の不足で相手を責めるということをしてしまう。与えてもらうことを期待しすぎて、自分の心が満たされていない。
思風先生は愛を能力と捉え、努力する愛として捉えられており
与える愛に喜びを感じることになると、成長したということ。人のために尽くすことが喜びになり与える愛、尽くす愛へと人間性が成長すれば、愛も成長する。
その愛の努力や成長を実現する為に大切な事として
愛の本質は
人間の短所を許し、認め、補い、相手の長所と関わって生きる。
それを言い換えると「不完全を生きる」
どんな立派に見える人でも長く付き合えば嫌な面も見えて来る。ただ、それが人間でありそれでいい。
そういう人間観を持たないと愛する事が出来ない。
短所が出て来るものであり、それを指摘、否定するのではなく許し、認め、補うという自分の方の心がけが大切
だから、愛は努力であり、愛を能力として捉える。
その後長所が伸びてくると、短所は人間味に変わってくる
講演の最後に、東京思風塾 世話人の松前先生から
この時代を選んで、日本を選んで、思風先生と出会う事を選んで産まれてきた。
出会ったからには、聞いただけではなく、年々愛を深めていく義務があるのではないか。
選んできたなら選んできたなりに活動していこうとメッセージを頂きました。
8月1日(土)13:00〜でZOOM開催となります。
テーマは「人倫の崩壊の原因~愛が文化になっていない~」
先日、思風先生と関ジャニ∞メンバーの一人である大倉忠義さんが
「人生で最も影響を受けた本」として「人間の格」を紹介頂きました。
https://www.chichi.co.jp/web/yoshimura_20200522/
https://www.excite.co.jp/news/article/Wezzy_78109/?p=2
ジャニーズ。何のきっかけで知ったのかが興味あるところで
行徳先生からはXJAPANのお話
(80代後半でXJAPANを語れる素晴らしさ!ちなみに、思風先生はプレスリーがお好きで。哲学はロックだ!パンクだ!とたまにおっしゃられる時があります)
昔、ドームに見に行った時の2009年、復活した後の時だったので、年齢層が上から下までたくさんいらっしゃって、水道橋の駅降りた所ですでに涙流してる方もいて、熱気が凄すぎて音が聞こえないくらいの感じでした。
こちらのバラード(tears)は
YOSHIKIが小さいころに自殺で亡くなったお父さんに向けて書いた歌詞
自分自身は普段何気なく、当たり前の様に聞いてる思風先生の講義でも
関ジャニさんがきっかけで初めて知る方も徐々に多くなりつつあり
そんな初めての方がどこに響くのかも興味あるところで
最近の傾向としては
昔は、知り合いの紹介が大半だったのが
知るきっかけの入口がバラバラに、多様化してて
どこが入口になってもいい様に、網を張っておく(講演、書籍、WEB、SNS、動画など)事が大切なのかなと改めて気づかされます。
また、今年は愛をテーマにお話し頂くことが多く
愛を持って許しあう「互敬主義社会」
大きな視点で見ると
経済も社会も
経済においては資本主義経済というお金を基にしたところから、経済は人間の為にあり、人間が経済の為にあるのではない
これからは経済活動を行う事により、人間性や人格が成長する「人格主義経済」への転換。
社会においても、民主主義は脱民主主義に変わりつつあり民主主義は権利を主張し攻めあう社会でもあり
人々を対立に追い込む制度とも考えられ、理性で攻めあうのではなく
愛を持って許しあう、「互敬主義社会」
許しあい、教えあい、助け合う社会を目指しているのが感性論哲学。
許しあうけれども、そもそも愛とは何かについては定義をしないとばらつきが出て来るので、愛とは何かについても言及していただき、大体の人は愛が大切と分かってはいるが
愛を求められながらも手に入らず苦しんでいる。
愛というものに何かしら不安を感じている。
愛を求めながらも実態がわからずに、心の中で揺らいでいる方が多いと思われる。
前提に、人間は不完全な存在であり、不完全な人間の在り方を考えると揺らぎながら、自分が納得できる愛を求めている。この姿こそ不完全なる人間の愛の姿
つまり、揺らぎながら真実の愛を求め続けるという事は、完璧ではないという事から、愛は成長させるもの。
愛を成長させるための方法論を考えると
↓
不完全な人間を信じる
うそを言われても傷つかない心
↓
それが思風先生の言う、矛盾を生きる力
違う人とどうしたら仲良くなれるか
その為に悩み苦しみなぜ考え方の違いが出て来るか
そこに後天的に作られる5つ
それがこれからを生きていく時代において、愛は相手を理解し受け入れる事という事で教えて頂きました。
昨日のニュースで台湾元総統・李登輝氏が死去 「民主化の父」
有難い事に、昔,17か18年前1度お会いする機会がありまして、当時起業塾で学生スタッフをしてた頃
懐かしき、BBTオフィス(当時はohmae@ビル)の1階で働いてて2階のスカパー757チャンネルの撮影ルームに来られた時に、玄関でお会いし
当時名前のある方たくさん来られてて、撮影ルームをよく覗きに行ってたのですが
対談で、AIBOを見て興味持ってた李登輝さんが印象的でした。
その頃、来る人来る人、著名な方ばかりだったので、とにかくその方が出した本を読みこんで(読まされて?)講師プロフィールを作成してて、まだ当時は李登輝さんという名前だけしか知らなかったものの
李登輝さんを調べるとお父さんが警官で、霧社事件に動員される予定だったとのことで
後に霧社事件を題材にしたセデックバレを知るきっかけになったのであります。
一説によるとこの、霧社事件で台湾総督府時代の原住民の統治の在り方を見直し
労働時間やお金の支払い、教育、医療施設の充実や道路を作ったりなどなどで、原住民の方の親日感情が形成され、その後の高砂義勇隊になるという流れで
高砂義勇隊は、台湾の原住民さんと日本軍が一緒になって戦った部隊で、統治を見直して以降相当な親日感情を持っていたらしいです。(そんな歴史的な経緯もあったんだと。李登輝さん 金美齢さんが統治されていた時代に生きてても親日感情を持ち続けているのは何故か?がこの辺りに隠されている様な気がします)
その後の
根本中将や
八田與一さん
も日本、台湾共に歴史的に素晴らしい功績を残された
という事でどんどん知る機会が増えればと思う限りです。
こちらで見た面白い内容
自由や自分らしさ
が言われる中で
何となく流れていくと流れのままなのですが
振り返ると
4,5年前に社会起業大学にいたころは
ソーシャルがかなり強調される時期で
社会貢献をテーマに!というのが盛り上がって
ソーシャルでも自分の頃は医療、福祉、障害者雇用などが大半で
最近は趣味の延長線上の自分の興味のある範囲で、社会的な影響が少なくてもいい!と。
自分が就職する頃の時期は
・ITベンチャーはじめ、起業家たるもの死ぬ気で頑張る!みたいな記事を日々目にすることがあり
ビジネス書とかたくさん出て、ロジカルシンキング!とかMBAが騒がれていて
そして現在
哲学が来ているのだろうと。
例えば家族の在り方、上司と部下のコミニケーション
が今までと全然変わってきて
哲学的な問いを個人に落とし込むと
そもそもビジョンや共感が大切だ!と当たり前に思っていたのが
個々人の価値観が違えば、STEPUPの為に仕事してます、5年後は海外で活躍したいです!とか
仕事より、主夫が大切です!の様に
バラバラになっていくんだろうと思っていて
企業の在り方、仕事での解決の在り方なども
一段上の考えを持って
業界を変える為に!
〇〇の地域を残す為に!
みたいな感じで、売り上げ、収益を目標にしていたところから1段上に行かないと
なかなか人も興味を持ちづらくなるのかなと感じる所で
企業じゃなくても私はこれをやりたい!の時に
同じく1段上のところに視点を持って、話をしないと
心に響かないかな。。と思います。
現在はVUCAの時代ということで
「Volatility(激動)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(不透明性)」
昔の創業の頃は
課題解決に対して価値がある!という感覚で
「何に困っている」「これが出来ない」というのが明確で
例えばアクセスが少ない、売り上げが少ない
↓
現状どのくらい来ててとかを調べて
↓
〇〇が足りない、〇〇の対策をしましょうの様に
こちら側としても
何をすればいい!みたいに問いと答えを持って取り組むというのが多かったのですが
これからは
何が問題なのか?もよくわからなく不安だ!
どうすればいいか分からない。。
人が来ない、コロナの中での活動、などなど
AI,キャッシュレス、ロボット、SNSがどんどんくる中で
これから見たことのない世界が来るからこそ、期待や興味より不安が大きく
不安を解消する為に、また不安を解消して活躍している人が哲学を学んでいる
と答えを指し示してくれる所に人は集まるのかな?と思うので
答えを創る側になる!気持ちで
日々生活する事が今今考えれる楽しさややりがい!が持てるのかなと思います。