こんにちはロッタです。
暑い💦暑い💦夏ですね🌞

いよいよ、というか、とうとう
来週から東京オリンピック。

新型コロナウィルスがさらに蔓延拡大する中、
民意を無視し、政府とIOCが強制的に開催。

お金で誘致したこの大会。
コロナの前から大反対でした。

デフレで経済成長しない日本。
インバウンドの経済効果だけが目的だったけど
予想もしていなかったこのコロナウィルスで
全て狂ってしまいました。

悲劇としかいいようがありません。。。

でもこれで国民の一部は気づけたかもしれません。政府(与党)は国民よりお金と権力が大切。
ここで国民がきちんとこれからの日本を考えないとこの国はさらにダメになってしまう。

ここで変わらなければ未来はありません。


明日は兵庫県知事選挙!
センチュリー乗りたがりの爺さんはもういりません。


正直、誰に入れたらいいか?なんて
わからないし、チラシやポスターを見ても
良いことばかり書いてあるし、、、
顔か名前で選ぶ?

街頭演説や各立候補者のホームページを見るのも、なかなか。

そんな人、多いと思います。
それで見つけたkiss fmのyoutubeチャンネル。
各候補者のラフなインタビュー。
喋り方や態度、そのひとがどんな感じの人なのか伝わってくるし、シンプルな質問でわかりやすい!
是非、参考にしてみて下さい。

そして、若者たち
選挙に行こう!
最初はゲーム感覚でもいいと思う。

なんとなく選挙に行かないというのは
やっぱり無責任だと思う。

そんなわけで参考まで↓

こんばんは。夜分遅くに久しぶりのブログ。

空汰がお空に旅立ち2ヶ月と少し経ちました。たくさんの方々からお花や優しいお言葉をたくさん頂き本当に感謝しています。その度、嬉しく泣きそうになります。本当にありがとうございます。

空汰がいない家はやはり寂しく
1ピースどころか何ピースも足らないパズルのようで、胸が痛いです。

でも、この現実を受けとめ向き合って暮らしていかなければなりません。
だから、くよくよなんてしてられないし、空汰のためにもかけがえない時間を大切に過ごしていかなければと強く思います。

あれから春が来て、桜が咲き
やがて桜が散り、空汰のいない新しく世界が始まりました。

娘はこの4月幼稚園に入園し、新しい生活に。私の幼少期に似ていて、新しい場所にはなかなかすぐには馴染めない。
自分を出すタイミングがわからないというか、気恥ずかしいというか、引っ込み思案になってしまう。
すごく気持ちがわかる。

毎朝、幼稚園に送り出し、教室から離れる時に後ろ髪が引かれる思い。
でも、娘は苦笑いで私を両手で押し、「いってらっしゃい」といつも言う。

本当はとても不安なのに
心配させないようにしてくれる。

その健気さに泣けてきます。
両手で押されるから、私もよし!今日も頑張るぞ!という気持ちになる。

そんなこんなで4月から1ヶ月と少し経ち、娘も慣れたかなと思いきや、まだ自分をだせていない。でも、家に帰ってきてお友達の名前を何人か言うようになった。幼稚園での話はいつも聞くようにしている。というか気になる。
「今日はお庭で遊んだ?」「ご飯は何だった?」
自分から一日の出来事をたくさん喋るタイプではないけど、嬉しそうに楽しかったことを教えてくれたりする。

よかった。少し安心してきた。 
でも、無理せずに自分のペースでいいんだよ。って思う。

そんなある日。
というか今日。

担任の先生からお話があるので
お待ちください。と。

え?
何。何。

なんだかソワソワしてしまいました。

そしたら
今日、突然泣き出したらしく
「空ちゃんに会いたい。空ちゃんお空に行っちゃったの」

幼稚園では今まで一度も泣いたことがなかった娘。

ハンカチを握りしめて泣いたらしい。
先生がいろいろ話を聞いてくださって
すぐに落ち着いたみたいだった。

それで先生が心配されて
お声がけいただきました。
空汰について一通りお話しさせていただきました。

娘のポケットのハンカチを広げてみると
茶色のネコのイラストが描かれていました。

それを見て空汰への思い抑えきれなかったようでした。

娘は普段は平気なフリをして頑張っているけど、やはり空汰のことは辛く、寂しく、ずっと思っている。

家族みんなそう。
だって大切な家族を失ったのだから。

私たちも娘もこれからずっと空汰のことを想い、時には泣いて、時には温かい気持ちになって空汰に感謝しなきゃと思う。
忘れることは違うし、忘れることなんてできない。だからずっと想うよ。

空汰は凄いネコだったよ。
空汰は何も諦めなかったよ。
空汰は凄く強かったよ。
そして、空汰は凄く優しかった。

空汰、今日もおやすみ。
また明日ね。



宇都宮けんじ さんの署名活動に賛同します。
ずっとずっと私は東京オリンピックには反対しております。


それこそ、誘致した時からです。
そもそもオリンピック開催国はオリンピック開催後に不況に陥るといわれています。


そして、電通を通して9億円の賄賂を払いオリンピックを東京に誘致。 


予算以上にかかった会場の建設。


森会長のバカな発言、辞任の件。


そして、今、新型コロナウィルス蔓延の中、国民の意思を無視して強行しようとしている。


国民の命より

オリンピックをすることを選ぶ日本政府。

本当に狂っているとしか思えない。


アスリートの皆さんには申し訳ないですが

名誉や勲章より

私たち国民の命のほうが大切です。


メディアはオリンピックスポンサーである大企業には逆らえない。だから声を大にしない。

オリンピック中止に関してもにも現政権の悪事にも。


そんな中、宇都宮けんじさんが動いてくれました。皆さん、本当に命を危険に晒してまで東京オリンピックを見たいですか?




以下 宇都宮さんのホームページより。


「人々の命と暮らしを守るために、東京五輪の開催中止を求めます」

 現在、国際オリンピック委員会(IOC)、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)および東京都は、2021年の東京オリンピック・パラリピック開催を強行しようとしています。ところが、周知のように東京都のみならず、国内各地、さらには世界各国では今日に至るまで新型コロナ感染拡大はまったく止まっておりません 。昨年末から開始されたワクチン接種も、現在のところ欧米などの一部地域で普及しているにすぎず、感染防止の決定打とはなっておりません。

―― 命や暮らしを危険にさらしてまで東京五輪を開催するのか

 このような状況下で、本年7月に東京オリンピック・パラリンピックを安全に開催できると考えることは極めて難しいと言わざるをえません。この状況で開催すれば、「平和の祭典」であるはずの五輪は、その理念から大いに逸脱する ことになります。出身国によって、満足のいく準備をまったくできなかったアスリートとそうでないアスリートのあいだに、多大な格差が生じます。また、東京に来たところで、感染のストレスにたえずさらされ、厳しい制限を課せられては、満足のいくパフォーマンスを発揮することは不可能です。
 東京オリンピック・パラリンピックを7月に開催するためには、大勢の医療従事者の方々、また医療施設や医療設備などの貴重な資源、その他のさまざまなリソースを割かなければなりません。しかし、すでに各種団体が指摘するように、現在の東京都および日本全体にその余裕はまったくありません。外国からの観客を制限したところで、五輪は1万5千人にも及ぶ大規模な人の移動と接触を引き起こします。五輪によって感染状況が悪化することは大いにありうると言えます。
 ただでさえ深刻な不足に直面している医療資源を五輪に回すことは、コロナ禍で疲弊している医療従事者の方々をさらに苦しめ、住民および参加者の命と暮らしを危険にさらす ことになります。

―― 人々の命や暮らしを守ることに資源を割くべき

  また、新型コロナ感染症により、多くの人々は命を脅かされると同時に、経済的にも困窮を強いられています。とりわけ、非正規雇用で働くことの多い女性・若年層・老年層の暮らしは、わずか一年たらずで劇的に悪化しました。現在、多くの方が、民間団体の主催する食糧や住居の各種支援に頼って暮らしています。このような状況のなか、五輪の延期にともなう追加費用は3000億円 にも上りました(経費総額は1兆6440億円)。
 人々の命と暮らしを守ることが自治体の本義であるならば、東京五輪は一刻も早く開催中止を宣言し、窮乏にあえぐ人々に資源を割くべきではないでしょうか。

―― 国内外から高まる五輪中止の声に耳を傾けて

 すでに国内外での新聞等による各種世論調査では、五輪開催の中止または延期を求める声がいかに多いかが繰り返し示されています。また、国内外のメディア、多くの政治家たち、またアスリート自身も五輪開催を難しいとするとの意見を繰り返し発表してきました。
 政府や都がいまだに五輪中止の判断や要請をしていないことはあまりに遅い失策ですが、今からでも東京オリンピック・パラリンピックの今夏開催中止を即刻決断し、五輪中止によって利用可能になった各資源を、新型コロナウィルスの感染拡大を防ぎ、人々の命と暮らしを守るために向ける ことを強く求めます。

署名は下記↓



まるで
明凜と空汰のよう。
この絵本に闘病中、救われました。
そして今もこれからもこの絵本を読み聞かせるたびに空汰のことを思い泣き、また元気になれそうな気がします。


まだ明凜がいないその昔、

買い付けの旅でスウェーデンで偶然手に入れた

この絵本。

その数年後、ある方から日本語版を偶然に頂きました。


私たちも娘も大好きな絵本です。





リッランとねこ/

イーヴァルアロスニウス




あるひ ちいさな リッランは

みちで ねこに あいました

こわくなった リッランは

ひゃあっと おおごえを あげました


ねこは やーむと なきました

「ぼくは やさしい ねこですよ」

いたずらなんか しませんよ

どうぞ せなかに おのりなさい」


さっそく リッランが またがると

ねこは たったか かけだしました

その はやいこと はやいこと

リッランは きゃっきゃっと おおはしゃぎ




すると おんどりに あいました

「ほらほら どいて ぶつかるわ!」

リッランが さけぶと




おんどりは とても こわがって

めんどりおくさんが まっている

うちへ むかって にげだしました


つぎに ぶたに あいました

ぶたも やっぱり こわがって


ぶるぶる がたがた ふるえながら

ぶたの ベッドに もぐりこみました


こんどは がちょうに あいました

がちょうも もちろん こわがって


くびを のばして はねを ばたばた

ひめいを あげて にげだしました


それから ねこは リッランを のせたまま

おがわを すいすい およぎました

さかなは みんな こわがって

あわてて さーっと にげました




あっというまに きしに つき

リッランは きしべの はなを つみました



ところが そこへ あらわれた

あばれんぼうの おうし

はないき あらく もーっと うなって

どどっと とっしんしてきます

リッランは ぱしぱしっと むちを ふり

おうしを たいさんさせました


つぎに であったのは はらぺこわに

リッランを ひとのみに しようと

くちを おおきく あけましたが

ねこは わにの まえを

やのように かけぬけました


わには たいへん くやしがり

なみだを こぼして なきました

リッランは たべられなくて よかったと

おおきな こえで わらいました


それから うまに あいました

はながらベスト あしにはブーツ

うまは おめかししていますが

しっぽには なんにも つけてません


つぎには こうしに あいました

こうしは ただただ こわがって

ぶるぶる ふるえるだけでした


おじいさんが やってきました

ごわごわ もめんの ふくを きて

めだまは ぎょろぎょろ

あおい はなと おおきな くち

リッランと ねこは こわくなり

おもわず さけびました

おかあさーん!




そして すぐさま にげだすと

おじいさんの はなは

ぐんぐん ながくなりました


やがて リッランと ねこは

ずらっと いえが たちならぶ

まちへ たどりつきました


まちの なかでは おまわりさんが

きんの ボタンを ひからせて

ふんぞりかえって あるいていたり


みどりの ドレスの ごふじんが

にこにこ やさしく わらっていたり


りっぱな ばしゃも とおります

おつきが ふたりに ぎょしゃ ひとり

しょんぼり つかれた おうさまを

のせて おしろへ いそぎます



リッランと ねこは あとを おいかけて

おしろの もんに つきました

ばしゃから おりてきた おうさまに

ひざを まげて ていねいに ごあいさつ

すると おうさまは くちを ひろげて にっこりし


すぐに おつきに めいじました

「さあさあ カールソン おきゃくさまだ

おいしいものを たくさん もってまいれ!」

そこで おつきの カールソンは

おしろの なかへ かけていき

かぜのように もどってきました

ジュースに ケーキに さとうづけの フルーツに

ほかにも たくさん おぼんに のせて


リッランは むちゅうになって たべました

ねこも いっしょに たべました

ジュースも どんどん のみました


あんまり おなかが いっぱいで

もう あるけません


ねこの おなかは

ぱん! と われました

リッランは さけびました

わあー!




すると おうさまは むねを はり

リッランを なぐさめて いいました

「ここは わたしに まかせなさい」

さっそく したてやが かけつけて

はりと いとで しっかりと

ねこの おなかを ぬいました

ねこは ひめいを あげました

てんまで ととく おおごえで


さすがは おうさまの したてやです

ねこは たちまち げんきになって

まるで あたらしい ねこみたい


ねこが あるけるように なったので

リッランは うれしくなりました

おうさまに さよならを いうと


リッランと ねこは

うちを めざして まっしぐら

あんまり ちからを だしたので

ねこは まっかに なりました


おかあさんの かおを みると

リッランも ねこも ほっとして

すぐに ねむりに つきました

いろんなことが ありました

けれども いまは すやすやと

おかあさんの ひざの うえ

しずかに しずかに ねています



(おわり)



たくさんの温かいお気持ちありがとうございました。皆さんの心の片隅に「空汰」という猫がいたということだけでもおいていだけると嬉しいです。


晴れた日は夜空を見上げて

大きく深呼吸して

空汰星を娘と一緒に探したいと思います。


ありがとうございました。



金谷 剣志

金谷 彩子

金谷 明凜


ねこ 空汰



北欧雑貨と暮らしの道具lotta




空汰がお空に旅立った

前の日。


これまで泣かなかった娘が

どうしようもないほど泣いた。


立てなくなった空ちゃんを見て

受け入れたくなかったことを

受け入れた瞬間だった。


「もうひとりの げんきな くうちゃんが ほしい


えーん かなしい


もう おわかれは いや


くうちゃん


にどと あわないのは いやだよ


にどと おわかれは いやだよ


まだ くうちゃんと いたい


いつも くうちゃん やさしいから


もう にどと あえないなんて いやだ


いやだよー

いやだよー


それは いやだよー」



空汰が苦しんでいる姿

娘が悲しんでいる姿


そんなの見たくないし

残してたくもなかった。


でも

彼女がもう少し成長し

そして大人になった時に

意味があるかもしれないと

胸が痛かったけど動画を撮りました。


その言葉そのままです。


娘にとって大きかった空ちゃんは

お兄さんだった。





そしてもうすぐ4歳の娘には

空ちゃんが小さくなり

友達のようになった。





空ちゃんがお空に旅立ち

姿を変える前の昨日の朝


保育園の前で保育園には行きたくないと泣いた。


先生方にお伝えし

一緒にお別れすることにしました。


奥さんは娘に

「今から空ちゃんはお星さまになるため電車に乗らないといけないの。だから一緒に駅までお見送りに行こうね。


お星さまになったら きっと新しい元気な空汰になれるんだよ。その時はまたお家にきてもらおうね」

と言った。


「いやだよーまだうちにいてほしい」


奥さんは

「空ちゃんがお星さまになったら、空汰星を一緒に探そうね 何色かな?」


娘は「くろと ちゃいろと みどり」

と答えた。


それは空ちゃんの色だった。



それから泣くことなく

彼女なりにこれから我慢しようと決めたようにみえました。



姿を変えた空汰。



娘は


「早くお家に帰ってこないかな」


といいました。




次のブログの投稿で

「空汰という猫の話」は終わりにしたいとおもいます。


たくさん読んで頂き、また温かいメッセージをありがとうございました。お返事はゆっくりと返させてくださいね。 



次の投稿は

「リッランとねこ」というスウェーデンの古い絵本について。



まるで娘と空ちゃんのようで。


空汰の闘病中、この絵本に救われました。

これからもきっとこの絵本に救われると思います。


「まるで あたらしい ねこみたい」


この言葉に勇気づけられました。




北欧雑貨と暮らしの道具lotta


金谷 剣志

   彩子

   明凜


ねこ 空汰


空汰がいなくなって2回目の朝。


やっぱり 泣いてしまう。


温かい布団の中を毎朝 確認していた

ふわふわでもふもふで柔らかな空ちゃん。

時には私の足に絡みついて

時には暑くなったのか布団の上にいたり

のどが渇いたのかお腹が空いたのか1階に戻ってたり。。。


でももう となりにはいない。


さみしいな。かなしいな。

心が苦しく キュッと摘まれたような感触。


昨日、姿を変えて

お家に帰ってきました。


今まで空汰がいたから

お花は飾ることができなかったけど

空汰の前に頂いたお花を添えました。


この暮らしに慣れるのかな。

きっと少しずつ慣れていくのですよね。

でないと 生きていけないし。

空汰も悲しむのは望んでいない。


今日からお店を再開します。

いつもの場所でいつものように。


今週末からの樋山真弓さんの個展を

させて頂くのが楽しみです。


明日3/10()3/11()は個展準備のため

お休みを頂きます。

どうぞ宜しくお願い致します。



2021 3/12(金)-23(火)

「はるのうつわ展」

樋山真弓


場所 北欧雑貨と暮らしの道具 lotta



2021年3月7日(日)14時少し前
空汰が静かに旅立ちました。

夫がlottaに行き、娘と2人、空汰を見守っていました。
呼吸が落ち着き穏やかな時もあれば、しんどそうな息づかいの時もあり、状況は深刻でした。
夜中、何度も何度もトイレに行くけど、何も出なかった空汰。
苦しかったと思います。
トイレの砂の上でヘタレこんでしまう空汰を何度もお布団に戻しました。

早朝からは、もう立ち上がることも歩くこともできなくなり、横になったままの空汰。
何度も何度も立ち上がろうとして、手足に力が入らず倒れてしまう空汰。
何も出なくてもトイレに行こうとしていたんだと思います。
時折何かを吐き出すように、聞いたことない大きな声を出す空汰。

娘に、空汰の横で空汰の話を沢山しました。
空汰は横になったまま耳だけを傾けて一緒に聞いてくれました。
娘が優しく撫でると、空汰は穏やかでした。

旅立つ少し前、口から出た泡を拭いてあげました。
嫌がらず口を拭かせてくれましたが、牙が出ていて何とも言えない怖い表情でした。。

14時少し前、娘が「オシッコー‼︎」と言うので、娘をトイレに連れて行ったほんの少しの間に空汰は静かに旅立ちました。
いつもの真ん丸の可愛いお目目のまま、綺麗な毛並みのまま、まるで自分で自分の意思で呼吸することをやめたみたいでした。

最後の瞬間を私達に見せないように、空汰がその時間を選んだんだと思いました。

ありがとう。空汰。
3歳の娘に最後の瞬間を見せないように考えてくれたね。

ありがとう。空汰。
私が最後の瞬間を見てしまうと、きっと哀しみから立ち直れないだろうと心配してくれたんやね。

ありがとう。空汰。
夫が1人の日、1人の時間は選ばなかったね。
2年前に旅立ったじぃちゃんと話し合ってくれてたんかな。

夫が帰るまで、息はなくともあたたかいままで待っていてくれた空汰。
リラックスしている時みたいな穏やかな表情は、息をしていないことが信じられないくらいです。

毎日たくさんのお客様が優しい言葉をかけてくれました。
温かいメッセージやコメントを頂いたり、お見舞いを持ってきてくださったり、一緒に涙してくださったり、励ましてくださったり、そっと気持ちに寄り添ってくださったり。。
こんなに沢山の方々に支えて頂き、空汰も私達も本当に幸せです。
本当に本当にありがとうございます。

もう少し、あと少し、空汰と一緒に居たかったけど、、
苦しいのに、しんどいのに、辛いのに、一生懸命頑張ってくれていた空汰がようやくユックリ眠れる安堵感もあります。

不甲斐ない私達にお別れまでの時間をくれたこと、空汰の事ばかり考えることが出来た、この2ヶ月弱はかけがえのない幸せな時間でした。

空ちゃん本当にありがとう。
家族になってくれてありがとう。
数えきれない沢山の幸せを本当にありがとう。

長文を読んで頂きありがとうございました。



ロッタと空汰のおはなし


空汰に出会ったのは2008年の夏。

当時働いていた堀江のアパレルのお店に迷い込んできました。まだ0歳だった空汰。


その日にお家にお迎えしました。

奥さんは猫と一緒に暮らすことが夢でした。


憧れの猫と暮らす生活。

当時、賃貸マンションの12階に住んでいた私たち。一度、空汰がベランダの扉から逃げ出したことがありました。


慌てた私たちはアタフタアタフタ。

だってここは12階。

床に顔をつけて隣の家の防火扉の向こうを覗くと、遥か先のお家のベランダに。


どうしよう!お家にピンポンする?

でも、びっくりしてジャンプして落ちてしまったら。。。


二人で相談した結果、大好きな鰹節で誘き寄せるという安易な作戦に。


また床に顔をつけて

鰹節を手のひらにおいて

「くうーたー!ブシだよー!」と叫んだ。


そしたら、まさかの

猛ダッシュ!


秒で保護となりました。


そんなこんなで

翌々年、働いていた店舗閉店で34歳にして無職になってしまいました。


どうしようか人生に迷っていました。そして職安からウェブデザインの学校に数ヶ月通うことに。


毎日毎晩、ホームページを構築し

平行して展示会や伝手を頼りに取引先を見つけていきました。そのころはオンラインショップだけでは信用が少なくて、たくさんのメーカー、作家さんに取引を断られ続けました。

そんな頃も空汰を励みに頑張れた。




そして

20108月にオンラインショップ

lotta 」を開業しました。


その時にこのブログも立ち上げました。

名前は「今日の空ちゃん」

猫 空汰とロッタとおっさんの私生活を綴るブログとして開始。


実はごく最近まで「今日の空ちゃん」という名前でした。


実は当初のロッタは

「北欧雑貨と子供服 lotta」だったんです。


北欧で買い付けた北欧ヴィンテージ食器

を僅か。丹波焼などの暮らしの道具。そして北欧のものではない子供服。


自分自身でも考えがまとまらず

少し迷子状態でした。



案の定、甘くはない話で

全く検索しても上位ヒットせず

全く売れない。


ほぼ無職な状態の暗黒時代に

助けてくれた空汰。 


毎日毎晩、パソコンの横に来て

そこで寝る。時にはenterボタンの上に手がのってて連打とかも。





それからすぐ他の仕事を見つけ、そっちで生計をたてながらロッタを運営していました。


今の「北欧雑貨と暮らしの道具lotta

実店舗をオープンしたのは2013107日。




それから生活リズムは一変しました。

OLをしていた奥さんがお店に立ち

私は前職をしながら休みの日にお店に立つという日々。

2階から1階に移転する20163月までその生活は続きました。


その3年間は私にとって歯痒い期間でした。

お店一本にしたいけど、それだけ生活していけなかった。いつか、いつかと思いながら2016年の春にようやく今のカタチに。


その3年間は19時にお店を閉店し

イベント準備だったりレイアウト変更

そして試行錯誤のミーティング。


ほぼ毎日22時くらいまでお店にいました。


そんなときもずっと空汰はお留守番してくれてて、寂しい思いをさせてしまっていた。


それ以降も娘が生まれるまでは

お店ばかりで、深夜まで仕事をすることが多くほとんど家にはいないような生活でした。

真っ暗な部屋で待たしてしまうことが多かった。

空汰、寂しい思いばかりさせてしまって本当にごめんね。


仕事上、年に一度北欧に買い付けに行きます。だいたい期間は2週間。




その間、母や姉にいてもらったりして

空汰のお世話をしてもらっていました。


久しぶりに家に帰ってくると

最初はまさか?みたいな感じで二度見します。ハッ!て我に帰って「お帰り」ってしてくれる。  




なかなか帰ってこないから

心細かったやろうなぁ。もう帰ってこないんじゃないかって毎回思ってたやろうなぁ。

そう思うと本当に可哀想なことをしたと胸が痛くなります。


空汰は家猫だったから

お外の世界は0歳の時しか知らない。


2階の窓を少し開けてあげて

そこから見える小学校に咲く桜を見るのが好きだった。



今年もまた見たいだろうな。


空汰はロッタにとって

始まりで全て。


今、ロッタがあるのは空汰のおかげ。

ずっとずっとロッタの看板猫です。











部屋の隅から、微かなゆるい息づかいだけ聴こえています。


音だけ聞いていると

穏やかに昼寝をしている猫のよう。


でもギュッと縮こまり目を開けて堪えています。


もう今は撫でてあげるくらいしかできません。


辛さに波があり

1時間ほど前は少し穏やかで

ホットカーペットで伏せている空汰の横に

寝そべって、口には出さずに

会話をしました。


かくれんぼしたことや

紐で遊んだこと

空汰が幼い時から大切にしている猿の縫いぐるみのこと。




食いしん坊で私たちが困ったこと。

留守中に引き出しを全部開けて

鰹節を撒き散らしていたこともあります。  


 
※その時の様子笑


明凜のことも

奥さんのことも

私のことも聞いてみた。

明凜の事はずっと心配しているみたい。



空汰がどう思って暮らしてきたのか

そして、今振り返ってみてどう思っているのか。






たくさん聞いてみました。

ハッキリとした緑と黒の目で

しっかり答えてくれました。


おかしなことを言ってるのはわかっていますが、確かにそう感じたんです。


その1時間くらいは嘔吐もせず

穏やかな息づかいで

不思議と辛そうではなく

ゆったりとした時間が流れていました。


家でオンラインショップの仕事をしようと

思いましたが、やっぱりできそうにありません。申し訳ありません。


長々とブログを書いてしまいました。

読んでくださってありがとうございます。


空汰の側にいる間は空汰のことだけ

見ていたいし、考えていたいんです。



今日は3/6

空汰の息が荒くなり、病院に連れていってから3日が過ぎました?日に日に弱っていくばかりで空汰にとって辛い日が続いています。


私たちも本当に苦しい。


でも一番辛いのは空汰。


昨夜から酸素室に入ってもらうことはやめました。


トイレした後、机の下やキャビネットの下に行くようになりました。


おそらく病院で打ってもらった血液を作るのに作用する注射が効いたのかもしれない。

たしか先生は48時間後から効いてくると仰られていました。


呼吸は少し落ち着いたので空汰自身も

狭い箱の中ではなく、住み慣れた家で過ごしたいと思ったようでした。


酸素室のドアを開けて、好きな場所で過ごしてもらうように決めました。

空汰のいる場所にホースで酸素を当ててあげるようにしました。


3/3以降、私だけ一階のリビングで布団を敷いて空汰のそばにいるようにしていましたが、昨夜から家族3人皆でリビングで布団を敷いて寝るようにしました。


空汰はもちろん真ん中。

私たちと一緒に毛布に包まっておやすみ。

呼吸は穏やかでリラックスしているようでした。


やはり気分は悪く

夜中、何度か嘔吐しました。

それでもそこを離れることなく

朝方までそばにいてくれました。


4時半くらい

ぱっと空汰が心配になって目が覚めたら

隣にいた空汰はいなくなっていて


慌てて部屋中を探しまわりました。

でも部屋にはいなく

2階に上がる階段でグッタリしていました。


その近くには嘔吐して後が。


私たちに迷惑をかけないように

起きてわざわざしんどいのに少し離れた場所で吐いたようでした。


空汰、優しい猫。

ありがとうね。


それから

空汰が愛用していた温かいベッドを

床に用意してあげました。

しばらくそこで落ち着いていましたが

部屋の角に行くようになりました。


今、お昼前ですがそこで苦しさと気持ち悪さに堪えています。


制吐剤を飲ませてあげるのにも

食事に混ぜてシリンジであげないといけないし、水に溶かすだけでは泡を吹いてしまいます。


空汰の居たい場所で

空汰のしたい体勢で

自由にさせてあげようと

決めたものの


その様子を見ているだけは辛くて。

こうやって、やり場のない思いを文章にしています。


吐き出すだけしかできない

弱い自分にまた辛くなってしまいます。


奥さんがロッタに行っていますが

家を出る前に空汰に

「行ってきます。早く帰ってくるから、待っててね」と言うと、空汰は昨日から動かしていなかった尻尾を振って返事をしました。


どうかそれまで空汰、頑張って。

今夜も4人並んで寝ようね。