しし座流星群
今夜は、獅子座流星群極大を迎えるようです。
しし座流星群というと約10年前の大出現を思い出します。
その前年は、退職したばかりだったため山梨県の大和町で観測していました。
しかし、その年は、困難を極めた就職活動が実を結び、
やっとの思いで探した前の会社に勤め始めたばかりだったので、
平日に極大を迎える今回は、遠方への観測に出かける事が出来なかったので、
近場の鶴ヶ島の畑の真ん中を陣取り観測しました。
車のサンルーフから顔だけ出して、流れ星の出現から、次の出現までの
タイムをカウントしていたのを今でも覚えています。
バンバン出現する流星に感動し、寒さも忘れて眺めていました。
大変だった退職から就職までの辛かった事、
前職とは全く異なる業種への転職のため、これからの新しい会社で、
新しい分野で働いていかなければならない不安、
それらを癒してくれる美しい感動的な光景でした。
結局、朝の5時まで美しい流星を追い、帰ったのは、6時頃でした。
2時間程の睡眠を取り、まだ、入社したばかりの会社へ遅刻もせずに出社し、
睡眠不足の中、しし座流星群のニュースを話し合う先輩達の中で
眠たい目をこすりながら、回転の鈍った頭を酷使し
仕事をしていたのを記憶しています。
前の会社での1つの良い思い出です。
今は、その会社とも別れ、
また、前の会社との繋がりも解けた事もあり
その後の苦労したあの頃も思い出し、
いっぺんに色々な事が頭の中によみがえってきました。
私のちょっと懐かし、ホッとする記憶です。
錫杖の音
錫杖って知ってますか?
遊行の僧侶が、笠をかぶって、黒いケサかけて
長い棒を杖の様に突きながら歩いている映像を
見たことある人もいるでしょう。
その杖の事です。
杖の頭には、丸い金属の輪があり、
その輪に数個の輪がかかっている。
歩く時に、その錫杖を地面に突くと
「シャ~ン。シャ~ン」という音になる。
あの音は、確かに錫杖の音だ・・・。
私が子供の頃、夜中の3時頃に
「シャ~ン。シャ~ン。」という音に目が覚めた。
何の音だろうと最初はわからなかった。
当時、妖怪などに興味を持っていた私は、
テレビ等で、そんな怪談話に出てくる
遊行僧の錫杖を見聞きし知っていた。
そのため、それが錫杖を突く音だとすぐに分かった。
しかし、なぜこんな住宅街に遊行僧がいるのだろう。
徐々に近づいてくる。音が近くに聞こえてくる…。
そして、錫杖を突いた後に、地面に引きずる音さえ聞こえるようになった。
「シャ~ン。カラカラカラ。シャ~ン。カラカラカラカラ。」
私の部屋は、私の家の敷地の西側にあるのだが、
遊行僧は、私の家の敷地に面した東側の通りを歩いている。
離れてはいるがハッキリと、その通りを歩いていることがわかる。
しかし、音は、そのまま通り過ぎ、少し先のところで止んでしまった。
閑静な住宅街でチョッと先に行けば大通りもある。
こんなところにも遊行僧がいるんだと感心していた。
数か月後、また、遊行僧の音がする。
また、その数か月後、同じことが…。
全部で4~5回は、あの音を聞いたかもしれない。
それも必ず3時頃で同じ方向から来て
同じ方向に去ってゆく。
ある日、また来た。
「シャ~ン。シャ~ン。」
音が近づいてくる。
気が付いた私は、
今まで恐ろしくて見ることが出来なかった
その姿を、意を決して見てみようと考えた。
雨戸を開ければ、そこには遊行僧の姿があるはずだ。
やっぱり、そうだったのかと納得して雨戸を閉める事になるはずだ。
一番近づいた時に、そ~っと雨戸を開けてみた。
私の部屋から東側の通りは良く見えるのだが、
そこには、誰もいなかった。
しかし、音だけが、
「シャ~ン。カラカラカラ。シャ~ン。カラカラカラカラ。」と響くのだった。
いつもの様に私の家を少し通り過ぎたあたりで、音が止んだ。
それ以降、その音を聞く事はなくなったが、
未だに、あの時の音の正体をつかめていない。
今、私の家は建て替えられ私の部屋は、
東側の通りに面している。
次に音が聞こえた時には…。
人生最初の日を覚えていますか?
私は覚えているんです。
赤ちゃんとして生まれた時の事ではないですよ。
意識が始まった日です。
つまり、自分という意識がスタートした日です。
私は、何歳だったんでしょうか?
まだ、幼稚園に通っていなかった時でしたので
3~4歳くらいの時でしょうかね。
それは、朝でした。
暗闇の中から目が覚めるかのように、
ぼんやりと周囲が見えるようになってきました。
昔の家の寝室、兼、父の部屋の襖の前でした。
そこで、私は、誰かの右肩に左手で捕まって、
その人に、下着を履かせてもらっているころでした。
その人は、私に下着を履かせているため下を向いていて
頭だけが私から見えてました。
その人を見て、こう思いました。
「この人が、自分のお母さんなんだろうか?
多分、そうだ。試に呼んでみよう。」
私:「ママ~」
母:「ん?なに?」
私:「何でもない。」
「そうか、この人が、自分のお母さんなんだ。」
この時の思考は、完全に大人でした。
この後、大人の思考は隠れ、子供としての生活が始まりました。