ウルトラマン・Hの ひとりごと -28ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

岩谷時子作詞、宮川泰作曲で、1963年カテリーナ・バレンテが初来日した時にレコーディングされました。

カテリーナ・バレンテは、スペイン人の父とイタリア人の母との間に生まれたハーフです。

そのお陰かどうか知りませんが、彼女は語学に達者で、スペイン語、イタリア語はもちろん、英語、仏語、そして、日本語まで話せたそうです。キスマーク


この曲「恋のバカンス」は、日本ではザ・ピーナッツのハーモニーで有名ですよね。

オールディーズを演奏するバンドにとっては、デュエットの定番ではないでしょうか。チョキ


1963年頃と言いますと、日本は高度経済成長期に突入したばかりで、一般のサラリーマンはカジュアルファッションなんぞには縁が無く、スーツにネクタイ姿で遊園地なんぞに遊びに行っていた時代なんです。

この曲が巷に流れ始めた頃、日本人の多くがこう思っていたのです。


フランスには「バカンス」という名の長期間の休暇があって、夏になるとパリの街から人が居なくなるそうだ。

そう言えば、アメリカにも「ヴァケーション」という名の長期休暇があるそうだよ。

ヨーロッパやアメリカの人達はいいよねぇ、こんなに休みがあって・・・。


そんな話をわずかな休憩時間に友と語り合いながら、日本人はあくせくと働いていたわけです。

働き過ぎニッポンは、この時から始まったのかなあ。DASH!


ところで、ザ・ピーナッツと言えば、伊藤エミさん、ユミさんの双子のデュオなんですけど、1959年に「可愛い花」でデビューしました。

二人が奏でるハーモニーは、抜群の歌唱力も相まって、それは素晴らしいものでした。

ピーナッツ以降、沢山の双子デュオが出ましたが、ピーナッツ以上の音楽的才能を持った双子デュオは、今のところお目にかかっていません。

ザ・ピーナッツが発売したアルバムは、総売上が1000万枚を軽く超えると言います。ビックリマーク


ちなみに、ほくろのある方がエミさんで、ない方が妹のユミさんだったかな?

沢田研二さんと結婚したのは、・・・? はて、どっちだったかしら・・・。


僕は、あの唄、「モスラ~や、モスラ~」の、映画「モスラ」に出てきた小人役が忘れられません。

台詞も見事にデュエットしてましたよね、懐かしいなあ~!ドキドキ


「恋のバカンス」、大事にしたい1曲です。(^O^)/


つづく


「ルイジアナ・ママ」は、1961年ジーン・ピットニーがリリースした曲です。

実はこの曲、「星影を歩こう」っていう曲のB面としてリリースされたものでして、発売当時米国ではさっぱりヒットしなかったのです。キスマーク


1962年に飯田久彦がカバーしたところ、たちまち日本で大ヒットしてしまいました。

おかげで、米国ではほとんど無名だったジーン・ピットニーが、たちまち有名人になってしまったと言います。

彼は日本に足を向けて寝られないと思うなあ。むかっ


飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」は、実はセカンド・シングルなんですね。

彼のデビュー曲は、デル・シャノンのカバー曲「悲しき街角」で、これも大ヒットしたのですよね。耳


デル・シャノンと言えば、「街角シリーズ」で人気を集めた60年代を代表するシンガーです。

出世作は何と言っても、「悲しき街角」ですよね。

デル・シャノンがキーボード奏者のマックス・クロックと合作したデビュー曲で、1961年に発表されて、全米で4週間1位を記録しました。合格


もともとのオリジナル曲はオルガンのインストル・メンタルで、デル・シャノンがボーカル・バージョンにアレンジしたものです。

原曲のタイトルは、「ランナウエイ」でしたが、当時日本人は英語に親しみがなかったこともあって「悲しき街角」となったそうです。

このシングル盤は、1日に8万枚程度のペースで数日間売れ続けたといいますからビックリです。目


1980年代になって、あのドゥー・ワップの元祖シャネルズが「ランナウエイ」という同じタイトルの曲を発表して大ヒットしましたね。

その頃になってやっと、外来語に対して抵抗が無くなったのかな?


どちらの曲もオールディーズ・ファンには外せない名曲ですよね。ニコニコ


つづく





言わずと知れた1962年、カバーされて大ヒットした弘田三枝子の代名詞とも言える曲ですね。

オリジナルはコニー・フランシスで、全米で9位のヒットでした。

比べて聴いてみると分かるのですが、コニーはちょっと艶っぽいヴォーカルで、ミコちゃんはパワー全開でパンチの効いたボーカルになっています。


ヴァケーションがカバーされる前、中尾ミエが唄うこれもカバー曲の「可愛いベイビィ」がヒットしていて、ポップスのファン層が少年少女にまで広がってきた頃に、この「ヴァケーション」がカバーされました。

そのため、オリジナル曲を知らない子供でも「V・A・C・A・・・」と口ずさむほどで、一種の流行語になりました。

また、英語がニガテな中学生も、この単語だけは書けるようになったと言うほどの、大ヒットだったのです。


ミコちゃんの唄う歌詞は、「春・夏・秋・冬」が全部出てきますが、コニーが唄う歌詞には、「夏」しか出てこないことにお気づきでしょうか。

漣健児さんが訳詞をしているのですが、作詞の妙と言いますか、キラリとしたセンスを感じますね。


さて、1964年になってあのザ・ビートルズが登場してきてから、カバーポップス界はカバーの対象曲を徐々に失っていき、瞬く間にカバーポップス黄金時代は終焉となってしまいました。


弘田三枝子は、オールディーズ期のカバーソングを唄っていた日本人の中では最高峰のひとりと言えると思います。


僕は、デビュー当時のポチャッとしたミコちゃんが大好きでした。

変身しないでいて欲しかったなあと思います。

でも、歌声は今も変わりません。

とっても素敵ですよね。


つづく

日本のロックシーンは、1950年代のロカビリー時代を経て、1960年代に入ってカバー・ポップスの黄金時代を迎えることとなります。

ちょうどその頃、急速に普及し始めたテレビというメディアも手伝って、全国のお茶の間へと浸透していくわけですが、そこに出現したのが10年に一人の逸材と言われる女性シンガー、「ミコちゃん」こと「弘田三枝子」さんなのです。


彼女は小学校の頃から米軍キャンプなどで唄っていただけあって、その歌唱力、パンチ、リズム感は、どれを取ってもズバ抜けていました。

あの唸るような太い声、思い出すと今でも体が震えます。

当時、外国の楽曲を全く違和感無く日本語の歌詞で唄うことのできたシンガーは、彼女をおいて他に居なかったと思うのは僕だけでしょうか。


デビューは1961年、「子供ぢゃないの」と「悲しき片思い」のカバー曲のカップリングで、両面ヒットとなりました。

弘田三枝子14歳の時でした。

オリジナルは2曲とも英国のシンガー、ヘレン・シャビロのデビュー曲で、偶然にもヘレンのデビューも14歳でしたね。


ここで面白いのは、ヘレン・シャビロのアルバムタイトルは、「子供じゃないの」と「悲しきかた思い」となっていて、弘田三枝子のそれとはそれぞれ1字違いになっているのです。

商業的な戦略があったのかどうなのかは分からないのですが、面白いですよね。

ちなみに、ヘレンの唄った「悲しきかた思い」は、全英でナンバー1ヒットになりました。


ヘレン・シャビロと言えば、彼女がデビューした当時、家は裕福ではなかったそうで、会社から貰ったデビュー・アルバムを聴くのに、近所のお金持ちの家からプレーヤーを借りてきて聴いたそうで、何とも泣かせる話しです。


弘田三枝子と言えば、「ヴァケーション」が代名詞ですよね。

この曲を語らずしてミコちゃんは語れません。

では次回は「ヴァケーション」ということで・・・。


つづく



1958年にチャック・ベリーが発表したロックンロールのスタンダード・ナンバーの中でも名曲中の名曲です。

チャック・ベリーは、当時、誰も聞いたことのなかった特徴的なギター・リフを使って、音楽スタイルを180度変えた、偉大なシンガーでもありギタリストでした。

彼がその後のミュージシャン達に多大な影響を与えたことは、言うまでもありません。

彼は、世界のミュージシャンが崇拝する偉大なるロックンロールの創始者なのです。


「ジョニー・B・グッド」の内容はというと、ニューオリンズの森の中で暮らしながらギタリストになることを目指す少年をテーマにしたもので、チャック・ベリー自身のことを唄ったものではないかと言われています。


3番の歌詞に出てくるお母さんから言われた言葉が興味を引きます。

   いつかお前も大人になって、バンドのリーダーになれるさ。

   遠くから沢山の人達が、お前の演奏を聞くためにやって来るよ。

   いつの日か、お前の名前がライトアップされるかも知れないね。

   今夜のショーは、「ジョニー・B・グッド」ってね。

これはまさしく、その後のチャック・ベリーの姿を暗示している歌詞ですよね。


「バック・トゥー・ザ・フューチャー」を観たことがあると思いますが、その中で1955年にタイムスリップした主人公が、指を怪我してギターが弾けなくなったギタリスト、マービン・ベリーの代役として、ダンス・パーティのステージでこの「ジョニー・B・グッド」を演奏するシーンがありますよね。

この時、マービン・ベリーはチャック・ベリーの兄弟という設定で、マービンが電話の受話器越しにチャックに演奏を聴かせるシーン、覚えてます?

これからいくと、チャック・ベリーは、実は、未来から来た主人公の演奏を聞いて、この名曲を創ったことになるわけで、本当はカバー曲だったというオチなんですかねえ。

でも、良く出来たストーリーですよね。(ちょっと余談になりました。)


つづく