ウルトラマン・Hの ひとりごと -27ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ジャガジャガジャンジャガジャガジャ~ン! ジャガジャガジャンジャガジャガジャ~ン!・・・・

ギターのコード・カッティングで始まるかっこいい曲「ヴィーナス」おとめ座

オランダで生まれたロック・グループ、「ショッキング・ブルー」が、1969年に発表したシングルです。

グループでギターを弾いていたロビー・ファン・レーベンが、作詞、作曲しました。


ビルボード誌では、1970年に週間ランキング1位になっています。

面白いことに、ヨーロッパ各国ではチャート1位を取っているのに、本国オランダでは、最高位3位なんですね。

とりあえずは、ショッキング・ブルー最大のヒット曲と言っていいと思います。ドンッ


ショッキング・ブルーは、1965年にデビューしました。

ロビー(ギター)、コーネリス(ドラム)、クラーシェ(ベース)、フレット(ボーカル)の4人グループでした。

1968年に女性ボーカルの「マリスカ・フェレス」が参加して、一気に売れ始めます。カラオケ


スイスのあるディスコでこの「ヴィーナス」を流したところ、たまたまそこへ来ていたアメリカの音楽プロデューサー、ジェリー・ロスが聴いていて、アメリカで紹介したところ、爆発的な大ヒットになったのでした。


日本人もこの曲をカバーしていて、1986年に長山洋子さんがリリースして、40万枚のヒットとなりました。

他に、黒澤ひとみさん、荻野目洋子さんもカバーしていますね。

最近では、深見梨加さんや倖田來未さんが、自分のアルバムに収めているようです。


ツンク♂が作って、モーニング娘が唄った「ラヴ・マシーン」っていう曲、何だかショッキング・ブルーのヴィーナスを彷彿とさせるメロディだとは思いませんかはてなマーク

きっと、かなり参考にしているのではないかなあと、僕だけが思っています。!?


ボーカルのマリスカ・フェレスは、2006年、惜しくも癌のためこの世を去りました。(ノ_-。)


「ヴィーナス」、オールディーズ・ファンには外せない1曲ですね。( ̄▽ ̄)=3

もちろん、我がバンドでも演奏していますよ。


つづく





大好きなバンドに、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」というのがあります。

日本語に訳すと、「清涼飲料水復活」ってことなんでしょうか。

長い名前なので、略称で《C.C.R》と呼んでいます。

1968年にデビューした、米国南部の泥臭いカントリー・ロック・サウンドを聴かせてくれるバンドです。

「プラウド・メアリー」「雨を見たかい」と言えば、(あれか!)と思い出す人も多いはずです。カラオケ


1969年の1年間に、「プラウド・メアリー」「バッド・ムーン・ライジング」「グリーン・リヴァー」「トラベリン・バンド」「ルッキン・アウト・オブ・マイ・バック・ドア」という5曲をヒット・チャートに送り込みました。

ところが、その5曲全部がベストテン第2位で、何故かNO.1を取れなかったのですね。

これって、米国では珍記録なんだそうですよ。叫び


4人グループなんですが、中心的なジョン・フォガティが、作詞、作曲から、リード・ギター、リード・ボーカルまで、何でも一人でやっちゃうものですから、目立たなかった兄のトム・ファオガティ(リズム・ギター)が、すぐ辞めてしまいました。

そのトムは1990年に、エイズで亡くなっています。享年48歳でした。


結局、デビューからわずか4年後の、1972年に解散してしまうのですが、ショックでしたねえ。流れ星

ジョンは、解散後、バンドのパートを全て一人でやってしまったアローン・アルバムを出したことがありますが、C.C.R.の時代から、彼は、何でも自分の思い通りにやらないと気がすまない性格だったのでしょうね。


ところで、C.C.R.の楽曲の中で、僕は、「雨を見たかい」が大好きです。

「俺は知りたい、お前は見たことがあるかい、天気の良い日に降り注ぐ雨を…」と言うような内容の歌詞なんですが、日本で言う「キツネの嫁入り」とかじゃなくて、実はこの曲は、ベトナム戦争への反戦歌で、唄っている「雨」は米軍が落とすナパーム弾のことだと言われていました。

ドクロ ドクロ ドクロ 爆弾

でも、後にジョン・フォガティが言ってました。

「陽が照っているのに雨が降ってくるのが見えた」、つまり、「黄金時代のC.C.R.に、雨が降り掛かってくるのが見えた」 これは、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの崩壊を予言する歌なんだ。

この曲は、1971年にシングルで発表されましたが、ビルボード誌では最高8位になりました。雨


解散後、10年くらい経って、ジョンは、1985年に「センターフィールド」というアルバムを突然発表しましたが、これはミリオン・セラーを記録しましたね。

また、同年にジョンのソロ・ライヴがあって、BSでも放映されましたが、昔のC.C.R.時代のヒット曲を沢山唄ってくれて、凄く懐かしく思いました。

いろんな種類のギターを、曲ごとにとっかえひっかえして、楽しそうに唄ってましたよね。


6月は「雨」の季節ですね。

我がバンドのライヴで、「雨を見たかい」が発表できるといいなと、目下練習中です。

ジャカジャ~ン! というギターのコードによるイントロも素敵ですよね。


クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、1993年、ロックの殿堂入りを果たしました。ベル


皆で唄いましょう!  Have you ever seen the rain, coming down, sunny day? Yeah!!!


つづく


エルヴィスは、1954年にデビューした、音楽史に最も影響を与えた人物の一人で、戦後米国の最大のスターです。

腰を妖しく振って唄う彼のスタイルは、「骨盤のエルヴィス」と呼ばれ、PTAからの抗議も物凄く、フロリダのショーでは、「身体をクネクネと動かして唄ったら逮捕する」とまで言われて、警察官が見守る中、やむなく小指だけをクネクネさせて唄ったというエピソードがあります。ラブラブ


また、エド・サリバン・ショーに出演が決まった時は、殺到する抗議の中、ついには上半身だけのバスト・アップでTV放映したという話は有名です。(^∇^)


さて、3回シリーズの最終回は、世界で最も成功したソロ・アーティスト、エルヴィス・プレスリーの功績をたどってみることにしましょう。


彼は、最も長時間、ベスト1にエントリーされましたが、それが何と80週間でした。

ちなみに、2位はマライヤ・キャリーの79週間です。 (@_@)


彼は、最も長期間、NO.1アルバムをチャートに送込みました。

それは、1956年から2002年までの何と46年間です。 (゚Ω゚;)


彼は、世界で最も多くレコードを売りました。

はっきりした数は公式発表されていませんが、推定で30億枚以上と言われています。

(ちょっと想像がつきませんなあ) ≧(´▽`)≦


彼は、1日で最も多くレコードを売りました。

その数、2000万枚を越えますが、それは、1977年8月17日、彼が亡くなった翌日のことでした。 \(゜□゜)/


グレイスランドに彼のお墓がありますが、今でも年間70万人が訪れており、米国の国定史跡に指定されています。 (+_+)

  

没後、最もレコードの売り上げが多いのも彼で、追悼版が発表された2001年から2008年までの間、毎年50億から60億円の売り上げがあったと言います。 ∑(゚Д゚)


スターのサインで最も価値があるのも彼で、ちなみに2位は、ポール・マッカートニーです。 (*_*)


面白い記録にTVの最高視聴率というのがあって、1968年NBC・TVでのスペシャル番組は、何と72%を記録しました。 ((>д<))


さて、エルヴィスは、1967年5月、プリシラと結婚恋の矢 翌年2月、長女リサが誕生しましたラブラブ が、1973年10月、離婚してしまいました。ハートブレイク  

その時の慰謝料が、何と175万ドルでした。


何から何まで超ビッグなスーパー・スター、エルヴィス・プレスリー。

彼は、僕の記憶の中から消えることはないでしょう。

生きているかもしれないエルヴィスを探す旅に出るのもいいかも・・・!? 

な~んちゃって!!


つづく





エルヴィスは、実は酒も煙草もやりませんでした。

ライブのインターバルで飲んでいたのは、水やゲータレードでした。


また、米国南部の貧しい地域で生まれた彼は、母が作ってくれる大量のバターを引いたフライパンで焼いたピーナッツ・バターとバナナのサンドイッチが、大好物だったそうで、これが後の肥満の一因かも知れません。

メタボの方、油分の摂取過多には、お互い気を付けましょうね!!


彼は、まるで日課のように多方面に多くの寄付をしたそうです。

「1日に100万$使い続けても使い切れないよ!」とぼやいていたと言いますから、羨ましい限りです。


「世界中でファースト・ネームだけで通じる者は二人しか居ない。」という有名な言葉がありますが、その二人とは、ジーザス・クライスト「イエス」と「エルヴィス」なのです。


メンフィスのグレイスランドの前の大通りは、「エルヴィス・プレスリー・ブールバード」と銘々されています。


世界中の彼のファンやファンクラブからの募金だけで運営されている病院がメンフィスにありますが、「セイント・パブロ・プレスリー記念病院」と言います。


彼は、あのボクシングのモハメド・アリと交流があったらしくて、ある時アリに金色のリング用マントをプレゼントしたそうです。

それをアリが初めて着用した試合でアリが負けてしまい、それ以後そのマントを着ることはなかったと言います。

アリはそのマントを宝物として生涯大切にしたそうです。

アリもエルヴィスに金色のサイン入りグローブをプレゼントしました。ひらめき電球


スポーツで思い出しました。

「B・A・R」というF-1のチームがありますが、そのオーナーが中古車屋でかなり古いハーレー・ダビットソンを見つけて、60万円で購入しました。

しかし、乗り回す前に故障してしまったので、修理をしようとしてシートを開いて見てびっくり。叫び

シートの裏には、「親愛なるジェームス・ディーンへ」と書かれていて、エルヴィスのサインがあったのです。

オーナーがすぐオークションに出したところ、1億2千万円の値がついたそうです。チョキ


実は、彼はジェームス・ディーンの大ファンだったそうで、彼が映画俳優を目指した一因でもあります。

でも、映画は挿入歌の入った作品ばかりで、シリアスな演技を目指していた彼はがっかりしたと言います。

しかし、ファンは熱狂し、挿入歌を集めたアルバムは飛ぶように売れました。

ちなみに、彼は、1956年から1969年までに31本の映画に主演しています。

その中でシリアスな演技をした作品は、たった1本しかなかったそうです。しょぼん


つづく





オールディーズを語る中で、どうしても避けて通れないのが、このエルヴィス・プレスリーです。

書きたいことが山ほどありますが、面白そうなエピソードをお話したいと思います。ドキドキ


エルヴィスは1935年1月8日、ミシシッピー州テュペロという貧困地帯に生まれました。

今、もしも、生きているとすると、え~っと、74才ですかね。

残念ながら、1977年8月16日、心臓発作によって死亡、享年42才でした。

これって男の厄年ですよねえ? 厄年の方、ネクタイでも買ってお気を付けくださいませ。汗


エルヴィスは、黒人のリズム&ブルースと、白人のカントリー&ウエスタンを融合させて、それまでにない全く新しい音楽「ロック」を誕生させました。

この音楽的功績は大きいと思います。

彼は、黒人音楽のリズム&ブルースの黒人特有のリズムと発声を表現出来る白人歌手であり、カントリー&ウエスタン・ミュージックの中で育っており、ゴスペルの熱狂を身体で表現出来る、不世出の才能を持っていました。得意げ


初のレコーディングは1953年で、母グラディスの誕生日のお祝いとしてメンフィスで録音された、「マイ・ハピネス」というバラード曲でした。

たまたまそのスタジオに、ブルースやリズム&ブルースが唄える白人歌手を探しに来ていたサム・フィリップスの耳にエルヴィスの歌が止まります。

1954年、リハーサル中にエルヴィスがギター片手に「イッツ・オールライト・ママ」をアドリブで唄い始めました。

慌ててベーシストが加わってドラム不在の演奏になりましたが、それをサムがこっそり録音してしまいます。

B面に「ブルー・ムーン・ケンタッキー」を入れた「イッツ・オールライト・ママ」がラジオで放送されるや、たちまちメンフィスでヒットしてしまいました。

この時、ラジオを聴いた人達は、黒人歌手が唄っているものと信じて疑わなかったといいます。!?


1956年、ナッシュビルで「ハート・ブレイク・ホテル」をレコーディング、これが全米NO,1に輝きました。

その時のレコーディング・スタッフの中に、カントリー・ギターの神様「チェット・アトキンス」が居たそうです。


エルヴィスは生涯700曲を越える楽曲を録音していますが、彼は俗に言う一発録りを好んだと言われ、彼の楽曲のほとんどがこの(ダイレクト・カッティング)だったと言います。目


偉大な大スター、エルヴィス・プレスリーについては、とても1000字では語り尽くせませんね。

そうですねぇ、3回のシリーズということでいきましょうか。

そんなこんなで、では次回に…。DASH!


つづく