ウルトラマン・Hの ひとりごと -26ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

溜まりに溜まったカセット・テープを整理していたら、懐かしい1本が出てきました。ヘッドフォン


テン・イヤーズ・アフター」というバンド名をご存知でしょうか。

1965年に英国に登場した、どちらかと言うとブルース系のロック・バンドです。

その中でギターを弾いていたのが、「アルヴィン・リー」というギタリストです。カラオケ


「テン・イヤーズ・アフター」と言えば、「アルヴィン・リー」の速弾きギターなんですね。(@_@)


今でこそ、アル・ディメオラやマイケル・シェンカー、ジョン・ペトルーシ、異色ではエリック・ジョンソンなど、速弾きギタリストは沢山居ますが、1960年代に登場した中では、アルヴィン・リーほど速く弾けるギタリストは居なかったのです。(私はそう思っています。)


1969年、あの伝説の「ウッドストック・フェスティバル」に登場するや、演奏を始めた曲「アイム・ゴーイング・ホーム」の速弾きに、観衆は度肝を抜かれたのでした。(=◇=;)


ギターの速弾きは、音楽的表現のひとつに過ぎませんが、ライヴのパフォーマンスという意味では、誰よりも速く弾けるという魅力は十分ありですね。

アルヴィン・リーは、その速弾きのテクニックを、ロック・ミュージックの表現方法のひとつとして取り入れた先駆者と言えます。

実際に彼は、ブルースを基本にするブリティッシュ・ロックに、リズム&ブルースやジャズのスケールを取り入れた演奏を展開していました。グッド!


彼らのアルバムを聞いていると、う~ん、何だか疲れてきちゃって、最後まで聞きたくな~い!(何故だろう?)

!?

私は、「アイム・ゴーイング・ホーム」の他に、「夜明けのない朝」、「ラヴ・ライク・ア・マン」が好きですね。


ああ、そうか・・・、テン・イヤー^ズ・アフターのアルバムの中には、1~2曲しか良いなって思える曲が無いんですね。(やっと分かりました、聞いてて疲れる訳が・・・。)  

(;^_^A


「テン・イヤーズ・アフター」というバンド名は、「10年経ってもバンドが続いているように」という願いから付けられたそうです。

でも、1974年、10年まであと1年を残して解散してしまいました。爆弾


アルヴィン・リーは、今でもソロで活動しているようですね。


ひとつのカセット・テープが、懐かしいあの日に、私を引き戻してくれました。

(^-^)ノ~~

音楽って、これだから良いんですよね。


アルヴィン・リーの「アイム・ゴーイング・ホーム」、ライヴ盤は演奏時間が10分の圧巻です。

是非、機会があったら聞いてみてください。


つづく





先日TV観ていたら、ああ懐かしや、中尾ミエさんが出ていました。目


中尾ミエさんは、私と同じ6月生まれ、本名は「中尾みね子」(漢字知らないです)と言います。

福岡県北九州市小倉区の出身です。(彼女の生まれた頃は、小倉市と言っていたかも・・・、でも、これを言ってしまうと、歳が分かっちゃいそうですね)

年齢はさておいて・・・。


彼女は、1958年、東京学芸大付属中学時代にスカウトされ、1961年に渡辺プロと正式契約して、園まりさん、伊東ゆかりさんと3人で、女御三家の元祖、「スパーク3人娘」を結成しました。キスマーク


彼女の歌唱力はバツグンで、アメリカンポップスを得意としていました。


1962年、16才の時に発表したのが、「可愛いベイビー」です。カラオケ

これは、コニー・フランシスがアルバムの中の1曲として発表した楽曲で、米国ではシングル発売はされていませんし、ほとんど無名曲でした。

日本では、複数の歌手の競作になりましたが、中尾ミエさんが唄ったレコードは、100万枚を売り上げる大ヒットとなりました。ベル

この曲、発売当時は、「可愛いいベビー」とタイトルされていたそうです。


彼女の発表した楽曲は、「可愛いベイビー」の他には、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」や、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」といったカバー曲がありますね。

そう言えば、彼女のオリジナル曲って、何があったけなあはてなマーク

知ってる人が居たら、教えてください。


中尾ミエさんというと、「シャボン玉ホリデー」とか「ドリフの大爆笑」に出演していたのを思い出します。

今思い出しても、歌謡番組というよりは、バラエティ番組やドラマによく出演していたように思います。

私には、そちらの印象の方が強いんですけどね、ホントは歌手なんですよね。


予断ですが、名前の「ミエ」つながりということで、三重県の観光キャンペーンで、TVコマーシャルに出たことがあるそうです。


「可愛いベイビー」はもちろん、我がバンドのレパートリーです。


つづく






オールディーズのもう一人の大御所、「ニール・セダカ」

彼は、幼い時からピアノを習得、同じアパートに住んでいたハワード・グリーンフィールド(作詞家)とコンビで、曲作りを始めます。


ハイスクール時代に、トーケンズを結成して、「ライオンは寝ている」を発表、ヒットさせました。クラッカー


1958年、コニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」で注目を集め、ソロ歌手としてデビューすることになりました。


そして、1959年、名曲「おお キャロル」を発表、全米チャート9位になりました。ドキドキ

この曲の「キャロル」とは、当時ガールフレンドだった「キャロル・キング」のことで、彼女に捧げたラヴソングだったのです。

この曲、日本では、1960年にミッキー・カーチスさんがカバーしてヒットしましたね。

後に、キャロル・キングも、「おお ニール」というアンサーソングを発表しています。


面白いのは、この「おお キャロル」のB面で、「恋の片道切符」が収められていました。地下鉄

ところが、この「恋の片道切符」は、米国では全くの無名曲でして、日本だけでしかヒットしていないのです。

もちろん作曲も、ニール・セダカではありません。

ですが、哀愁に満ちたメロディーが日本人に受けたのでしょう、ニール・セダカの唄った曲の中では、この曲が一番のヒット曲になりました。音譜

当時ヒットしていたポップスの題名がいっぱい歌詞の中に出てきて、聞いていて楽しくなりますね。

日本では、確か平尾昌晃さんがカバーしていたと思います。


ニール・セダカは、その後も、「カレンダー・ガール」「すてきな16才」「ボーイ・ハント」「小さい悪魔」・・・云々と、次々とヒット曲をチャートに送り込み、ポール・アンカと並ぶトップアイドルとなったのでした。目


ニール・セダカの曲は、母国米国でも沢山ヒットしましたが、メロディが日本人受けするのか、ほとんどの曲に邦題が付いていて、ほとんどの曲が日本でカバーされています。


1963年、ビートルズの米国上陸の影響で、ニール・セダカは長い低迷期に入ります。

しかし、1974年「雨に微笑みを」、1975年「バッド・ブラッド」(エルトン・ジョンが歌で参加しています。)が、全米第1位となりました。 (^O^)/

そして、同年、キャプテン&テニールに提供した「愛ある限り」が、これまたチャート第1位となって、ここに復活を果たしたのです。 (^-^)/

「愛ある限り」は、グラミー賞の最優秀レコード賞を受賞していますが、この曲のバック・コーラスに、「セダカが帰ってきたよ」という歌詞が、ニールの完全復活を祝うように聞こえてきます。叫び

ニールは、売れない時期は、これだけの才能と実績があるのに、前座やドサ周りをやっていたそうですから、芸能界って厳しい世界なんですねえ。 (;^_^A


1985年、TVアニメの「機動戦士Zガンダム」のテーマ・ソング「水の星へ愛をこめて」を作曲しています。

この曲は、森口博子さんのデビュー曲なんですね。


我がバンドでも、ニール・セダカの曲をレパートリーに持っていますが、日本人に受けが良いのでしょう、リクエストも多いですね。


つづく




オールディーズの大御所と言えばこの二人、「ポール・アンカ」と「ニール・セダカ」ですね。

どちらもポップス界を代表するシンガーソングライターなのです。


まずは「ポール・アンカ」ですが、彼はアメリカ人と思っていたら、実はカナダ人だったのですね。

1990年にアメリカの市民権を獲得していました。


ポ-ル・アンカと言えば、「ダイアナ」です。音譜 

これは、1957年に発表したデビュー曲なのですが、巷に流れるやたちまち大ヒットして、ビルボード第1位となりました。

イギリスでも9週間連続で第1位を独走する大ヒットとなったのでした。


当時、彼の弟妹のベビィシッターだった「ダイアナ・アユーブ」という、3才年上の女性への片思いを綴った歌と言われています。

「ダイアナ」は、まさにポール・アンカの出世作と言えます。アップ


1962年、彼は、映画「The Longest Day」に出演し、この映画のテーマソングを作曲しています。

その邦題タイトルが、あの「史上最大の作戦」なんです。

ちなみに、この日本語のタイトルは、映画評論家の水野晴郎さんが意訳したそうですよ。映画


彼は、1960年半ばまで、「君はわが運命」「ロンリー・ボーイ」「マイ・ホーム・タウン」「電話でキッス」・・・と、ヒットを連発するのですが、その後ヒット曲に恵まれず、消えるように低迷していきます。


そして、1974年、あのフランク・シナトラが引退するという噂を聞き付けて、彼は、シナトラのために、「マイ・ウェイ」を提供しました。

これは、とあるシャンソンの曲の歌詞を英詩に書き直したものなんだそうです。

その年、「二人のきずな」をチャートの1位に送り込み、長い沈黙から復活したのでした。ロケット


田原俊彦が唄ってヒットした「さらば・・・夏」は、ポール・アンカの書き下ろしで、日本歌謡大賞を受賞しました。


ポール・アンカは、2008年9月26日の朝、フジTV系の「とくダネ」に生出演して、「ダイアナ」他2曲をメドレーで唄ったそうです。

その時、「ダイアナ」のサビの部分を司会の小倉智昭さんに歌わせるサービスを行ったと、ウィキペディアに書いてありましたので、引用して紹介しておきます。


ポール・アンカの楽曲はバラードが多いので、我がバンドでは、「ダイアナ」しかレパートリーはありませんが、オールディーズには欠かせない1曲ですよね。ラブラブ!


そんな訳で、次回は「ニール・セダカ」を語ってみましょうね。


つづく






実家の親父が具合悪くなって、ちょっと2日ばかり田舎(大分県竹田市)に帰ってきました。

アメーバ見れなくて残念だったけど、そんな事は言ってられませんよね。

で、帰り道、FM放送を聴いていたら、聞こえてきたんです、「テキーラ・モッキンバード」が・・・。ヒヨコ

1977年に、ラムゼイ・ルイスが発表した楽曲で、その昔、某FM局のテーマ・ソングに使われていました。

凄く懐かしくて、聴き入ってしましました。コスモス


この曲、実にメロディアスで、聴いていて気持ちが良い。

全米ジャズチャートで3位を記録したことがあるそうですが、ジャズと言うよりは、どっちかと言うとイージーリスニングですかねえ。


曲名の「テキーラ」とは、ご存知のとおり、メキシコ産の竜舌蘭から造られる蒸留酒です。

カクテルにすると美味しいですよね。ワイン

なにしろ度数が高いので、とても生地では飲めませんが、喉を守るために、ソルトを舐め、ライムを口の中で絞りながら飲むのが正統派の飲み方だとか。

気取ってんじゃねえよ!  ・・・てか?


「モッキン・バード」とは、そのテキーラをベースにしたカクテルの一種なのですが、この名前の鳥が居るのです。

和名を「マネシツグミ」といって、メキシコ周辺に生息していて、他の鳥の鳴き声を真似して鳴く、おかしな鳥なのです。

そうそう、「モッキン・バード」って、日本語で「物まね鳥」と訳すんですね。ペンギン


話が横道に逸れてしましました。


「ラムゼイ・ルイス」は、1956年にデビューした、こてこてのジャズ・ミュージシャンです。

彼は、1980年頃から流行りだす、「フュージョン・ミュージック」の草分け的な存在でもありました。

たしかグラミー賞も取ったことあるんじゃなかったかなあ。


ラムゼイ・ルイスの「テキーラ・モッキンバード」、機会があったら聴いてみてください。

オールディーズじゃないけれど、おすすめの1曲です。虹


つづく