ニール・セダカと「おお キャロル」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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オールディーズのもう一人の大御所、「ニール・セダカ」

彼は、幼い時からピアノを習得、同じアパートに住んでいたハワード・グリーンフィールド(作詞家)とコンビで、曲作りを始めます。


ハイスクール時代に、トーケンズを結成して、「ライオンは寝ている」を発表、ヒットさせました。クラッカー


1958年、コニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」で注目を集め、ソロ歌手としてデビューすることになりました。


そして、1959年、名曲「おお キャロル」を発表、全米チャート9位になりました。ドキドキ

この曲の「キャロル」とは、当時ガールフレンドだった「キャロル・キング」のことで、彼女に捧げたラヴソングだったのです。

この曲、日本では、1960年にミッキー・カーチスさんがカバーしてヒットしましたね。

後に、キャロル・キングも、「おお ニール」というアンサーソングを発表しています。


面白いのは、この「おお キャロル」のB面で、「恋の片道切符」が収められていました。地下鉄

ところが、この「恋の片道切符」は、米国では全くの無名曲でして、日本だけでしかヒットしていないのです。

もちろん作曲も、ニール・セダカではありません。

ですが、哀愁に満ちたメロディーが日本人に受けたのでしょう、ニール・セダカの唄った曲の中では、この曲が一番のヒット曲になりました。音譜

当時ヒットしていたポップスの題名がいっぱい歌詞の中に出てきて、聞いていて楽しくなりますね。

日本では、確か平尾昌晃さんがカバーしていたと思います。


ニール・セダカは、その後も、「カレンダー・ガール」「すてきな16才」「ボーイ・ハント」「小さい悪魔」・・・云々と、次々とヒット曲をチャートに送り込み、ポール・アンカと並ぶトップアイドルとなったのでした。目


ニール・セダカの曲は、母国米国でも沢山ヒットしましたが、メロディが日本人受けするのか、ほとんどの曲に邦題が付いていて、ほとんどの曲が日本でカバーされています。


1963年、ビートルズの米国上陸の影響で、ニール・セダカは長い低迷期に入ります。

しかし、1974年「雨に微笑みを」、1975年「バッド・ブラッド」(エルトン・ジョンが歌で参加しています。)が、全米第1位となりました。 (^O^)/

そして、同年、キャプテン&テニールに提供した「愛ある限り」が、これまたチャート第1位となって、ここに復活を果たしたのです。 (^-^)/

「愛ある限り」は、グラミー賞の最優秀レコード賞を受賞していますが、この曲のバック・コーラスに、「セダカが帰ってきたよ」という歌詞が、ニールの完全復活を祝うように聞こえてきます。叫び

ニールは、売れない時期は、これだけの才能と実績があるのに、前座やドサ周りをやっていたそうですから、芸能界って厳しい世界なんですねえ。 (;^_^A


1985年、TVアニメの「機動戦士Zガンダム」のテーマ・ソング「水の星へ愛をこめて」を作曲しています。

この曲は、森口博子さんのデビュー曲なんですね。


我がバンドでも、ニール・セダカの曲をレパートリーに持っていますが、日本人に受けが良いのでしょう、リクエストも多いですね。


つづく