プログレス学習教室 橿原市 -90ページ目

プログレス学習教室 橿原市

近鉄南大阪線、橿原神宮西口駅南出口から西へ徒歩2分のプログレス学習教室は、たのしく勉強できる小さな学習塾です

きょうはなかなかのお天気で
桜のつぼみがすっかり緑になりました
もうすぐ咲きますね
ほんとうに楽しみです

このブログではなるべく思想的や政治的なテーマは取り上げないようにしていたのですが
これは避けて通れない気がしています
大坂の公立中学校の校長先生が、朝礼で、「女性にとって最も大切なことは二人以上子供を産むこと」と「講話」なさったという話題です

ご本人が、話が切り取られてゆがめられているとおっしゃっているようなので
全文と思われるものを読んでみましたが
どう読んでも
「このまま少子化が進むと日本の将来の存亡の危機だから、少子化を止めるために、女性は子供を二人以上産むことをキャリアアップよりも優先すべきだ」
としか読めません
女性は子供を産むことができるのだから、心身ともに健全にしておきましょうねとか
そんな話ではないのです
「二人以上」と、具体的に数字を出されたわけですから
少子化をくい止めるために産む性を優先しろと聞こえます
つまり、全体のために個人を使えとおっしゃっているようなのです
これではまるで「国のために産めよ増やせよ」ではありませんか


子どもを産み育てる環境は大変厳しいものです
「保育園落ちた日本死ね」という切実な叫びがあるというのに
「二人以上産むことが最も大切」とは、なんという無神経でしょう
しかも、学問やキャリアを優先するから少子化が進んでいるのだと思っていらっしゃるようで
「子育てし終えてから大学に行くなり手に職をつけるなりするのがいい考えだ」とおっしゃっています
これでは、女子は男子と同じ道を歩むなと言われているのと一緒
性差別につながりかねません
それに、だいたい、中年の新卒を雇います?
働ける期間が10年以上短いんですよ?
仕事を覚えてようやくこれからというときにはもう定年間近です
いまの日本の社会で、子育てを終えて大学に行って、職に就けるとは思えません
あまり現実的な考えとは思えません

さらに腹立たしいのは
この内容を朝礼で高いところから生徒にむかって話されたことです
個人的にこういった考えを持たれるのは結構
先生仲間や友人同士で話されるのもかまいません
でも、これは、あきらかに偏った考えかたです
校長先生が朝礼で生徒にするべき話では、断じてありません
学校は学びの場で、会社や宗教団体ではないのですから

すみません
すこし感情的になりました
腹立ちついでに、組体操のピラミッドやタワーの話もしておきます
奈良県の小、中学校で、体育大会の組体操の練習で骨折した生徒さんが
たしか、11人いたそうです
成長期の骨折はいただけません
学校の授業で骨折するなど、事故ですよ
ピラミッドやタワーには達成感があるというのですが
一番下で硬いグラウンドに腕や膝をついて踏ん張っている子に達成感があるでしょうか
しかも、ピラミッドやタワーの完成した姿を自分の目で見ることはできないんですよ

よくがんばったとうれしそうに完成形を見ているのは体育の先生です
アンケートを取ったら、達成感に教師と生徒でずいぶん差があったそうです
ピラミッドやタワーはぜひ見直してほしいです
それより、日本体育大学でやっている「集団行動」のほうが、よほど感動的です

きょうは、脱線して、近ごろ腹立たしく思った話題をとりあげました
明日一日お休みして、また、古代史の世界に浸りたいと思います

きょう、福岡と愛知で桜の開花宣言が出ました
早いですね
そういえば、早咲きの氷室神社の枝垂れが咲き始めているそうです
桜の季節が来ましたね


このところまいにち貝吹山の話をしているように思うのですが
その貝吹山、中世には越智氏の本拠地となっていたそうで、
いまも貝吹山の南西辺りに越智という地名があります

中世は、だいたい鎌倉から戦国時代を指します
奈良盆地は貴族や寺社の荘園が入り乱れ、さらに盆地のはずれにはあちこちに国人が支配する土地がありました
有力な国人のひとつが越智氏です
さらに有力な国人だった筒井氏となんども衝突しています

見瀬城跡は越智氏の砦だったところでしょう
貝吹山から東へ丘陵地を下ったところに長い壁を築いていたようで、
白橿ニュータウンから近鉄吉野線の上を通る跨線橋につながる道路は
不自然に切通しのように左右が壁になっているのですが、
東側の壁はよく見ると石積みの城壁になっています(西側は殺風景なコンクリート壁です)
ほんとうに役に立ったのかなと思うほど、素朴な城です

見瀬城跡は公園として整備されていて、桜がきれいです

 

 

 

この時期どこの桜もきれいですよね
散歩が楽しみです


小学生4年生から中学3年生まで少人数制・個別自立学習の
プログレス学習教室

ソメイヨシノのつぼみが、気の早いものでは紅くなり始めています
花起こしの雨になりそうですね

橿原という地名ですが神武天皇の橿原宮に由来して市名が付けられたというのですが、
それでは橿原宮の橿原はどこからきているのか、
あいにく、勉強不足で、存じません
ただ、白橿だの甘橿(味橿(うまかし)ともいうそうです)だのという地名がありますから、
きっとおいしいドングリが採れる土地だったのでしょう
狩猟採集時代には、ドングリは重要な食料ですものね
橿原をカシワラとよぶ人がいらっしゃるのですが、カシハラと発音するのが正しいようです
どっちでもいいやんと、かつては思っていたのですが、カシワラと言われると、どうもやはり違和感があります
橿原神宮も、ぜひ、カシハラジングウと、古めかしく読んでください
ちなみに、ブドウとワインで有名な大阪府の柏原市はカシワラです
二上山をはさんで東と西によく似た地名があるのもおもしろいですね

以前、橿原・明日香・高取の墳墓は貝吹山山系に広がっているというお話をしたと思うのですが、
じつはすこし外れているのが、有名な石舞台古墳と、その近くにある都塚古墳です
どちらも方墳で、とくに都塚古墳は階段状のピラミッド型だったことがわかっています
石舞台古墳が蘇我馬子の墓、都塚古墳が蘇我稲目の墓と考えられているようです
方墳というあまりヤマトらしくない形、いかにも蘇我氏です
石舞台古墳は、野ざらしの石室が巨大で迫力ありますよね
周囲に桜や花桃が植えてあって、春はほんとうにきれいです
夜桜ライトアップもあります

ところで、貝吹山の北東尾根筋にある小谷古墳ですが、
石室に使われている石は、じつは石舞台古墳よりも大きいんです
そして、こちらも表土がなくなって(これは人為的に壊したといわれている石舞台とはちがって雨で流出したもののようですが)石室が露出しています


(小谷古墳は斜面にあって足場がよくないので、近づくのはあまりお勧めできません)

同じ丘陵地の南側には、益田岩船と呼ばれる巨石があります
(尾根伝いには行けないので、整備された山道に入り直してください)
竹林の中の、一段高いところに木立にうずもれるようにあるのですが、
これが、近づくのに一苦労
とちゅう鎖伝いに斜面をよじ登らなければならなかったり、
ちょっとしたフィールドアスレチックです
しかも、まわりが藪で、巨大すぎてレンズに収まりきらない・・・
上に、大きな四角い穴が二つ、見上げるほどの巨大な石です
何のための巨石なのかは、わかっていませんが
土地柄、おそらく石室の未完成品ではないかと思われます

小谷古墳は7世紀のものだそうです
岩船にしても、あの巨大な石をどうやって運んだんでしょう?
白橿中学校の西隣の細い道を山道に入ると、牽牛子塚(けんごしづか)古墳の裏に出ます
この墳墓は、斉明(皇極)天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓ではないかと考えられています(例によって、宮内庁の決めた「斉明天皇陵」は別のところにあります)
階段状になった八角墳で、凝灰岩の巨石を二か所くりぬいて石室を二つ設けています
巨石に二か所、穴?
岩船にも二つ穴があけられていたような・・・?
岩船と牽牛子塚古墳との距離は500メートルぐらい
なにか、お気に召さなかったのでしょうかねぇ
なにしろ斉明天皇は、土石工事が大好きで、あちこちに石の建造物をつくらせたり、水路を掘らせたりしたようですから、自分のお墓に対するこだわりは相当なものだったと思います
それにしても、硬い石に二つも大きな穴をあけるのですから、大変な労力だったことでしょう
ちなみに、斉明天皇は、天智・天武の母で、入鹿の首がぱーんと飛んだとき(645年乙巳の変、一般には大化の改新といっていますが)には、皇極天皇として位についていました
あんまり土木工事をさせるので、掘らせた水路をのちの世の人は「狂心の溝(たぶれごころのみぞ)」と呼んだそうです
狂心。。。人々のうんざりした顔が目に浮かぶようです

古墳めぐりは、桜から若葉の時期がいちばん
夏は藪蚊が凄まじくなります
周りをもうすこし整備してくれるともっといいのですけどね、橿原市さん




プログレス学習教室は3月21日お休みいたします
プログレス学習教室

 

 

 

きょうは暖かいですね
ヒノキが始まったようです

プログレス学習教室がある西池尻町は、畝傍南小学校区
中学は畝傍中学校に行くことになるんですが
ほんとうは畝傍南小学校よりも白橿北小学校のほうが近いんです
ところが、その校区の白橿中学校は、畝傍中学校よりもすこし遠いという、なんとも微妙な位置にあります
そのため、橿原神宮西口駅から橿原神宮前まで、一駅ですが電車で通学する生徒さんたちもいるようです

校区というのは、むずかしいものですよね
引っ越すときには、どの小学校、中学校になるのか、よく見ておかないと、あとで困ったなと思っても、気軽にかわるわけにはいきません
畝傍中学校は生徒数が増えているようですが
白橿中学校は、ニュータウンの高齢化がすすんでしまって、減少しています
生徒が急に増えるのも大変でしょうが、多かった生徒が少なくなるのも、困りものです
校舎に空き教室がたくさんあるのは、あまり気分のいいものではないでしょう
だからといって、校区の見直しはなかなかできるものではないようです
そのせいか、いびつな校区になっているなあと、思う地区もあります
通う生徒さんは大変ですが、
国会議員の選挙区定数見直しでもあれほど紛糾するのですから、生活基盤を変えるような校区の見直しはできないというのが本音かもしれません

いちど決定したらなかなか変更できないのがオヤクショの道理で
明日香村の平田梅山古墳が「欽明天皇陵」に指定されていますが
奈良県下最大の前方後円墳である丸山古墳をほんとうの欽明天皇陵だと考えている専門家も多いようです
丸山古墳については、蘇我稲目(馬子の父、入鹿の曽祖父)の墓という人もいますが、さすがに天皇を差し置いてそれより大きな墳墓はつくらないでしょうから、大きさから考えて、天皇陵と思うのが妥当でしょう
むしろ、宮内庁の指定する「欽明天皇陵」が稲目の墓かもしれません
欽明天皇の没後、妃であった堅塩媛(きたしひめ)が亡くなったときに合葬したということで、丸山古墳にも合葬の形跡があるそうですが、
それにしても、皇后の石姫皇女(いしひめのひめみこ)ではなく蘇我稲目の娘である堅塩媛を合葬するとは、稲目の権勢の大きさが推し量られます
欽明天皇が位につくときに蘇我氏の強力な後押しがあったものと思われます
天皇の即位の経緯が書かれている古事記や日本書紀は、蘇我氏の滅亡後に編纂されたものですから、蘇我氏の功績はかなり割り引いて書かれていると思ったほうがいいでしょう
古事記や日本書紀はそれ以前にあった帝紀・旧辞をもとに編纂されたということになっていますが、帝紀だの旧辞だのという漢文的な名前から考えても、存在がいかにもアヤシイ。
体裁を整えるために、歴史書は以前からあったんですけどねと、形を取り繕ったのではないかと思います

いずれにしても、丸山古墳や平田梅山古墳は、ほぼ最後の前方後円墳です
これからあとは、横穴式石室をもつ方墳や八角墳がつくられていきます
あ、でも、丸山古墳は横穴式石室です
過渡期の古墳ですね
そして、同時期に、新沢千塚古墳群は、新しい墳墓がつくられなくなりました
巨大な丸山古墳、近鉄の駅からもさほど遠くありません
もうすぐ、桜が咲くと、きれいですよ

新学年準備講座がいよいよ3月22日の週からはじまります
プログレス学習教室
2週間6回のプログラムです
無料体験授業もございます
お早目にお電話ください

電話: 0744-47-3057
受付:10:00~22:00

 

カエデが芽吹き始めました
すこし早いですね

川沿いはソメイヨシノが多いのですが
ときおり大島桜や河津桜が混じっていて
大島桜の白い花はまだですが、河津桜の赤い花はもう満開です


橿原市には、まことにけっこうないぶし銀の施設があって
昆虫館こども科学館
市の施設ではありませんが、県立橿原考古学研究所附属博物館、と、
小・中学生の行楽にはもってこいの箱ものです

ところが、新沢千塚古墳群の資料館が前身となった歴史に憩う橿原市博物館
なんとも残念なんです
入ってみれば、展示もいいし(盛りだくさん過ぎてちょっとごちゃとしてますが)、ボランティアガイドのかたの説明はていねいだし、出土品に触らせてもらえるイベントがあったり、なかなかのものなのですが
なにぶん、ひどいネーミングですよ
変換しても、出てくるのはまず「行こう」、それから「意向」「以降」果ては「衣桁」
「憩う」など、どこに出る?

アクセスがひじょうによろしくない
駅から遠い(これは橿原市の施設どこもそうなのでしかたないにしても)、駐車場狭い
雨の降る日は傘をさして入口まで入るのが一苦労

エントランスは殺風景、なにしろ受付が2階で、いきなり何もない階段ですから。
赤絨緞でも敷いて、洒落たシャンデリアをつければ、まだ入る気になるかもしれません

当然ながら、見学者はほとんどいません
土日でさえ閑古鳥
これでは、改装した意味あるの?と思ってしまいます(税を納めている市民としては複雑な気分です)

奈良は、文化財に比較的冷淡な土地柄です
3世紀ごろに文化の中心地になってからもずっと人が住み続けているので
地面を掘れば何かしら出てくるうえに、現代の人の生活の地でもあります

新沢千塚古墳群を貫くように県道133号線が通っています
人家や田畑は墳墓を避けるようにつくられたと思われますが、道路は丘陵を切り崩して貫いてしまっています
墳墓を切り崩したといえば、奈良県最大の前方後円墳である丸山古墳(欽明天皇の墳墓だと目されているようです。欽明天皇は聖徳太子の祖父にあたる人です。ちなみに宮内庁の指定する「欽明天皇陵」は飛鳥駅の近くにあります)
あまりに巨大で、丸い山すなわち円墳だと思われていたようなのですが、
その前方部を切り取るように国道169号線が通っています
ここはもともと高取に向かう街道筋だったのですが、旧街道はここで前方部を迂回するように曲がっていますので、
国道は、古墳の一部とわかっていて削ったのではないかと勘ぐってしまいます
だから、県道133号線も利便のために、群集墳を迂回することなく貫いてしまったのでしょう

これほどの出土品を見た墳墓を貫く県道、文化財の多くないほかの県では、あまり考えられません
奈良は、やはり文化財に冷淡です


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プログレス学習教室

いいお天気です

花粉予報では警報レベルのようですが
スギ花粉はもう終わりかけのように感じるのは気のせいでしょうか?
これからヒノキが始まるので、まだシーズンは続きますね

新沢千塚古墳群のすぐそばを丘陵地に沿うように流れている曽我川
川沿いはどこでもそうですが、桜がきれいなんですよね
坊城駅のちかくに、真夏の8月15日に「ほうらんや」という、真昼に境内で大松明を担ぎ歩く奇祭がおこなわれる八幡神社がありますが(同じ日に運動公園近くの春日神社でもおこなわれます)
その付近の土手道はとくにきれいです

 

 

 

 

 

 

 

そこからさらに川沿いを下っていくと、運動公園のプール(ここのウォータースライダーはなかなかの迫力です。橿原市の小・中学生は、チケットが配られるのでおなじみでしょう)の横を通って、澱粉工場のすぐそばを流れ、大きく蛇行しています
このあたりにも、ずっと桜並木が続いています
澱粉工場のプラントと桜は、なかなか面白い絵になる光景です
この左岸一帯の地名を曲川といいます(イオンモールアルルのあるあたりです)
「地名、そのまんまやん」と思いますね
そして、蛇行した先の右岸あたりが曽我地区です
曽我地区には、5世紀後半から6世紀前半にかけての遺跡があって、
勾玉や管玉などの玉製品、そして加工のための道具などが出土しています

玉製品の工房があったと考えられているそうです
5世紀後半から6世紀前半…新沢千塚古墳群の墳墓がさかんにつくられた時期ですね
きのうお話しした126号墳も5世紀後半の墳墓でした
曽我という地名ですが、蘇我氏とのかかわりがまったくないとは考えられません
蘇我氏は曽我の土着豪族だという、けっこう有力な説もあります

盆地のなかに土着するのは、渡来系でしょう
縄文時代には、食料の調達場所がおもに林間部ですから、平地に集落をつくって住むなど考えられません
大和の古くからの豪族は、葛城氏にしても、巨勢氏にしても、平群氏にしても、そしておそらく大神(おおみわ)氏にしても、山麓を本拠としています
平地である盆地に土着するのは、稲作とともにやってきた渡来系の人たちです

じつは、曽我川には、もうひとつ重要な古墳時代の遺跡があります
それは、さきほどお話ししたほうらんやの八幡神社からすこし西にある東坊城遺跡です
ここからは、機織りの道具や土師器、鋳造の道具などが出土しています
韓式系土器なども見つかっているそうですから、渡来系の先進技術を持った工人集団が住んでいた集落があったのでしょう
つまり、曽我川沿いには、さまざまな工房をもつ渡来系の集落が点在していたのです
そして、川を上った丘陵地の低い尾根伝いに、華麗な副葬品のある群集墳を築いたわけです
その工人集落を率いていたのが蘇我氏だったのでしょう

蘇我氏が力をつけて政治の中心に躍り出て行く経緯が目に見えるようですね



新学年準備講座が始まります プログレス学習教室
教室の近くの方がたには無料体験のご案内を配らせていただいております
ぜひごらんください

雨ですね
大気中の花粉を落としてくれるので
この時期の雨はすこしうれしい気がします

きょうは公立高校一般選抜の学力検査日
みんな無事にすんでくれるといいですね
ほんとうに祈るばかりです


橿原は奈良盆地の南の端ですが、
盆地が北西に偏っているので
奈良県全体では北西部にあたります
南部の紀伊山地から見ると、橿原はその出口に位置しているので、山間部の自治体の寮があったりします
紀伊山地は林業でずいぶんにぎわったようですが、今は衰退して人口減少が続いています
そして、盆地の入り口の橿原市や桜井市に住むというわけです

奈良盆地は、もともと巨大なくぼ地だったそうです
長い年月をかけて土砂が埋め、平たい盆地ができました
橿原は盆地の端ですから、市の南には、埋め残された丘陵が、山地のしっぽの先のように北に伸びています
名高い大和三山も、埋め残された山頂の名残でしょう
そんな山のひとつに、高取町と境界になっている貝吹山があります
貝吹山は墳墓の宝庫です
北東に伸びる尾根には、巨岩が露出している岩船、小谷古墳、少し下って沼山古墳、丘陵地からすこし離れますがそのまま東に丸山古墳、植山古墳、菖蒲池古墳、巨大な墳墓の切れ端が見つかった小山田遺跡、
南東に伸びる尾根には、牽牛子塚古墳、越塚古墳、岩屋山古墳、そこから南に尾根が曲がって、マルコ山古墳、束明神古墳、
そして、北西に伸びる尾根には、これからお話しする新沢千塚古墳群が、低い尾根伝い全体に、尾根の端の忌部山の近くまで広がっています
陵墓も含めて、橿原・明日香・高取の墳墓は、貝吹山の尾根伝いに点在しているという感じですが、なかでも古いのは、新沢千塚古墳群でしょう

新沢千塚古墳群は、円墳に方墳が混じった群集墳で、
4世紀の終わりごろから6世紀の終わりごろまで、200年にわたって造られ続けたようです
4世紀の終わりごろといえば、中国の歴史書に倭の五王の記録が残されるよりちょっと前ですし、6世紀の終わりごろといえば、聖徳太子の活躍するほんの少し前、蘇我と物部の争いがあった頃です
新沢千塚古墳群の墳墓は、約600基あるそうです
なかでも126号墳の副葬品はすごくて、ガラスの器や、金の装身具、火熨斗など、海外からもたらされたと思われるものが出土しました
この126号墳は、5世紀後半につくられたらしいのですが、5世紀後半は、安康天皇や雄略天皇の活躍した時代、南河内に巨大な前方後円墳がたくさんつくられた時代です
副葬品が大陸由来のものだとすると、奈良盆地には当然ながら湊がないので、難波津あたりから運んできたのでしょう
安全な運搬ルートが確保されていたわけですから、大和と河内は、同じ支配者だったかどうかはわかりませんが、友好な状態をたもっていたことはまちがいありません
126号墳の被葬者は、中国東北部か朝鮮半島から渡来した女性ではないかと考えられているそうですが、群集墳には一族が葬られていると考えるのが一般的でしょうから、新沢千塚古墳群は、渡来系の人たちの墳墓と思われます
副葬品や墳墓の規模から考えて、かなりの実力を持った一族です

この新沢千塚古墳群に沿うように、曽我川が、南から北へ流れています
曽我川の沿岸には古墳時代のものと思われる遺跡がたくさんあります

すこし長くなりましたので、つづきは次回にしたいと思います

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陽射しがめっきり春めいてきましたね
遅咲きの梅が満開です
東大寺の修二会も、きのう閼伽水汲みがすんで、明日で満行
お水取りが終わらないと奈良に春は来ないといいますが
きのう、今日と、
気温は低くても、身を縮めるほどの寒さではありません

いっとき流行ったように思いますが、近ごろ聞かなくなった
妄想」ということば
空想に空想を重ねて、どんどん大きく膨らませていく
空想の楼閣のような作業です
現実と区別がつかなくなったら大変ですが、妄想だとわかっていれば、これほど国語力に役立つものはありません

近鉄の橿原神宮前駅中央口を出てまっすぐ橿原警察署のそばまで続く道路は、
あまり長くありませんが、日本の道百選になっている、歩道が広くて木々の緑のきれいな道です

(ここなら、付近に住宅地が多くないので、いくらクルマで走っても大丈夫、愛車を停めて写真を撮りまくっても、緑が多くてそこそこ絵になるし、片側二車線で車通りもさほど多くないのでそれほど邪魔にはなりません。そこが百選の理由?)
いま、その道には、橿原神宮の敷地沿いにのぼり旗が立てられているのですが、
それを見ると、今年は神武天皇没後2600年らしいです
2600年前は・・・さすがに縄文時代ですよね
魏志に出てくる卑弥呼よりも800年も前
金印で有名な奴国よりも600年以上前
遺跡もありませんし、これは、もう、空想・妄想の世界です

神武天皇ほど古くなくても
橿原は古代史(と言っていいかわかりませんが)の宝庫
空想はどこまでも自由です
古代史はすこし地味ですが、想像の世界に遊べる魅力があります
プログレス学習教室の近くにも
「新沢千塚古墳群」という、日本史の教科書に登場するほどの群集墳があって、
出土品がけっこうすごいんですよ

次回ご紹介したいと思います

ホームページができました プログレス学習教室
 

雨ですね
カフンは少ないようですが
花粉症は、一度発症してしまうと、
飛んでも飛ばなくてもすっかり収束するまで
程度の差はあれ、今日は劇的にいいなどと都合よくいかないんですよね
つらいところです・・・

公立高校入試の倍率が出ましたね
想定通りという感じで、
驚くような倍率のところはないように見受けられました
実力を発揮できるよう、しっかり体調を整えてくださいね

花粉症の受験生さんは大変ですよね
入試の時期はいつもスギ花粉のピーク
ヒノキも始まって、鼻はズルズル目はしょぼしょぼ
薬を飲めば眠いし、テスト中に鼻血が出ることもあります

いつも思うのですが
公立高校入試は遅すぎます
卒業式が合格発表の前にあるという、なんとも微妙な気の遣いかたをしているようなのですが
卒業後にだって、合否はなんとなく伝わるものです
そのせいで、かえって、声をかけにくかったりします
みんなでUSJに行く約束をしていたのに、LINEどうしよう・・・という話を耳にすることも
卒業式があれば、ぱーっと声をかけて、失敗しても笑い飛ばせると思うのです
特色選抜は2月20日ごろにあるのですから、
一般選抜も2月じゅうにテストしてしまえばいいと思うのですが

どうでしょうか?

暖かい一日でしたね

今日は奈良県公立高校入試の願書提出の日
さきほど、今日の結果を見ましたが
だいたい例年並みという感じでしょうか
いつもながら、南部は倍率が抑えられているようです

まだ1週間以上先とはいえ、やはり近づいてくるとどきどきしますね
漢字はなにが出るでしょう?古文は?
数学の大問1の(1)の計算は、どんな問題になるでしょうか
気になりますねぇ・・・


試験は緊張しますね
去年話題になった五郎丸選手のルーティンワークのように、なにか独自のやり方があるひとはいいのですが、
とはいえ、テスト中に五郎丸ポーズはちょっと憚られます
最初の科目は国語ですから、国語の緊張をほぐすやり方を考えてみましょう
国語が苦手だったりすると、よけいに緊張するものです
そこで、先ほどの問題予想です
漢字はなにが出そうかな、と、あらかじめ自分で予想を立ててしまう
もちろん、宝くじより当たりそうにないのですが、テスト問題を見るのが、すこし楽しみになりませんか?
問題を見て、「惜しい」とか、「大外れ」とか、おもわずにやりとできればしめたものです
何が出そう?と、友達や先生に聞かないこと
あくまでも自分で予想してくださいね
それが、大切な「にやり」のもとです