<落合氏側から多少topicを頂いたのでそれを下記に要約して記します。>
1990年代の事らしい。
落合氏は、当時、友達の生きていながら既に歴史に残っている西洋の現代音楽作曲家の巨匠と、日本の作曲界について話す事があったらしい。
その作曲家との会話の中で、彼は純粋芸術の作家だが、軽音楽の話も混じえていた。
その中で日本を代表する軽音楽の作曲家についての話になった。彼はその作曲家の話になると、彼の自作のある作品について何故だか話し出す…。
中略
彼と話をした数日後、その日本の作曲家のその作品と落合氏の友達の作品を比べて聴いてみたら、、、とても驚いた。
その日本の作曲家の作品は、落合氏の西洋人の友達のその作品と曲の調性感覚から和声の進行の感じ等々何となくほとんど同じと言っても良い様なものだった。
中略
おそらくは誰にもこれについての真相などわからないだろうが、元の曲を作った落合氏の西洋人の友達が日本人のそれを聞いたときの驚きは誰も知る事ができない程大きいものであったと思われる。
中略
落合氏はその西洋人作曲家の作曲する時の風景はよく見た事があるとの事が、単に彼自身が一人ピアノの前に座り、まわりに何も無い状態で、まるで見えない世界から音楽を紡ぎ出すように、創作しているだけだ、、、。
落合氏も、その西洋作曲家の態度に当然であるべき姿勢だと同感していたとの事だ。
中略
とんでもなく成功していて、非常に高い技術を持つと言われるこの日本の作曲家の他の作品にも、例えばフランスの多くの作曲家やロシアのそれ等と似たものを見つけた。
それらは、彼が学歴上非常にエリート故に等からか?問題にされる事はなかったが、、、。
我々には真相がわからない。
中略
軽音楽は、結局のところはサブカルチャー故に、これらは問題にならないという者も多いが、、、?
いろいろな点から疑問が止まらない。
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