考えても考えても納得いかないこと。


銀行のATMで払戻しをした時、

 「現金のお取り忘れにご注意ください!」と大きなアナウンスがかかること。


 某銀行での暗証番号隠し撮り事件の前、銀行待ち伏せ事件って多発していましたよね。銀行でお金を下ろしたであろう人を狙うというもの。

 私なんて、毎回1万円ぐらいしか払戻しをしないので、あのアナウンス1つで、大金所持者とみなされるのが怖い。

 ・・・というか、ATMって払戻しだけじゃないのだから、ATMで操作した人=大金所持者と思わせるようなアナウンスは良くない!と思うのです。

 キャッシュカードや明細書、操作のために鞄から出した財布なども忘れてもらったら困るのだから、「お忘れ物にご注意ください!」でいいのでは?と思うのであります。



今日ショッキングな(!?)事実を2つ知ってしまった。

そしてショッキングな出来事が1つあった。


1つは、私と2人で作った資料なのに、と言うより、私が計算をし、私が見やすく加工した資料のはずなのに、それを自分の好みの色、好みのフォントに変えてパワーポイントに貼り付けただけのもう一人が70%、私が30%の貢献度と会社に申告したこと

私の会社では、外に出す報告書や論文を出した時点で、自分が何をどの程度やったか申告することになっている。2人で作成した場合は、通常は2人で話し合って配分を決める。

しかしだ!彼は一人で自分を7、私を3として出してしまったのだ。


もう1つは、先輩が、私が作成した議事録、私が行ったシミュレーションを自分の名前で外へ出したこと。

ただ、これは、私が「チェックお願いしまーす!」と資料を渡したので、プロジェクトマネージャーであるその人が、「責任を取る」、という覚悟で自分の名前で出したのかもしれない。それなら筋は通っている。

しかしだ!どこも変更していないはずなのに、作成ファイルのプロパティを自分の名前に小細工している、ってどういうこと!?


でも、こんな小さいことに拘っている方がもったいないので、そういう人なのね・・・・と、自分の中で解決することにした。

たまたま気づいたから「げっ」と思うだけで、気づかなくたってどうってことはない。

そして、そんな小さいことを気づいてしまった自分が情けなくすらある。入社当時は、つくった資料を使ってもらえただけでうれしかったはずだ。


そして、取られるのが資料だけならば同じプロジェクトで働く者同士、別に構わない。

ただ、これで、私がカリカリすることは避けなくてはいけない

そして、自分が「これぞ!」と思う研究でそれをさせてはいけない

また、その資料を作成するだけで精一杯となり、それを分析する手間を自分から放棄してはいけない


つまり、頭がいい私の周囲の人たちは、私が色々調べて作成した資料やシミュレーションの結果を見ることで私が作成過程で得たもの以上のものを読み取る力があるのだ。せっかく手間をかけてつくった資料やシミュレーション、彼らより奥深くまで読み取り、分析することを忘れてはいけない。


悔しいけど、彼らには私以上に読み取る力があるのだから、私は自分が作成したものぐらいは、彼らを超える分析をしたいものだ。


そして今日起きたショッキングなできごと。

別のプロジェクトで作成した資料、前回は私が説明させてもらえたのだが、今回は別な人が説明した


これは、私の前回の説明がわかりにくかった、ということなのだろうか。確かに今日の会議、説明した人の話はうまかった。

それは自分で反省すべきことだと思った。

マウスが壊れた。

Yahooニュースを見ていたはずなのに、勝手にどこかクリックしちゃったみたい。

で、目の前に出てきた画面は

Yahoo!ビューティー - ビューティー・アートロジー


心理テストみたいなページでした。

占いとか、心理テストとかが大好きな友人がいますが、私はいまいち。

やるのが嫌!というほどではないが、どうせ、誰にでも当てはまるようなことを書いているだけだ、と思うので殆どやったことがない。


が、おもしろそうなのでやってみた。


別にその結果を信じるわけじゃないけど、思わずバックナンバーも引っ張り出していくつかチャレンジ。

別にその結果を信じるわけじゃないけど、その結果に満足した(笑)




プレゼンテーションって難しい。

プレゼンテーションというものに慣れることってあるのかしら。。


今日はお客さん10人の前でのプレゼンテーション・・・・小さいものです。

こちらからは私を含めてプロジェクトメンバー4人で行ったので、かなり心強いプレゼンのはずです。

しかも、4人がそれぞれ自分が担当した部分について説明なり、提案なりを行うので私の占める比重は低い。


でも、私は、プレゼンに慣れていないことと、もともとあまり上手でないことから一人ドキドキしっぱなし。

きっとそんな私を見て、周囲はヒヤヒヤしっぱなしだったに違いない。。


ふぅ。。やれやれだ。


実はこんな私の状態を見越して、昨日社内の4人で事前打ち合わせを行った。

私はその4人の間でも説明がボロボロで、上司に「要するにこういうことですね」「こういう言い方の方がわかりやすいのでは?」などなど私の話をすべて塗り替えるほどのアドバイスをもらっていた。

もちろん、今日は、その上司の言葉をふんだんに取り入れた。。。。ので、何とか話は通じたようだ。


私は話好きで、普段からかなり話をする。その時はまったく、不自由しないのにプレゼンではたった一つの表を説明するのがとても難しい、と感じる。

すなわち、きっと、私の普段の「おしゃべり」はただの「発声」であって、何かを説明しているわけでも、何かを訴えているわけでも、人に何かを伝えているわけでもないのではないだろうか。それは情けない。


さて、でも苦手、苦手とばかり言ってられない。何とか克服しなくてはいけない。


何が私の問題点か。

○一つは言葉足らずなくせに、図表がややこしい、ということがある。言葉で説明する自信がないのだから、図表をもっとシンプルにしなければならない。

○言葉も図表もシンプルにするためには、物事をもっとクリアにはっきり自分でわかる必要がある。要するに多分、わかっていない。

○図表を説明するときは、スマートに説明する必要はない。自分が理解する順序に言葉に出して、、多分よい。

○スラスラしゃべる必要はない。相手が理解できるスピードで。

○そのためにはやっぱり、プレゼン相手を知らなければいけない。もちろん、一般向けの講演ならば相手を知るのは難しい。でも限られた人数のお客さん相手ならば、相手の要望、問題意識を熟知することが可能だ。


なんて、結構当たり前なんだけど、あまりこんなことを考えながらプレゼンをしたことがなかった。


学生時代の学会発表時には、発表直前まで計算をして出た数字をまだ温かいうちに発表する、といった具合だった。

その時は表のタイトル、表側・表頭どうでもよく、数字に意味があると思っていた、、というか、数字にしか意味がないと思っていた。


でも会社に入ってからは学生時代と専門が違うとは言え、会社に入ってからは違う。数字にも意味があるけれど、まず皆が見るのは表のタイトルだ。文言なんて、多少いびつでも構わないとも思っていたが、限られた用紙の中で言いたいことを言える厳選された言葉である必要もある。


じゃぁ・・・・今何ができるのだろうか。

●早めに資料を作り、多くの人に見てもらう。

●事前に練習をし、「厳選された言葉」を捜しておく。

●事前の打ち合わせで皆が言ったこと、感じたであろうことを本番にかならず活かす。


さて、次のプレゼンはいつだっけ?




総務課長の男性。

私、苦手です。人としては別に嫌いじゃないし、冗談言っている分にはいいのですが、仕事の話が通じません。

私の表現が下手なようで、うまく伝わらないのです。


私が部の担当者となっている総務系の仕事は、彼が取り仕切っているのですが、新たに始まった総務プロジェクトであるため試行錯誤が続いています。


今日も彼と話をする機会があったので、どう運用したらいいか相談した。。。そしたら、「じゃぁ、watchちゃんは、どうやって運用しろって言うんですか!」「そんなこと言っていたら進まないじゃないですか!!!」と怒らせてしまった。


いやいや、私は、やり方を攻めているわけではなく、彼に責任を押し付けているわけではなく、彼一人で決めろと言っているわけではなく、現場ではこういう運用がこういう面でやりにくいんだけど・・・・という相談をしただけなのだけど。


どうも本社から出向してきたわが社の人間は、議論が苦手のようだ。

何か意見を言う=何かケチをつける

と考えているようだ。違うってば。うまく進むために知恵を出し合えばいいだけのことだと思うのだけど。



今日は朝っぱらから兼務先の部の部会。

この兼務先、会社の中では若い人が集まっていて、半年前にできたばかりなので、何となく新鮮な空気が流れている。

が・・・・部会は別だ。

というのは、この若い風をすべて断ち切るかのような部長がいるからだ。


この部長、ちょっと思慮、情報力、思考力が私の本籍部の部長より足りない。

部会では何度か失言をするし、誰も望んでいない部会に2時間もかけるので、かなり評判が悪い。


部会における失言は、彼の本心なのだろうが、必ずと言っていいほど誰かを傷つけるような種類の失言であって、やはり部長としての発言ではないな・・・と感じる。


今朝の打ち合わせも、私はかなりストレスが溜まりモチベーション下がりまくり、爽やかな午前中をつぶされ、ようやく開放された。


そして、自分の本籍のある部に戻って、来週行うプレゼンテーションについて本籍部の部長と軽く打ち合わせ。

兼務先の部長がかわいそうになるぐらい、本籍のある部の部長は頭がスカーッとしていて話が進みやすく気持ちがいい。

言いたいことが伝わり、わからないところを共有し、一緒に議論する楽しさを実感できる。


私が見せ方に苦労していた試算結果を、いとも簡単に、クリアに見せる方法を提案してくれた。


2時間かけてジリジリと下がったモチベーションや会社に対する信頼感を、10分の打ち合わせで相殺してくれた。



そんなに簡単に下がるようなモチベーションじゃいけませんね。

感心ばかりしておらず、自分で思いつかなくてはいけませんしね。

反省点も沢山です。


でも、部長のその提案、とてもうれしかったんだ!




久しぶりに彼女としゃべった。

最近、医者の進めもあって早めに帰宅するようにしている、という彼女ですが、な・な・なんと!夜中、皆が帰宅した後に会社に戻ってきていたのだ。


たまたま仕事が遅くなって、舞い戻ってきた彼女と遭遇。


「彼女」とは、私の先輩で、仕事病に侵されている人。

仕事が好きだったり、仕事にのめりこんでいるだけならば、苦労はないが、「みんなが私の悪口を言っている」、「他人が専門とする分野に足を踏み入れてはいけないから、私の研究が進まない」、「○○さんは、私にだけ情報を隠している」、「××さんに、私の専門分野に口出すな、と怒鳴られた」、「私はダメな人だから、異動させられる」・・・・などなど気づけば自席で泣いていたり、フといなくなったり、体調不良と突然欠勤したり。

「2分ほどいい?」と声をかけて2時間愚痴を聞かされるのは、社内では有名な話だ。

また、それとは逆に、「私は××さんがやっている分野ならば、私は業界にも、会社にも、上司にも役にたつすごい調査をやってのけるのに、××さんが邪魔をするからできない」など高飛車発言もある。

・・・・とは言え、周囲の人に促されて最近は病院に通って彼女も彼女で一生懸命なので、私はうんざりしながらも応援しているのだ。


そんな彼女、夜中に会社に戻ってくるばかりか、今日は、なぜ、夜中に会社に来る必要があったか、何をしていたか、それがいかに重要なことだったか、、とその弁解を2時間聞かされて、結局何も変わってないじゃん!と腹立たしい一方で、励ましてもダメ、叱ってもダメ、だなんて私、どうやって対応したらいいか、困惑した。


そして今日は、「△△君は、私のことを嫌がっていて、**さんという架空のお客さんの所に電話しているふりをして、私への嫌味を電話に向かって言っている。」と言う。


△△君とは私も一緒に仕事をしているけれど、**さんは架空の人じゃないぞーー!!その連絡は、前回の打ち合わせで△△君が行う段取りだから、彼は段取りどおり連絡しただけだぞーーー!!!



インターネットのスポニチのページで、スケートの清水選手と安藤選手を取り上げた文章の中に、

経験豊富な選手は「とりあえず前に進む」という妥協を許さない。問題の解決方法があることを知っているから、立ち止まり、考える。経験の浅い選手は、それを持っていないから前に進む。そして、前に進むことでしか解決方法を得られないことが多いのは、普遍の真理でもある」とある。 こちら→


納得。私の試験勉強に当てはめてみると、最高に集中できている日をイメージしすぎているような気がする。

最高には集中していない日も最高に集中している日も、やるべきことは考えることではなく、進むことなんだ。悩んでも悩まなくても、やることは一緒。


よし。今からでも遅くない。


「男女共同参画」「両立支援」など最近よく言われる単語だ。


でも、男女共同参画って、社会で男性と女性が同じく能力を発揮していこうじゃないか?という方向のみ言われていて、家庭内、特に子育てに男性も女性も同じく能力を発揮していこうということはあまり言われていないのではないか?と感じる。


今、大きな会社や公務員などでは、入社後2年で地方への異動があって、2、3年後に東京に戻ってくる、といったコースを歩む人も多い。が・・・入社後の5年間って、結婚して子どもを産んで、、、っていうような年齢でしょう?

その時期に多くの人が異動を経験するってどうかと思うのだ。


私の義兄も地方にいる。週1回も戻ってくる余裕はない。2,3週に1度「パパウィークエンド」があるぐらい。

今日は、姪は下痢・嘔吐の体調不良だが、姉はどうしても仕事を休めない。

我が家には、体調を崩した祖父もいますので、風邪の姪を連れてくるわけにもいかず、私の母が姉の家に子守に出た。


義兄が近くに住めない分、我が家は全力でサポートする、というのが我が家の方針なので、これは別にかまわない。仕方のないことだし、夫婦そろっていたって、たまには祖父母が面倒みるのも両者の幸せにとっては良いことだ。


が、私が問題だと思うのは、実は今日は「パパウィークエンド」で姪の父、すなわち義兄は家にいるということだ!!!!


でも、風邪で下痢嘔吐を繰り返す姪は、パパが大好きであっても、いつも近くにいる私の母の方が安心できるのだ。


父親として、これほど悲しいことはないのではないか?


このような話をすると、会社の先輩は、「私の夫は同居しているけれど、いないも同然なほど忙しい。子育ては私が一人でやっている」と主張するが、そうではない。毎日家に帰ってくる、あるいは帰ってきている気配があることが結構子どもには重要なのだ。



一方で、会社にとって、一度外に出て帰ってきた社員というのはおそらく一回り、二回り成長して戻ってくるのでそのようなシステムにしているのだろうが、これは慣れ親しんだ人間の間ではない人と仕事をせよ、という意味なのではないか?あるいは地方にとっては、東京の若手の風を入れてこい、ということなのではないか?


とすれば、この子育て真っ盛りの社員にその役割をさせなくても、わざわざ遠い地域からの人を入れなくても、異業種・同業他社の人を2年間ほどトレードしたほうがよっぽどお互いいい刺激になるのではないか?と思うのだ。


いずれにしても、今日の姪はめずらしくシュンとしているらしい。


パパよりも私にナツイテしまっているのを見るのも、私も義兄も辛いので、私は今日は遠慮しよう。


 




給料体系見直し委員会(?)の今回のお題は、「給料は、過去の成果のご褒美なのか、これからの回収見込みを表すものなのか」。


うーん。そうか。

私は兼ねてより、給料って会社の意思を一人一人へ示すものだから、額の「公平」にとらわれることなく、基準の「公平」さえ貫けば、会社が大切に感じる社員に高い給料を与えればいい。


もちろん、これはこれで歪みが出てくるだろう。

評価するのが上司だったとすれば、上司のご機嫌取りばかりする人が出てくるかもしれないし、上司にとっての便利屋に徹する人も出てくるだろう。文句を言わない部下の方が楽かもしれない。部下を正しく評価できる上司がどれほどいるか、も疑問である。


成果主義も導入されている会社は多いが、単年度の成果、数年先の成果、これをどう評価するのか基準がはっきりしている会社は少なく、社員の不安第一要素となっている。今年度の成果を追うばかりで、数年先の成果のための準備をすることができなくなりつつあるのだ。これは、残念ながら社員も、会社自身も同じである。


でも、成果主義と謳いながら、「この社員は成果はあがっていないが、今後あがるだろう。この社員は雑用をやってくれた」といった上司の直感や印象が多いに含まれている成果主義ならば、少なくとも年功序列は年齢という客観的指標があるのだから、マシかもしれない。



会社の意思表示の話に戻れば、例えば、コンペで勝って受託業務を取った人の方がレポートを発表した人より給料が高ければ、レポートなんて書かずにみんなしてコンペに参加するだろう。女性より男性の方が給料が高かったら、男性はがんばるけど女性は辞めちゃうかもしれない。


だから給料とは、やはり会社の意思を示すもの、ということになる。


でも、私の勤めている会社は・・・・と考えると、明らかに過去の成果のみに対して給料を払っている。

去年いいレポートを書いたから、今年の給料があがった、とか、去年は育児休業中だったから給料は据え置かれたとか。

これを体験しちゃうと、出身大学、学歴、これまでの経歴など過去にとらわれる人が増えているし、過去の失敗ばかりをクヨクヨ考えている人が多い。


育児しながら働く女性に対しては、もちろん育児休業は取れるけど、給料は据え置かれる。

働いている人がマイナス評価があるのに対して、休業中の人はゼロ評価というのはそれも不公平なのかもしれないけど、それはマイナス出す社員より育児しながら一生懸命働く社員の方がいい、という明確な会社の意思表示であるのだから、受け入れざるをえない。


成果主義と謳いながらの直感主義は誰の直感か?といえば、もちろん上司だろう。

でも、その評価を自分の目で見て、自分の評価を信じて、部下を評価できる上司がどれほどいるだろう。。。と考えたとき、部下を評価し、その評価に責任を取れるマネージャーは数少ないのではないか。