さて、上記ブログに引き続き、自身の過去のブログを振り返ります。



第44回のブログ記事に届いたコメントが興味深かったので、皆さまも是非ご一読を。↓



「身を修め現場で戦う信者たちと築き上げた言論の砦で公論を創る」とハッスルしている公論おじさんはよく「大衆はリテラシーが低い」だの「世間の愚民どもは読解力が足りない」などと言って踏ん反り返っておりますが、おそらくは世の中の人は氏よりは文章を理解する力があると思います。
以前から氏の書評や映画評には首をかしげるところが多かったのですが、公論おじさんはまるっきり読解力がなく、その上に自分の誤読を越えた妄想をもって悪評を流すというタチの悪さまで兼ね備えているのです。
まさにそれは公害といって差し支えありません。
「公論を創る」と喚きながら実際は「公害を垂れ流す」のですから笑えない冗談です。
しかし、ここまでのデタラメを許してしまう公論おじさんの支持者とはどのような人たちなのでしょうか。
某カルト教団はよく「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されておりましたが、偉大なる公論大先生が主催する公論界隈はさながら「馬鹿と狂人の集まり」の様相を呈していて笑けます。
笑かしてくれます。



選民意識に染まりきっている人間は自分の誤りが発覚しても開き直って、誤りを指摘した側を「偽善」「欺瞞」「無知蒙昧」などと独善的に非難して居直る卑怯者であります。
どの
ような
立場の人間であっても、それはとても承服出来ない態度です。

私はそれを5年前から言い続けています。


言わずもがなのことですが、妻と私は別人格の人間です。
ですので「私の言葉は誰にも縛られないぜ」と言わんばかりの情熱を持って私は私の個人見解を躊躇せずにブログに記すことに決めたのです。
私と妻の意見は同じではありません。
そこのところを理解せず、夫の罪は妻の罪と言わんばかりに妻を責めることはやめていただきたい。
当ブログの文責はすべて私にあるのであり、妻はまったく関係ありません。



過去のプライヴェートな話を蒸し返しても他人を不快にしたり、自分が不快になったりするだけです。
プライヴェートとパブリックをきっちりと仕分け、私自身のパブリックな面のみを見直して、総括してゆこうと思います。



公論おじさんは今やすっかり幼さが残る少女たちを嫌らしく舐め回すように見つめて昂奮しているただのキモい妖怪ナメクジ爺ぃになってしまっていて戦慄を覚えます。
プライヴェートとパブリックが溶解してしまうと、そのような妖怪になってしまうので気をつけたいものです。



自分たちに対しての反対意見や否定的な批評などについては決して読んではいけないとおふれを出し、見たくないものは見ないで、聞きたくないことは聞かないで、批判する人間が何を言っているのか知らないままで、自分たちと意見を異にする相手を罵倒し呪詛するのが、「身を修め現場で戦うための公論を創る」と嘯く連中であるのです。


さてさて、私はこれからも私の個人見解をブログに書き記して参りたいと思いますので、お付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。