上記ブログに引き続き、過去に述べてきたことを振り返ってみたいと思います。






人はカルトにハマると大本営発表を疑いなく信じるようになります。
大本営が「大勝利」と言えば大快哉を叫び、大本営が「大好評」と言えば大拍手して、大本営が「大成功」と言えば大歓喜して涙を流し、大本営が「大躍進」と言えば大決意して広宣流布に走るのです。
大本営がどんなに誇大な大宣伝大喧伝していてもすべて有り難く聞き入れ、大先生大絶賛し、大正義を掲げて大々的大闘争大展開するのです。


女性専用車両反対運動の連中と公論界隈の連中は見た目も非常に似ています。(断言!)
これは決してルッキズムではなく、容姿の美醜など超越したヤバイ雰囲気を醸す奴にはヤバイ奴特有の異様な容貌というものがあります。
そのヤバみを女性専用車両反対運動の集団と身を修め現場で戦うための公論界隈の集団が同じように醸し出しています。
是非ともその二つの運動のサイトなどを検索してみて下さい。
一方は『公論』『道場』『セクハラ』『ライジング』などをキーワードに検索してみてください。
また一方は『女性専用車両』『差別』『ネットワーク』『反対』などをキーワードに検索してみてください。
ほぼ同じような主張をして恬然としている連中の妄言を読むことが出来ます。


↑上記リンクのブログは私の誤解と偏見に基づいた内容であり、すべて間違っていることに気付きましたのでお詫びと訂正を致します。
申し訳ありませんでした。


ある政治家を支持していたとして、その政治家が目に余るような不正を働いたとします。
それでも一度支持を表明したのならば、汚職議員だろうがヘイト議員だろうが後押しし続けなければならないなんて馬鹿な話はありません。
支持を撤回するのは勿論のこと、それまで支持してきたことの責任から誰よりも痛烈に批判をしなければならないと思います。
それが筋を通す事であり、道理であると思うのです。


オーディエンスのあり方について考えるにあたり、あるストーカーについて言及しました。
まずは下記リンクをお読みください。
その上で自らの振る舞いを省みて、自分の振る舞いによって自分が支持している人に迷惑が被ることがないかを常に考えて行動することがオーディエンスとして最低限のマナーであると思うのですが、リンク先のストーカーのような異様な奴というのはどのような行為が迷惑に当たるのか理解出来ないのですから厄介です。


指導者の主張に盲従し、号令がかかれば一斉に同じ方向に突貫してゆく愚鈍なカルト集団を観察しては哄笑をあげている私について妻は「最低の悪趣味」であると呆れて、「誰よりも性格が悪いよね」と精神分析します。
暇を持て余した神々の遊戯としてカルトウォッチングを楽しむ私の観察記録はまだまだ続きます。



このように過去につらつら書き連ねてきたことを振り返っていると、忘れていた記憶が蘇ってきました。
昨晩、そのことについて妻に話しますと、妻も同じような体験をしており、次回はそのことについて書いてみたいと思います。

「まだまだ行くぞーっ!」『クリーピー 偽りの隣人』で香川照之さんが演じる役のマネをして、気合いを入れて書いてゆきます。
お楽しみに。