分量が溜まりましたので、上記ブログに引き続き、過去に述べてきたことを振り返ってみたいと思います。
キッカケはいつも安易な理由からです。
いつでも引き返せると思ってしまちがちです。
しかし、どんなちいさな集団であっても、一度入ってしまうと、そこから抜け出すのは容易なことではありません。
人は常に合理的な判断を下し、それを実行に移せるわけではありません。
ついつい情に引っ張られて判断を誤ってしまうものなのです。
人の心の隙を突いて取り込もうとする集団というものはそこかしこに存在します。
ですので、安易に人を信用しすぎてはいけません。
詐欺師ほど善人の顔をして近づいて来ます。
「まさかこの人がそんな裏工作めいたことをするなんて」と思うようなことが起こってからでは遅いのです。
「あの人は本当に心優しい人だから、絶対そんなことはしない!」などと人を信用してしまうと簡単に籠絡されてしまいます。
人の優しさに騙されてはいけません。その優しさを疑う用心深さを持たねばならないのです。
この人ならばと信用して自分のプライベートなことを打ち明けたのに、相手は内心で「弱みを握ってやったぜ」とガッツポーズを取っているのです。
狡猾な相手は時機を逃さず、聞いた話に尾ひれをつけて拡散し、お人好しの信用を落とすという卑劣な行為をし、そうしてお人好しは凋落し、居場所を追われ、滅ぼされるのです。
本当に気をつけたいものです。
「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻いている人々は自分たちの意見を理解しない人間は「気づき」を得ていない劣等な愚者であると見做しています。
彼ら「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻いている人々の常識と倫理はセミナーの主催者の御託宣にのみあります。
社会一般にある価値観はすべてその下位にあると信じて疑いません。
しかしその主催者というのが卑劣漢で、自分の意見と合わない相手に対して必ず藁人形論法で攻撃するのです。
それゆえにセミナーの参加者や賛同者も偉大なる主催者に倣って藁人形論法で他人を攻撃します。
その行動はまさに電車の女性専用車両に反対するグループと同じであり、朝鮮学校や新大久保でのヘイトデモをする連中などと同じです。
彼らには彼ら独自の常識があり、倫理があり、道徳があり、正義があるのです。
そのような異常な集団などは相手にしなければよいと言われる方もおられるかもしれませんが、社会にとって無害ならば放置していても構わないと思いますが、連中の害悪は公害レベルです。
公害を放置しておいて良いわけがありません。
「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻く人々が参加しているセミナーの主催者は相変わらず藁人形論法で得意げに語ります。
人の意見を正確に引用することを決してせず、「エセリベラル共がコレコレこう言って間違ったことを主張し、またニセ保守どもがコレコレこういったフェイクニュースを流しているが、真実は私が語ることのみにある。真実真正を堂々と展開しているのは私以外において他にはいない!」と勢いごんで演説をぶつのです。
彼は一体、誰と戦っているのでしょうか。
存在しない相手とシャドーボクシングをしているようです。
誰がいつどこで何に対しどのようなことを語っていたのか。
そのことを正確に引用して初めて、反論や反証をすべきだと思うのですが、「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻く集団は、相手の意見を恣意的に歪めて解釈し、相手が本来主張していた意見とは似て異なるものに改竄し、愚かしいほど稚拙な理屈を相手が主張しているかのようにミスリードして、その稚拙な愚論を論破してみせることで勝手に勝利宣言をすることを繰り返すのです。
プロの物書きが、ネット記事を丸写しして最後にチロッと愚にもつかない自説を書いた文章で購読料を徴収するという浅ましい商売をしているのを最近よく目にします。
明らかに作家本人が書かず、スタッフか誰かをゴーストにして代筆させたものを自分の作品、自分の論考として発表するのもよく目にします。
こういうことをやり始めたらもう作家としてはおしまいですよね。
私などとは倫理観が違うのか、そのことを指摘されても恬として恥じず、聞こえないふりをしています。
おそらく「オオヤケに資する」という大義があれば何をしても許されるとお思いなのでしょう。
目の前に暴漢が現れたとしたら、どのような行動をとれるでしょうか。
想像力が欠如している人などがヒロイックな妄想を全開にして、勇ましく立ち振る舞うイメージを語り出したりして鼻白むことってありません?
自らが大立ち回りを演じて相手を取り押さえると鼻息を荒く語る夢見がちな馬鹿しかり、自分がリーダーシップを発揮して的確な指示を出して周囲の人々と協力し、通り魔を制圧してみせると御都合主義的な妄想を逞しくする馬鹿しかり、自己陶酔したイメージトレーニングほど滑稽で無意味なものはありません。
そんなイメトレをしている珍の滓ほどイザとなったら糞尿を洩らして猿股をグズグズにするだけで何も出来ずに放心して命乞いをするものなのです。
嵩上げ野郎、溶解野郎、揚げ足取り野郎、嫉妬野郎、逆上野郎、そういうクソ野郎どもを滅ぼしたいと思うことが大切な心の宝物です。
スルースキル野郎、憂さ晴らし野郎、ボウフラ野郎、カルト野郎、嘲笑野郎、放言野郎、つながり野郎、そういうクソ野郎どもを滅ぼしたいと思うことが大切な心の宝物です。
そして信心即生活野郎には充分な警戒心を持って監視してゆかねばなりません。