何年前のことだったでしょうか、とある大手出版社の編集者の方が新人マンガ家発掘の為に札幌まで来たとのことで、ついでにボンクラ野郎の私にも会って話したいとか酔狂なことをぬかしやがったので、私が「札幌駅で逢いませんか♪」と道民限定ギャグを放ったところ、真に受けやがり、S社編集者氏と札幌駅で会う羽目になりました。

おそらく2010年の冬だったのではないでしょうか。
待ち合わせ場所にいたT氏はジャンパー的な何かを羽織っていたような記憶があります。
私は編集T氏に会う前に一杯ひっかけて来たような記憶があります。

駅地下の喫茶店で編集T氏は私に物書きになるつもりはないかというようなことを言ってきたような記憶があります。
小説、評論、エッセイ、なんでも構わないが、何がしかの表現をするつもりはないかと問われました。
それに対し、私は素っ気なく「無理っす」と即答しました。
おそらく10代20代の頃に同じように言ってこられていたら前のめりで食い気味に「是非やりてぇっす」と答えていたことでしょう。
しかし当時の私は既にさまざまなものを失い、人生を諦めていた時でありましたので、そんな夢みたいな話に乗り気になることなど出来ませんでした。

そんなわけで御要望にお応え出来かねるボンクラと無駄な時間を過ごさねばならなくなった編集T氏は気まずい時間を乗り切る為にさして興味もないであろう話題を振ってきました。
「そういえば、アナタの好きなマンガ家の某氏が政治セミナーを始めましたが、それに参加はしないのですか?」
そう問われた私は苦笑いを浮かべて、「いやややややや、さすがにアレは行かないっす」と即答しました。

そうなのです。
当初、私はあの公論界隈のセミナーに対し、冷めた目で見ていたのでした。
「あんな明らかにダセェ運動に参加するとかありえねぇし」
そう思っておりました。
その編集T氏がそのセミナーに対し、どのように思っているのかは聞けませんでしたが、私は私の本心をその時に明確に理解し、作品は読むけれども決して運動には参加することはあるまいと思っていました。


その2年後、公論界隈のセミナーがあと残り1年で終了すると改めて知った私は、どうせもうすぐ終わるならば、妙なカルト宗教や運動団体のように活動そのものにやり甲斐を見出して活き活きと瞳を輝かせるヤバイ人たちとは無縁なものであろうと思い、好きなマンガ家の話を直接聞くのも滅多にあるチャンスではないし、いっぺんぐらい参加してみようかなと思ったのでした。

姉が東京に越してから、幼少期に遊びに連れていったりと可愛がっていた姪っ子と会う機会もなくなっていたので、姪っ子をディズニーランドへ遊びに連れて行くついでに、そのマンガ家のセミナーにも参加してみることにしました。
(↓そのことにつきましては以下のリンクに詳しいです)

私としては「あと1年で終了するイベントである」ということを信じて参加しました。
2012年の段階での残り1年とは2013年以外にありますまい。
しかし、そのセミナーは現在もまだ稼働中でございます。

私の妻も残り1年ということで、せっかくだからとボランティアの設営スタッフにまでなったそうですが、そのセミナーが未だに続いていることに驚いています。

つまりはそれがすべてを物語っているのです。
すべて物語っているとは何を物語っているのか、もう大方の人はお察しでしょうが、勘の悪い方やそもそもそのセミナーについてまるで知らない方には分からないでしょうから、何を物語っているかを語りたいと思います。
しかしそれは次回。
次回に語りたいと思います。

それではまた逢う日まで、逢える時まで。