さて、これまで「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻いている人々が参加しているセミナーについて小言幸兵衛のようにネチネチと語ってきましたが、私は彼らこそがムテキであると思っています。
ムテキと言っても芸能人限定メーカーMUTEKIのことではありません。
無敵です。
彼らは無敵の人々です。
私も含めた誰であろうと議論で彼らに勝てる者はいません。

彼らは彼らの世界でのみ通用する論理を信じています。
ですので、どのような言葉を尽くしても議論が深まることはなく、ただ堂々巡りを繰り返し、「君の考えは浅い。我々のいる高みに上がればきっと自分の浅はかさに気づくはずだよ」と何故か勝手に勝ち誇った上から目線で諭してきて、その余りの勝手さに言葉を失っていると、論破したと解釈して大勝利を謳い上げるのです。

彼らは自分たちの意見を理解しない人間は「気づき」を得ていない劣っている低俗な白痴であると見做しています。
そんな愚かしい連中も偉大なる大先生の御宣託を受け、「気づき」を与えられたら目覚めるかもしれないが、おそらくは大多数は我々とは違い愚鈍な大衆なので理解出来ないであろう、ふっふっふっ、我々は選ばしエリートだ、知の富裕層だ、などと嘯いています。


以前にも述べましたが、彼ら「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻いている人々常識と倫理はセミナーの主催者の御託宣にのみあります。
社会一般にある価値観はすべてその下位にあります。

彼らはその主催者の説く常識が果たして真っ当なものであるのかどうか検証することもせず、そこをベースにして物事を考えていくのです。

その主催者というのが卑劣漢で、自分の意見と合わない相手に対して必ず藁人形論法で攻撃するのです。
それはもう常套手段です。
このことにつきましてはまた別の機会に述べたいと思うのですが、主催者を不動明王の化身であると崇め奉っているセミナーの参加者や賛同者も偉大なる主催者に倣って藁人形論法で他人を攻撃します。

また更に、そのように論敵と認定した人々の中のごく一部のラディカルな意見を言う人をピックアップして、それを論敵の代表的な意見かのようにミスリードし、急進的な暴論を喚くノイジーマイノリティとして戯画化することで反対論者を愚かな存在であるかのように偽装して、そこでもまた藁人形論法を駆使して論破した気になって自分たちの小さなサークルの中でへらへら笑うのです。

その行動はまさに電車の女性専用車両に反対するグループと同じであり、朝鮮学校や新大久保でのヘイトデモをする連中などと同じです。

彼らには彼ら独自の常識があり、倫理があり、道徳があり、正義があるのです。
そんな彼らは皆、無敵です。
そんな月刊ムー的な無敵な人を相手に私たちはどのように対処したら良いのでしょうか。

相手にしなければよいと言われる方もおられるかもしれませんが、社会にとって無害ならば放置していても構わないと思いますが、連中の害悪は公害レベルです。
公害を放置しておいて良いわけがありません。
だから考えてゆかなければならないのです。

そういった理由から私は今まで長々と彼らについてクドクドと、またネチネチと語り続けているのです。