上のリンクのブログにも書きましたが、「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻いている人々が参加しているセミナーの主催者である言論人気取りの老いぼれは相変わらず藁人形論法で得意げに話しています。

人の意見を正確に引用することを決してせず、「エセリベラル共がコレコレこう言って間違ったことを主張し、またニセ保守どもがコレコレこういったフェイクニュースを流しているが、真実は儂が語ることのみにあるのやぞ。真実真正を堂々と展開しているのは儂以外において他にないのやぜ!」と勢いごんで演説をぶつのです。

彼は一体、誰と戦っているのでしょうか。
存在しない相手とシャドーボクシングをしているようです。

誰がいつどこで何に対しどのようなことを語っていたのか。
そのことを正確に引用して初めて、反論や反証をすべきだと思うのですが、「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻く集団は、相手の意見を恣意的に歪めて解釈し、相手が本来主張していた意見とは似て異なる意見に改竄し、愚かしいほど稚拙な理屈を相手が主張しているかのようにミスリードして、その稚拙な愚論を論破してみせることで勝手に勝利宣言をして、にやにや笑いを浮かべるのです。

自分が言ってもいないことに対しては反論のしようもありません。
ですので、連中が大勝利を声高に叫んでいても、それに対して物申すことは出来ません。
何故ならば、彼らが言い負かした相手はどこにも存在しないからです。
彼らがねじ伏せたと思っている主張は誰も言っていないことなのですから、訂正のしようがありません。

それが彼ら「身を修め、現場で戦う覚悟を持ち、公論を創る」と息巻く集団の言論活動なのです。


会話が成立しない無敵の人が社会に敵対して言葉の毒ガスを散布しているのを目の当たりにした時、見て見ぬふりして自分と身内が平穏な生活をしてゆければ関係ねぇとやり過ごすことは実に簡単です。
そのようにして生活することを私は咎めようとは思いません。
本来ならば、普通に生きてゆけるのに、妙な角度を抱いてとくちけ。

てとくちけ?
なんだかもう眠たでし。
ゆえに、あ。
眠るのでし。
えやすみなさい。
えや。