昨日書きましたブログについて、言い足りないことがありましたので、ここにサクサクっと記してみたいと思います。

昨日、ブログテーマ『ツァラトゥストラはかく語りき(雑感)』について、以下のことを書きました。

これは私が20年以上の長きに渡って追いかけていた言論人であり創作者である人について語っているものです。
その言動は独善的であり、過剰ではありましたが、それもまた彼の魅力でありました。
そんな彼が自分を慰撫してくれる小さなサークルを作ってから妙なことになったのです。
そのことにつきまして詳しく語っているのがこのカテゴリーです。
固有名詞を出さない理由は極めて明快で、これはあくまで私自身の総括であり、そのサークル活動に敵意を抱いているわけではないからです。
世間に害をなさない限りにおいてはどのような活動も自由です。


この『ツァラトゥストラはかく語りき(雑感)』というカテゴリーに入れたブログ記事を書き始めたのは去年(2017年)の12月からですが、去年の冬に突然に自分自身を総括しようと思ったわけではありません。
それ以前から悶々とするものを抱えておりました。

明確に時期は思い出せませんが、かなり早い段階で、あの勉強会のヤバみに気づいておりました。
それは以下のリンク先のブログ記事からも明らかです。



では何故にすぐに総括をしなかったのかと言いますと、人間関係を慮ったがゆえです。

人には付き合いというものがあります。
私にも妻にもそれぞれに人間関係というものがあります。
私はすべての人間関係を清算して関東に越してきましたのでほぼアンチェインドでありますが、妻は違います。

私の不用意な発言で妻の交友関係にヒビが入ったらと思うと、なかなか公然と総括することなど出来るわけがありません。
私の個人的なブログなど見ている筈はないので、そんなことは気にする必要ないのですが、万が一がある為に躊躇していたのです。

しかし、妻と私は別人格の人間です。
私が子供の頃に見てきたカルト宗教の信者の中でも、妻が熱心に信仰しているのに、夫はまったく無関心であったり、むしろ批判的であったりする例がたくさんありました。
しかし、だからといって同志たちは夫がアンチだからという理由でその女性を排除するなどということはありませんでした。
むしろ温かく迎え入れておりました。
それを思い出した私は、「私の言葉は誰にも縛られないぜ」と言わんばかりの情熱を持って総括し始めたのでした。