四苦八苦(10回目)愛別離苦

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前回まで、 生苦・老苦・病苦・死苦 について書かせて頂きました。


 上記の四つを四苦といい、



それに

        

  あいべつり  く     おんぞうえ く      ぐ ふ とっく      ごおんじょうく 

  『愛別離苦』 『怨憎会苦』 『求不得苦』 『五陰盛苦』 の


                      四つを加えて、八苦といいます。


 

      あいべつ り  く

 『 愛別離苦 』 とは、愛する者と別れる苦しみです。


 愛する人との別れは辛く、


  世の中には、大切な人を失った痛手から自殺する人すらあります。


 二十年もの間、釈尊に師事し、すでに凡情を超越していた


 阿難尊者でさえ 


釈尊御入滅(お釈迦様がお亡くなりになられたこと)の際、


 悲嘆やる方なく、ほとんど人事不省になられたといいますから、


         この苦痛は、決して 生やさしいものではありません。


             親が子を失うとか、子が親に離れるとか、


               夫婦、兄弟、友人知人、


その他、死に別れ、 生き別れなど、


                    いずれもみな耐え難き苦痛です。


    ※阿難(あなん)

        =釈尊十大弟子のお一人。

          いつも お釈迦様の身の回りのお世話をされたお方。

          お釈迦様は、阿難を大変、かわいがられた、といわれます。



    ※人事不省(じんじふせい)

        = 昏睡(こんすい)状態に陥り、意識を失うこと。「―に陥る」
           

                          “すかたん”の法話 ー親鸞聖人のお話ー


                           アニメ 「世界の光 親鸞聖人」より


      権力者の横暴により、

       法然上人・親鸞聖人は、ともに流刑に遭っておられます。

        (法然上人は七十五歳で 四国の土佐に、

             三十五歳の親鸞聖人は 新潟の直江津へ) 


     えしゃ  じょうり

   会者定離  ありとはかねて 聞きしかど


          昨日 今日とは 思わざりけり


      会うた者は必ず別れる運命にあるとは、以前より聞いて

      知っていたが、まさか昨日今日とは、思いもしなかった。


      これは、心より尊敬されていた恩師法然上人との別れに際し、

            親鸞聖人が その悲しみを詠まれたお歌です。


   返歌として、法然上人は、

   

         別れ路の さのみ なげくな 法の友

                 また遇う国のありと思えば


                 弥陀の浄土での再会を誓っておられます。

   
      え しゃ じょう り

 「 会者定離 」とは、


        「遺教経」の「世は皆常なし、会には必ず離あり」

                        からできた仏教の言葉です。


  「生者必滅、会者定離」(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)ともいい、

   生ある者はいずれ滅び、

会う者もまた、離れる定めにあるという意味。

             “逢うは別れの始め”と同じです。