前回まで、 生苦・老苦・病苦・死苦 について書かせて頂きました。
上記の四つを四苦といい、
それに
あいべつり く おんぞうえ く ぐ ふ とっく ごおんじょうく
『愛別離苦』 『怨憎会苦』 『求不得苦』 『五陰盛苦』 の
四つを加えて、八苦といいます。
あいべつ り く
『 愛別離苦 』 とは、愛する者と別れる苦しみです。
愛する人との別れは辛く、
世の中には、大切な人を失った痛手から自殺する人すらあります。
二十年もの間、釈尊に師事し、すでに凡情を超越していた
阿難尊者でさえ
釈尊御入滅(お釈迦様がお亡くなりになられたこと)の際、
悲嘆やる方なく、ほとんど人事不省になられたといいますから、
この苦痛は、決して 生やさしいものではありません。
親が子を失うとか、子が親に離れるとか、
夫婦、兄弟、友人知人、
その他、死に別れ、 生き別れなど、
いずれもみな耐え難き苦痛です。
※阿難(あなん)
=釈尊十大弟子のお一人。
いつも お釈迦様の身の回りのお世話をされたお方。
お釈迦様は、阿難を大変、かわいがられた、といわれます。
※人事不省(じんじふせい)
= 昏睡(こんすい)状態に陥り、意識を失うこと。「―に陥る」 |
アニメ 「世界の光 親鸞聖人」より
権力者の横暴により、
法然上人・親鸞聖人は、ともに流刑に遭っておられます。
(法然上人は七十五歳で 四国の土佐に、
三十五歳の親鸞聖人は 新潟の直江津へ)
えしゃ じょうり
会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
昨日 今日とは 思わざりけり
会うた者は必ず別れる運命にあるとは、以前より聞いて
知っていたが、まさか昨日今日とは、思いもしなかった。
これは、心より尊敬されていた恩師法然上人との別れに際し、
親鸞聖人が その悲しみを詠まれたお歌です。
返歌として、法然上人は、
別れ路の さのみ なげくな 法の友
また遇う国のありと思えば
と 弥陀の浄土での再会を誓っておられます。
え しゃ じょう り
「 会者定離 」とは、
「遺教経」の「世は皆常なし、会には必ず離あり」
からできた仏教の言葉です。
「生者必滅、会者定離」(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)ともいい、
生ある者はいずれ滅び、
会う者もまた、離れる定めにあるという意味。
“逢うは別れの始め”と同じです。