プラス1 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

肉まん・あんまん、羊羹やあずきバーなど、皆さんも『井村屋』さんの商品を口にする人は多いでしょう。

同社は1896(明治29)年創業と歴史ある会社なのですが、今日は我が愛読紙・月刊『致知』6月号に掲載された、同社の歴史始まって以来の超出世・・・アルバイトで採用されてから正社員となり社長にまで昇りつめ、現在も同社会長を務める中島伸子氏(↓表紙写真)のインタビュー記事を抜粋にてご紹介します。

 

   
     

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1952(昭和27)年に現在の新潟県妙高市で生まれた中島氏は、将来学校の先生になることを夢見ていたそうな。

しかしそんな彼女の運命を大きく変える出来事が。

それは1972(昭和47)年11月6日未明に起きた

 

北陸トンネル列車火災事故(↓)

 

 
乗員1人を含む30名の犠牲者と714人もの負傷者を出す悲惨な列車火災だったのですが、当時豊岡女子短大に進学し福井で一人暮らしをしていた中島氏は、たまたま両親が誕生日のお祝いをしてくれるということでこの列車に乗って帰省する途上で巻き込まれてしまったのです。

前に座っていた母親と5歳・3歳・生後2ヶ月の3人の子供は全員亡くなったそうですが、列車から飛び降りた後煙に巻かれ気絶した彼女は幸いにも救助され、事故から2日後の20歳の誕生日に息を吹き返したそうな。

しかし一酸化炭素中毒の影響で声が出なくなり、医師から声を使う仕事は諦めるよう言われ教師の道を断念せざるを得なかった中島氏は目標を失い、退院後も実家で静養していた彼女に、父親から手紙が。 その文面は、

『君は自分の人生をどうするんだ。

声が出なくても立派に生きている人はたくさんいる。

声が出ないことを気にするんだったら、自分だけの〝プラス1〟を探しなさい。

それがあれば必ず人の役に立つ。

〝辛い〟という字に一本足せば〝幸せ〟という字になる。

それを忘れずに一所懸命生きていくことが、亡くなった人への恩返しであり使命ではないか。』
 
この父の言葉を心の支えとした中島氏が短大卒業後に経理事務のアルバイトとして入社したのが、井村屋の福井営業所でした。

経理未経験だった彼女は夜間学校に通って勉強したり、電話番ができない代わりにトイレ掃除でも何でも、更には4トントラックの免許を取って配達までしたそうな。

そんな日常の中で、

「あぁ、そうか。職業に貴賤はない。
必要だからその仕事が存在している。
どんな仕事でも一所懸命やろう。」
 
「そこに父から言われた〝プラス1〟を足せば、私らしい仕事ができる。」

と気づいたとのこと。

その後彼女はカップアイスの蓋を開けやすくする改善提案をしてそれが採用され、25歳の時正社員に。

その後さまざまな苦労をしながらも、経理課長・営業所長・支店長・常務・専務と昇進を重ね、2019(平成31)年に代表取締役社長に就任したのです。

そんな中島氏は、こうも仰っています。

『どんな成功体験があったとしても、自分で自分を褒め、慢心して学びをやめてしまう人は絶対に伸びない。

「まだまだ足りない」「もっと力をつけなきゃ」と自分自身の不足を謙虚かつ素直に直視できる人は学び続けるので、伸びていきます。』
 

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若者、特に新社会人の皆さんに是非聞かせたい言葉ですネ。
 
 
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