〝命懸けの職業〟といえば、消防士や自衛官などが挙げられますが、民間人としてそれに当て嵌まる職業のひとつに、戦場カメラマンがあります。
今日は、この職種の第一人者といえる
ロバート・キャパ
Robert Capa
命日・没後70周年にあたります。
キャパ(本名フリードマン・エンドレ・エルネー)は、1913年に洋品店を営むユダヤ人の次男としてハンガリー・ブタペストに生まれました。
青年期から学業の傍ら写真技術を学びましたが、1931年に左翼活動容疑で逮捕され釈放後ベルリンに移り、そこで写真通信社の暗室係に。
しかし2年後にはナチスのユダヤ人迫害から逃れるためベルリンを離れたキャパはパリへ。
そして旅行会社や通信社に勤務した後、ユダヤ人女性ゲルダと組んでフィルム現像を請け負う事務所を設立します。
そして1936年、2人はスペイン内乱の取材に出かけ、そこで撮影されたのが有名な〝崩れ落ちる兵士〟 と題された1枚の写真。(↓)
これが『LIFE』誌(↓)などに掲載されたことで、キャパの名は一躍有名に。
1939年アメリカに渡り、翌年永住権を取得。
第二次世界大戦の現場を回って撮影を続け、その間に『LIFE』誌と契約。
1943年にはノルマンディー上陸作戦に同行し、最前線での凄まじい戦闘の中震える手で撮影したピンボケ写真は、その臨場感を余すことなく世界に伝えました。
1946年にアメリカ市民権を取得し、その翌年には仲間たちと国際写真家集団〝マグナム・フォト〟を結成。
その後も戦場の最前線で撮影を続けたキャパは1954年4月に 『カメラ毎日』の創刊記念で招かれ初来日、熱狂的歓迎を受けます。
しかしその僅か1ヶ月後の5月25日・・・ 『LIFE』誌の依頼でインドシナ戦争の撮影をすべく北ベトナム入りした彼は撮影中誤って地雷に接触、40歳の若さで爆死してしまいました。
現在でも年に一度最高の報道写真に対し送られる〝ロバート・キャパ賞〟 にその名を残す、名カメラマンのご冥福をお祈り致します。
ところで、先にご紹介した〝崩れ落ちる兵士〟の写真・・・昔からヤラセ疑惑が囁かれていたことをご存知でしょうか?
15年前にもスペインの新聞社が、「撮影現場は今まで伝えられてきたセロムリアーノではなく、50km離れたエスペホ付近」だとして現地の写真を並べて掲載、地形が酷似していると主張したそうな。
戦争写真の代表作といわれるこの歴史的1枚は、真実の瞬間を撮影したのか、それとも捏造なのか・・・。
今ではもうキャパ本人に確かめる術はありませんが、皆さんはどちらだと思いますか?
その真偽に興味のある方には、こちらのご一読をお勧めします。
『キャパの十字架』
(沢木耕太郎・著 文春文庫・刊)