昨日に引き続き、早坂茂三氏の著書『意志あれば道あり』(集英社文庫・刊)より、彼の教育に関する持論をご紹介します。
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以前に比べ、生徒がわがままになって、分際をわきまえず教師と対等に振舞っている。
なのに昔よりも傷つきやすく、脆くなっている。
学校は教師という権力者が、ひとつの文化を生徒に押し付ける場だ。
この権力を前に生徒は一応従うふりをしなければ、教育は成り立たない。
この押しつけが難しくなった。
戦後民主主義が自由だ、平等だというお題目を吹き込んで、生徒が教師の手に負えない。
教育を捻じ曲げているのは、生徒の人権・平等も大切という考え方だ。
平等は画一化を生んで異質な生徒を排除し、悪質なイジメの温床となる。
人権はピアスを付け、髪を染め、登校拒否するのも生徒の勝手となる。
前近代的な事でも、教育現場には重要だ。
それ抜きで教育は成り立たない。
子供は子供同士の関係の中で争い、成長していく。
イジメを犯罪視したら、子供同士の付き合いは成り立たない。
イジメは無くならないし、集団の中で学ぶという教育効果もある。
社会は自我のぶつかり合う場所だ。
周りから攻撃されて、子供は自立していく。
生徒を成長させるのに抑圧=先生の権力は必要だ。
人権尊重は教育をダメにする。 平等主義は学校を殺す。
以上は現役高校教師の証言・叫びだが、戦後教育の根本的な欠陥を鋭く表現している。
戦後イデオロギーとなった〝自由・人権・平等〟の負の側面が社会生活の全てに浸透してしまった。
人間に絶対的な平等はあり得ない。
ペーパーテストが得意なのと、苦手なのがいる。
これを一緒くたにして、子供が一律に偏差値70を目指し、金太郎飴に仕立て上げるのは無理な話だ。
その結果登校拒否・ドロップアウト・いじめの頻発につながる。
教育制度の改革が必要だ。
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そう仰った上で、早坂氏は小・中学校の9年間義務教育の一本化や大学の進級・卒業の厳格化、また大学間の学生の移動自由化を提唱しています。
これらの改革提言については、早坂氏がこの意見を述べられた25年前と現在とでは制度・情勢が変わっているため一概に嵌め込めないでしょうが、少なくとも子供に平等・人権を与えたり押し付けるべきでない、という意見には賛成です。
なぁんて言うとモンペアから集中砲火を浴びそうですが、ではなぜ子供たちを大事にしようとすればするほど教育現場は荒れ、イジメが陰湿・深刻化するのか?・・・原点回帰して考え直すべきではないでしょうか。
早坂氏も仰っていますが、私は一刻も早く(現代風にアレンジした)教育勅語(↓)と道徳教育の復活が急務だと思うのです。
皆さんはいかがお考えでしょうか?