小 言 <上> | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、かつて田中角栄氏の秘書を長年務めた早坂茂三氏の命日・没後20周年にあたります。

拙ブログでは、氏の著作を通して昭和の名宰相の人間性や実像を幾度となくご紹介してきましたが、その中から彼の私見を今日・明日の2日間にわたってご紹介致します。


     ◆     ◆     ◆     ◆

 

日本の戦後教育が民族の魂を失ったのは、アメリカン・デモクラシーの自由・平等・人権が「三種の神器」になったからだ。

 

北米大陸は建国以来240年、思想や宗教、文化に生活習慣、言葉の違う人たちが新天地を求め、あるいは奴隷商人に拉致された黒人も含めて120以上の多民族・多人種を抱えたモザイク国家である。

 

それぞれが好き勝手に能書きを垂れ、欲得ずくの抗争を繰り返していては、中央集権国家が成立しない。

 

そんな複雑な社会をまとめるには、誰もが文句を言う筋がない旗印が要る。

 

そこで歴代の指導者たちが自由・人権・平等を大声で連呼した。

 

これを戦後日本が欣喜雀躍して迎え入れ、神棚の代わりに採用した。

 

ところがこれらは「もっと自由を与えろ」「平等に扱え」「人権を無視するな」、いずれも他者への注文・苦情ばかりである。

 

しかし我が国は縄文・弥生の昔から水田耕作社会の自己完結した国柄である。

 

先祖伝来の合言葉は忍耐・努力・勤勉・・・これは責任を他に求めず自分を厳しく律する内面の規範、自分への問いかけである。

 

団塊以後の親たちは、戦勝国から頂戴した思想にマインドコントロールされて、先祖伝来の三原則を知らない。

 

自由と裏腹の責任が軽視され、平等主義の大洪水になった。

 

子供は親の鏡だ。諸事万端にわたって親に右にならえしている。

 

      ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-早坂 茂三

 

戦後教育は規律がとれた日本社会の秩序・上下関係・在るべき権威を根こそぎ崩壊させた。

 

現代日本の大きな病は、親と子・男と女の境界線が急速に失われていることである。

 

「子供と親は対等な関係だ」とか、「親は子供の友達でいいじゃないか」という逆立ちした理論が、進歩派を気取る論客の間で交わされている。

 

これではいずれ日本は滅びる。

 

親にとって子供は友達付き合いの対象ではない。 

 

小さな猛獣、身勝手な餓鬼、迷える子羊、無限の可能性を秘めた聖なる天使の混合体である。

 

子供が自主独立の生き方を会得するには、鉄は熱いうちに打て、 

飴と鞭で幼時から仕込むしかない。

 

私はチビの時から母親に「自分のことは自分でやれ。他人様に甘えるな。世間様に迷惑をかけるな。」と教え込まれた。

 

女房は少女時代、机の横に母親が筆字で大きく書いた 「忍耐・努力」の紙が貼ってあったという。

 

これが躾である。

 

失敗だらけの戦後教育の極めつきは修身、いわゆる道徳の全面カットである。 

その結果、躾のイロハを知らない親が全国を埋めてしまった。

 

では、崩壊する家庭を再建するカギは何か?

 

私は教科書の無料支給と学校給食をやめることだと思う。

 

親が子供に教科書を買い与えるのは当たり前である。 

例外は生活保護家庭だけ。

 

また母親が子供の弁当を作るのに何の不思議もない。

それで母と子の間に温かい血が通いあう。 

 

不必要な出費が削られて国の財政が回復し、寝たきり老人の介護費に金が回せる。

 

給食業者が騒ぎ出し、PTAの母親たちが 「共働きの母親に過酷な労働を強いる」 とか、「おかずに差が出て子供の平等・人権が傷つく」 と金切り声をあげても構わない。

 

父性が家庭に回復し、子供の注文は十にひとつかふたつだけ聞いて、母親が心を込めて弁当を作って子供に持たせてやれば、祖国の闇が暁に近づく。

 

           『意志あれば道あり』(集英社文庫・刊)より

 

     ◆     ◆     ◆     ◆
 

亡くなる数年前に、頑固な昭和オヤジが述べられた意見ですが・・・皆さんはどう思われますか?

私個人としては、親に食べさせてもらっている子供に権利主張をさせるのはおかしいと昔から思っていますが。

 

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