日本が世界のトップ水準を誇る技術は多々ありますが、その中でも近年技術進歩が著しく、かつ更なる実用化が求められているのが〝ロボット〟分野といえましょうか。
中でも特に注目を集めているのが
ヒューマノイド
humanoid
と呼ばれる人間型ロボット。
おそらく多くの皆さんがご存じのヒューマノイドといえば、本田技研工業の開発した〝ASIMO 〟 だと思います。(↓)
といっても、それは〝ASIMO 〟 ではありません。
今日はその画期的なロボットを開発した、元早稲田大学工学部教授にして日本ロボット学会会長も歴任された
加藤 一郎 氏
の命日・没後30周年にあたります。
1925年に千葉県で生まれた加藤氏・・・中学生の頃は全く畑違いの哲学を志していたそうな。
しかし船長だった父親が 「文系だと学徒出陣で戦地に送られるが、技術要員ならば出征なくてすむ」と理系に進むよう厳命。
仕方なく早稲田大学の理工学部電気工学科に入学したというのですから、人間の運命は分かりません。
卒業後は千葉工業大学工学部の講師となり、そこで当時珍しかったオートメーション技術に目をつけ、研究を開始。
その10年後の1963年に母校・早大の理工学部機械工学科助教授に就任すると、人間を真似た〝人工の手〟の研究に着手。
そこからヒューマノイドの研究へと進化していきました。
教授に昇格した3年後の1970年に学科を横断したプロジェクトを立ち上げ、1973年に完成させたのが簡単な会話もできる世界初の二足歩行ロボットの〝WABOT-1〟。
(※WASEDA とROBOT の合成語)
更に1984年には楽譜を認識して両手両足を使って鍵盤楽器を弾く〝WABOT-2 〟の開発に成功。
その改良型は翌年開催された筑波科学万博のオープニング・イベントでNHK交響楽団と共演し、見事『G線上のアリア』を弾き、各国のVIPを驚かせました。
WABOT-1 WABOT-2
ただ二足歩行が出来るとはいえ、当時のWABOT-1 は、約10cmの1歩に45秒もかかったとか。😨
加藤教授が69歳で亡くなられたのは1994(平成6)年6月19日のことですが・・・それから20年後、そしてWABOT-1 開発から40年経過した今、ASIMO がステージ上を走り回ったりボールを蹴ったりできるようになったのは、長足の進歩といって良いでしょう。
私の手元には、加藤氏の著書
『独創は独走なり』 (講談社・刊)
があります。(↓)
魅力的なタイトルですが、この中で加藤教授は
「日本は戦後2つの機械革命の時代を経てきた。
第一がマイカーに象徴される自動車革命の時代。
続いて第二の機械革命として登場してきたのが、マイコンに象徴される情報機械革命の時代である。
現在(1980年代後半)から2~30年後には(コンピューターを活用した)情報化社会はマイカー同様の成熟状況を迎えるに違いない。
そして来たるべき第三の機械革命が、ロボット革命である。
私の試算では各家庭に装備される〝マイロボット〟の台数は1,000万台を超え、最低でも人口の10%になるとみている。」
と述べておられますが、まさにその予言通り・・・いや、介護用ロボットを始めそれ以上の市場があると言えましょう。
また同教授はこうも述べておられます。
「日本が二足歩行で世界初の開発が出来たのは、平和利用を目的としていたから。
アメリカは軍事利用目的の開発だから四足歩行を優先した。」
先駆者のご冥福を祈りつつ、今後も日本のロボット開発はあくまで平和利用路線を堅持してくれるよう、願うばかりです。