昭和世代の映画ファンを魅了してきたシリーズもの・・・といえば、邦画ではフーテンの寅さんや釣りバカ日誌ですが、洋画だと007でしょう。 その第1作である
ドクター・ノオ
Dr. No
が本家・イギリスで公開されたのが、今からちょうど60年前の今日・1962年10月5日のことでした。
当時のイギリス版ポスター
原作は、実際に元スパイだったイアン・フレミング。(↓)
ドクター・ノオが彼の小説・第1作目かと思いきや、実は第6作目の作品。
当初は第8作目の 『サンダーボール作戦』 が映画の第1作目になる予定でしたが、著作権に関する訴訟問題から暗礁に乗り上げ、代わりにSF色のあるドクター・ノオが選ばれたそうな。
宇宙ロケットを妨害する怪電波を調査していたイギリス謀報部員がジャマイカで殺されたことで現地に派遣されたボンドは、ドクター・ノオ博士が所有する謎の島に秘密が隠されており、彼がソビエト連邦に通じてアメリカの誘導ミサイル実験を妨害していることを突き止めて・・・というストーリーは、結果的に米ソの宇宙開発競争や偶然にも公開直後に起きたキューバ危機などから、時事性を帯びた作品に。
そしてメガホンを取ったのが、テレンス・ヤング監督でした。(↓)
彼がこの作品出演によって一躍スターダムにのし上がったことは、皆さんもご承知の通り。
同様に初代ボンドガールに選ばれたスイス出身のウルスラ・アンドレスも、その後 『なにかいいことないか、子猫ちゃん』 や、007シリーズシリーズ番外編 『カジノロワイヤル』 にも出演。
歴代ボンドガールのセクシー度を選ぶ投票でも1位に選ばれており、ジェームス・ディーンや、ジャン=ポール・ベルモンド、ライアン・オニールら多くの男優と浮名を流すなど、大いに活躍。😅
彼女がビキニ姿で海岸に上がってくるシーンは、同作で最も有名と言ってもいいでしょう。(↓)
※余談ですが、ロケ地となったジャマイカには〝JAMES BOND
BEACH 〟と名付けられた海岸があるそうな。
同作は100万ドルというシリーズ中最も低い予算で製作されましたが、結果的に5,900万ドルもの興行収入を上げ大ヒット。
1962年の映画興行成績では『アラビアのロレンス』の7,000万ドルに次ぐ第2位に。
しかし日本では 『007は殺しの番号』 というタイトルで1963(昭和38)年6月に都内で公開されましたがあまり注目されず、同年公開された外国映画配給収入でベスト10に入らなかったそうですから、少々驚き。😨
それでは最後に、同作のPVで若き日のショーン・コネリーの雄姿を懐かしみましょう。