どうも、わらびです。

今回は国道10号線の鳥越隧道の旧道にあたる街道、磯街道を探索しました。

 

===↓関連する探索はこちら===

 

鳥越坂と支線①(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道 Part1)

鳥越坂と支線②(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道 Part2)

行屋堀(稲荷川河口付近にかつて存在した運河)

初代・永安橋(磯街道に架かっていた岩永三五郎による石橋)

 

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地図赤線が今回探索した道です(地図上部の接続部に若干誤りがあります。スンマセン)。

 

先に磯街道について軽く紹介しましょう。

磯街道は行屋堀接続部と永安橋の袂を起点とし、磯庭園へと向かう海岸沿いの道路になります。鳥越坂と同様に磯地区へと向かう街道として古くから存在しました。

現在の祇園之洲付近にはかつて田浦と呼ばれる景勝地もあり、磯街道に沿うように寺院も点在していました。

しかし当時の道幅は現在のように広くはなかったといいます。

転機となったのは明治5年。当時の天皇が鹿児島県巡幸として磯を訪れる際、馬車も通れる快走路として改良されたのが現在の磯街道です。

鹿児島県巡幸後も通行人は増え、最終的に重富まで延伸開鑿され延伸部は現在の国道10号線のルートとなりました。

しかしその後車の普及などもあり、JR(当時は国鉄)の線路との踏切が二つもある磯街道は不便になってきました。何より鹿児島駅は貨物ターミナルでもあり、永安橋の袂の踏切は今も昔も開かずの踏切となっていました。

そこで昭和10年頃から現在の鳥越隧道を経由した新道の構想が持ち上がり、昭和30年に隧道が着工されました。その後磯街道は市道 上本町磯線となり現在に至ります。

 

永安橋から探索を開始します。

ちなみに分類的には旧道にあたるこの道ですが、祇園之洲や後述の鹿児島北バイパスとの接続もある為交通量はかなりあります。

 

JR日豊本線の祇園之洲踏切。かつてこの先の鹿児島駅に車掌区や貨物拠点があり、多くの側線があった名残があります。

一応貨物ターミナル駅は今もありますが輸送手段の移り変わりとともに規模はかなり縮小してしまいました。

 

磯街道は八幡神社の脇を進みます。

 

高麗橋(石橋記念公園内)と磯街道。

高麗橋は元々加治屋町付近の甲突川に架かる谷山別路(谷山街道の支線)の橋でしたが、8.6水害後の甲突川改修に伴い現在地に移設復元。

 

跨道橋と立体交差。

橋は石橋記念公園と多賀山公園への道路を結ぶ歩道のものです。

 

その先では右から大量の車が合流してきます。

右にあるのは祇園之洲橋。祇園之洲の人工島と磯街道とを繋ぐ橋です。

現在この橋を渡った先が鹿児島北バイパスの終点となっており、そこから大量に磯街道へと車が流れてきます。

鹿児島北バイパスは鳥越隧道の更なる新道として計画・着工されている道路です。磯庭園の景観問題等からなかなか事業が進まず、最近になってやっと工事が始まりましたが数年経ってもまだ橋一つ出来ていません。

永遠に開通しないバイパスとして一部の鹿児島市民にネタにされています。果たして蕨が生きてる間に開通するんでしょうか。

 

大型貨物自動車通行止めの標識。

鹿児島北バイパスが通じていると誤解してこの道に誘導されるとトラックは行き場を失います。

 

桜島と磯街道。

奥のカーブがなんだか昭和のドライブみたいな味を出してます。

 

磯街道の脇には琉球人松と呼ばれるひと際目立つ松の木があります。

当時の琉球船が灯台の代わりにしていたことからこの名が付きました。

 

磯街道から見た桜島。

昔このあたりの道沿いには桜が植えられていたようで、通行人はその風景を嗜んだといいます。

現在は小さな地名に残るのみで見る影もありません。

 

かつてのメインルートを思わせる風景。

写真右に写っている鉄骨の集まりは工事中の鹿児島北バイパスの祇園之洲橋(仮名)の橋脚の一つです。

ちなみにこの橋脚を立てるのに三年かかってます。比較にはなりませんが新平江橋がまるまる三本架けられる年月です。

多分橋の先の磯トンネル(仮名)を掘るには100年ぐらいかかりそうですね。冗談ですよ。冗談。まさかね。

 

このあたりの山手は法面工事がされています。

上の茂みあたりにはキイレツチトリモチの産地があるようです。

法面にどこか国道3号線の甲突川沿いのような既視感を感じました。何か関連性があったとしても資料が見つからないのでなんとも(法面なんてどこも似たようなモンですしネ)。

 

少し進むと祇園之洲橋(仮名)の橋台が姿を現します。

ちなみに現在建設しているのは下り線のものです。こちらは三年程前には既に完成していました。

 

若干見づらいですが銘板。

2020年と刻まれているのが分かります。

 

橋台を後にすると磯海岸がお出迎え。

鹿児島市近郊に唯一残る砂浜です。かつては与次郎や谷山など各地に白砂青松の砂浜がありましたが、全て埋め立てにより失われてしまいました。

最後まで残っていた七ツ島も谷山臨海工業地帯に変貌。そちらに関しては企業誘致の失敗というしくじりもあって観光資源として残した方が良かったんじゃないかと思わなくもないんですが。

 

このあたりは鹿児島名物両棒(じゃんぼ)餅の店が並ぶ区間です。

両棒餅の発祥は我が故郷谷山、異論は認めない。

 

道脇の菅原神社。

磯地区に古くからある神社の一つです。

 

磯街道踏切。踏切の標識(電車Ver.)がありました。現在このすぐ先に磯新駅(仮)を設置する事業が進んでいます。

 

話が逸れましたが磯街道踏切の脇には電化以前の日豊本線の旧線が残っています。

この先には旧隧道もありますが立ち入れないので探索せず。

 

やがて磯街道は現在の国道10号線に合流します。旧街道は奥の方の進入禁止の道の方です。

正面の工事中の敷地が磯新駅の設置予定地。現在車線を増やす工事中。

 

磯新駅の設置で消える予定の区間。

元々はこのあたりに集成館などの塀がありましたが鳥越隧道経由の国道10号線が開通した際に失くなりました。

 

今回はここまでとします。

 

===↓関連する探索はこちら===

 

鳥越坂と支線①(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道 Part1)

鳥越坂と支線②(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道 Part2)

行屋堀(稲荷川河口付近にかつて存在した運河)

初代・永安橋(磯街道に架かっていた岩永三五郎による石橋)

 

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