Study Hard -409ページ目

本幹

 先日G長に、彼がもっとも気になっていたらしきことについて説明しておいた。
 軍事学の構築を目指しているということを言うと、必ずと言って良いほど返って来る反応が「それは戦争を是とするのか否とするのか」という質問である。史記の延長で「天道是か否か」みたいな意味で聞いてる訳でもなさそうなので、まあ要するに、彼らは戦争一般に対する是非を問う以上の洗練された質問が思いつかないだけなのだろう。
 学会でもご多分に漏れず、ほぼ必ず「吾々は平和主義である」という旨のことを婉曲に言われる。そんなことは百も承知であるし、平和主義を批判したこともないので、普通はそれっきりである。しかしG長は腑に落ちなかったらしく、今回わざわざ説明する運びとなった。次のようである。

 私が構築せんとする軍事学は、いわゆる社会科学の範囲であり、事象を基に構成される体系である。それは「法に依りて人に依らず」という文言からすれば、法に依る部分に近しい。一方で、学会の言う所の平和主義は、個々の人格の有り様の規定を要求する意味で人に依る部分に近しい。少なくとも、より多くの人が学会に入り平和主義を保つべきであるという部分は人に依る部分である。従って、軍事学の構築と平和主義の敷衍は、法と人という異なる部分に向かう以上、何ら衝突するものではない。また、軍事学は戦争一般の是非を論じない。それは経済学が交換一般の是非を論じないようなものである。交換は須く善だとか悪だとか主張する経済学など有り得ない。探究の対象の絶対的善悪を論ずるを以て学問の窮極と為すなど考えられないためである。また、平和主義ないし平和研究と、戦争の何たるかを追究することとが対立する訳でもないということも付け加えられよう。以上のように、軍事学は何ら学会の利害と対立しないものであると私は考える。但し、この道を進む限りにおいては、私は平和主義に組する事は出来ない。平和主義を捧げ持つということは、軍事学の興味の対象であるはずの戦争に対する絶対的価値観を規定することになり、それは学問的思考を大幅に離れることになるからである。

 との旨をもっと平易な言葉で事例を交えつつ説明した。なるほど分かりました、とのことであったが、本当に分かったのかはどうでも良い事である。

 さて、前置きが随分と長くなったが今日は本幹であった。
 まず、白ゆり合唱団の歌う「母」に対する大拍手が印象的であった。録画放送にも関わらず場内の拍手の量は大変なもので、「宗教法人の最終消費者」たる婦人部の威力を見せつけられた次第だ。もちろん録画中の拍手の量も非常に大きく、一方で実に良く練習していたはずの創価グロリア吹奏楽団の霞みようを思うとやるせない気持ちにさえなった。
 その後の秋谷第五代(五代目だとppに指摘されるまで気付かなかった)会長までは、いつも通り「破邪顕正」という感じだ。
 やはり本打ちは池田先生であり、今回も学会に対する思いが強く感じられた。内容はすっかり忘れたが、ブラジルだった。そう言えば取得学位が200に到達するそうだ。

 ところで、池田先生自身が「師弟」を強調されるように、池田先生オリジナルの思想というのは実は少ない。それは脈々と続く師弟の間柄に伝わる変わらぬ真理だからである。そして今日もまたそれを得る事は出来なかった。
 牧口先生の創価教育学体系なく、戸田先生はもう何を言ったのかさえ良く分からない現在、何が師弟不二の間柄に伝わるものなのか。ますます気になる所である。
 法華経を講じ、かつ日蓮上人を師と仰ぐ以上、禅宗のごとく「不立文字」ではないはずである。さればその法を継ぐ者をこそ、私は師と仰がねばならないのである。ところでそれは池田先生なのだろうか、それとも斎藤教学部長なのだろうか。あるいは。

勧告

 現在、戦史研がすごしつつあるような艱難辛苦の時代においては、あらゆる弊害の源泉として虚偽の原因(※1)を指摘し、それによって、その弊害がすべてこれらの原因に帰すると説得することによって、人心を誤らせることのきわめて容易であることは、実に、だれしも経験しているところである。このようにして人心を支配しようと欲する者(※2)にとっては、いまこそ、絶好の時期である。復讐の手段に、害悪の性質からみて、それ以外に解決はない、という外貌を与えて、この復讐の手段(※3)を大衆の耳にささやくには、現在ほど適当な時は他に無い。いずれにしても、戦史研員たるものは、かような妄想に手をかすべきではないのである。

 ※1 S竹君会長就任
 ※2 軍部
 ※3 会長降ろし

 われわれは「これらの大問題(※4)は、一九八二年以降われわれを悩ました問題が、もっと複雑になって再現したものにすぎない、という考えで、この問題と取り組む」ことをやめなければならない。「S竹君の意味するもの」をして、「戦史研員が平和と繁栄のなかに生きうる方法を、思慮ある人々に探求させることを怠らせてはならない。がしかし、S竹君への処罰のなかに示された一連の行動には、上のS竹君の意味するものをよく認識しているというしるしは、見られないのである」。

 ※4 会員不足

 おそらくS竹君だけが責任があったのではないという可能性を、戦史研は、全然無視してはならない。S竹君の罪はたんに、おそらく、妄想にもとづいたかれの誤解にすぎなかったかもしれない。かような妄想は、自己中心のものにすぎなかったかもしれない。しかし、そのような自己中心の妄想であるとしても、かような妄想はいたるところの人心に深くしみ込んだものであるという事実を、看過することはできない。

 「一つの些細なこと、すなわち、S竹君の処遇があまり強調されることによって、存立の真の条件にたいする戦史研員の理解は増進することなく、むしろかえって混乱(※5)させられるであろう」。

 ※5 会員不足は犯罪であり、かつ個人犯罪であるという考えによりさらに助長されている

 「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、軍神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」。

 『パル判決書(下)第二篇第七部 勧告』より「一部改変」

業務連絡

 ゲームサークル大都会の諸君に告ぐ。
 諸君らの許可なく、文面はこちらで考えておいた。以下のようである。

『作戦級以外や持込みも大歓迎です。また、「ゲームサークル大都会」との協同により、殆どのアナログゲームに対応可能です。』

 ゲームサークル大都会が単体で掲載されることはない。安心されたし。文句を言うなら今日明日中が好ましいだろう。
 また、単に「大都会」としたかったのであるが、それでは少々分かり辛いので「ゲームサークル大都会」とした。同大学であるということを示したかったので「東大ゲームサークル大都会」にしようとも思ったが、米帝の検索エンジンに依れば、この名称では諸君らのサイトよりも先にこの糞ブログが引っかかるため、断念した。コマンドマガジンの賢明なる読者諸兄が、「ゲームサークル大都会」で問題なく当該サークルを探り当てられるだろうと期待したものである。

 以上、事後報告終わり。