Study Hard -24ページ目

さすがに驚いた

 いま凄いことに気付いた。
 去年の6月から8月ぐらいまでの記憶がない。なぜ無いとわかるかというと、その時期のアイマス概念について記憶がないからだ。確かに、あの頃は未経験のタイプの調子の悪さだった。

 なぜその時期のアイマス概念に関する記憶がないとわかったかというと、先日の徹カラのおりのことだ。S氏がある「アイマスソング」を入れたのだが、それをまったく知らなかったためだ。しかも公式曲である。
 そういえばV4Uって何で出てな...2008年7月発売。マジか。

 こういうときにこそブログは役に立つ。
 早速過去の記事を見てみると...意外と活動している。

【推察】
 6月→かつてないレベルの落ち込み
 7、8月→躁期?
 9~12月→鬱期

 今までの周期から考えると、7、8月だけ突然躁期というのがちょっと理解できない。じゃあ凄い鬱期だった,,,ともちょっと思えない。
 しかし、実際に夏期休暇中に何もしていないということは、少なくとも例年よりは活発でないということだ。もしかすると、あまりに低水準に基底が落ちていたため、やや回復傾向にあった時期が相対的に躁期に思える状況だったのか。

 そういえば、民青は何であんなに怒ってるの?

宗教法人は芝居をするところではござらぬ

【喩若樹無根】
 私は、父が言うほどラディカルには、他人の言葉を僅かに聞けば直ちに相手のことが理解できるとは思えない。しかし、幾つかの言葉については、聞けば直ちにその者が宗教者としてどの程度のレベルにあるか理解できると思えるようになった。
 それは、その人が求めているかどうかに関する言説である。低レベルが吐き散らす代表的な言説は「求めていないのに(運良く)到達した/得られた」というものだ。今日まで、この手の言説にはただ悪寒をもってするしかなかったが、今朝父と話をしながら、少しほぐれて来た気がした。

 第一種の誤りと第二種の誤りという分類がある。火災報知器でいえば、第一種の誤りとは鳴るべきでないときに鳴ること、第二種の誤りとは鳴るべきときに鳴らないことを意味する。
 人間の思い上がった感覚からすれば、求めて得られるか、求めず得られない状態は何の問題もない。そして、求めて得られないのも常である。それでは、求めず得られたという主張はどうなるだろうか。これこそ、第一種の誤りに他ならないのではなかろうか。
 火宅に身を置き焼き焦がされている凡夫に向かって、あの連中は「ウチの報知器など常時鳴りっ放しですよ」と自慢しているようなものではないのだろうか。鳴らなければならない報知器は燃えている家のものだけである。

【以下略】
 久々に9割以上の文章をカットした。

 宗教者の影響力は膨大であり、たった一言が他人の人生を破滅させる。逆もありうる。それとて宗教者にとっては他愛もない一言に過ぎない。
 宗教者は口を慎まなくてはならない。雑談などという概念は許されないし、今日の天気のことを述べるのもやめておいたほうがいい。
 祖母も父も、何度もそれを経験した。さらには「先生がそう仰ったので」と何度言ってもいないことを言ったことにされただろう。もちろん、こんなことはどこにでもある話だ。ただ、宗教者の影響力は凄まじいということに過ぎない。

 私も、あと一言あれば、——を一片も残さぬよう燃やしに行くというのに。

 具体名はやめておこう。なんせ俺は本当にやるからな。

戦果報告

 確認殺害1

 一昨日に自称新入生からメールが来ていたのだが、昨日来ていたあの人だろうか。
 質問が3点あったので、それに対して私が勝手に返信したものを転載しておく。質問は回答で察すべし。


 部員は、現役が実働で10名程度です。
 田母神論文については、ただの作文の域を出ないと見なしている会員が多いようです。
 兵器の愛称には大抵通じていますが、特に兵器に興味が偏っているわけではありません。


 最初の質問はごく普通だが、2番目が意図が掴み難いものだった。最後はヌルオタチェッカーか何かのつもりだろうか。
 DYM君あたりは田母神先生が随分とお嫌いなようだが、戦史研がただの反タモサークルの如く思われるのは好ましくないことだろう。田母神先生とハサミは使いようであることが分からないようでは、ただのイデオロギー戦士でしかない。
 以前も述べたが、改めてここで見解を述べておくと、自分のポストが惜しくないトップというのは貴重であり、その勢いを利用して幾つもの改革を試みられたはずだった。それを自爆のような形で失ったのは遺憾であり、それを損失と思わない人は自衛隊に蔓延する非効率を歓迎しているに等しい。

 そして、田母神騒動は、日本人の思想統制好きを明らかにしたに過ぎない。

【作戦効率の擁護者】
 軍隊ほどの巨大組織にもなれば、そのキーワードは効率というよりは非効率だ。非効率ではあるが、その巨大さゆえ、僅かな効率の上昇が巨大な効果を上げるのも確かである。

 今後はますます情報化も進み、戦闘効率は絶え間なく上昇して行くだろう。
 かといって、治安維持のような低強度の戦闘効率しか求められない作戦も無くなることはなく、歩兵の任務において戦闘(やその支援)が一側面でしかないことは言うまでもない(書記長を馬鹿にしつつ)。それどころか「歩兵は攻撃する」が題名になる(時代が違うな)わけで。
 私が興味があるのは、野砲10門のうち戦闘に参加しているのが5門か6門かという問題よりは、どこに野砲を10門展開するかという問題であり、それよりも野砲10門と自走榴弾砲2輌のどちらを配備するかという問題であり、ともかく戦闘でなく作戦の効率を上げることである。そして、それより興味があるのは、相手の作戦の効率を下げることである。
 自分の部隊を効率的に使おうと思うのは当たり前だが、そうそう物事が上手くいくわけでもない。しかし、それは相手も同じであり、軍隊という巨大組織同士の衝突は、むしろ非効率と非効率の争いに他ならない。これは相手が間抜けであることを期待するわけではなく、常に状況を利用するということである。

 集中すべきものは戦力であり、分散すべきものは意図である。これだけは古今東西変わらぬ真理として戦場に横たわっている。この要請を満たしてくれるものこそが、相手を上回る移動力であり、相手を上回る情報技術である。
 書記長が駄目なのは、肝心の意図について考えず、ただ戦力の集中とプラットフォームの分散の問題に拘泥しているので、何がしたいのか何を想定しているのかまったく理解できないところだ。
 とまあ、自衛隊の非効率の話が書記長の話にぶれたように見えるが、基本的には同じことだと思っている。書記長もさすが元自だけあって、思考が完全に自衛隊だ。

 つまり、自衛隊の最大の非効率とは、そして田母神先生をコストしてでも加速すべきだったことは、まず具体的で意味のある想定を作ることに他ならない。と言うと随分当たり前の話に落ち着いてしまうが、単なる地政学的状況を俯瞰するという意味ではなく、まさに相手に非効率を強いるような能動的な想定が必要だということである。
 まあ、あとはお察しくださいということで。

【書記長へ?】
 情報化の最大の意味は、発見即撃滅じゃなくて、気付いたら3倍の砲弾を打ち込まれてるところにあると思うんだが、そうでもないのかね。