月刊小学七年生
弓山先生に聞き忘れたこと。メタ的な質問をしていいかどうか。
「ルベーグ測度で0でもハウスドルフ測度だと2になるような集合もあるのに、一意的な基準で複数の話題を捌くのは難しいと思います」
「これは新聞記事などですから、まず逆問題を解く必要がありますね...」
【然るべき対応】
やはり軍オタには諧謔精神が足りないのではないか。
一般人(ただの無知を一般と呼称すること自体馬鹿げているが)が、空母からミサイル駆逐艦まで戦艦と呼ぶなら、こちらもそれに対応した表現を使ってみてはどうだろうか。
戦車→戦車
装甲車→戦車
トラック→戦車
乗用車→戦車
自転車→戦車
三輪車→戦車
無知にとって呼称などどうでもよいし、ある車輛がなぜ特別に戦車と分類されるのかについて理解する必要も気持ちもないのだから、幼児用三輪車だって戦車でよい。
地上用ヴィークルは全部戦車と呼べば毎日がもっと楽しくなるに違いないし、戦闘も楽しくなるに違いない。どうせなら、「一般人」を「戦車」で突撃させればもっと楽しくなるに違いない。
駆逐艦→戦艦
標的艦→戦艦
油槽船→戦艦
掃海艇→戦艦
水船→戦艦
伝馬船→戦艦
戦艦→戦艦列
「ルベーグ測度で0でもハウスドルフ測度だと2になるような集合もあるのに、一意的な基準で複数の話題を捌くのは難しいと思います」
「これは新聞記事などですから、まず逆問題を解く必要がありますね...」
【然るべき対応】
やはり軍オタには諧謔精神が足りないのではないか。
一般人(ただの無知を一般と呼称すること自体馬鹿げているが)が、空母からミサイル駆逐艦まで戦艦と呼ぶなら、こちらもそれに対応した表現を使ってみてはどうだろうか。
戦車→戦車
装甲車→戦車
トラック→戦車
乗用車→戦車
自転車→戦車
三輪車→戦車
無知にとって呼称などどうでもよいし、ある車輛がなぜ特別に戦車と分類されるのかについて理解する必要も気持ちもないのだから、幼児用三輪車だって戦車でよい。
地上用ヴィークルは全部戦車と呼べば毎日がもっと楽しくなるに違いないし、戦闘も楽しくなるに違いない。どうせなら、「一般人」を「戦車」で突撃させればもっと楽しくなるに違いない。
駆逐艦→戦艦
標的艦→戦艦
油槽船→戦艦
掃海艇→戦艦
水船→戦艦
伝馬船→戦艦
戦艦→戦艦列
セーフティネットって言う度に俺に100円払え
【昨日の善行】
さて、福田君が顕正会に入るならそれもよし。毎日電話されて嫌がるなら「田舎に帰れば逃げられる」と教えてあげればよし。
そうそう、顕正会って水商売多いんだよ。良かったじゃん、これで福田君が言外に欲しがってた「優しくて可愛くて養ってくれる彼女」ができるね。全宗教法人ゴミ信者ランキング上位0.1%に入ることは確実な彼でも、顕正会なら。
これがお前らが欲しがってるセーフティネットってやつだ。よく見とけよ。
【格】
ニセ「左翼」活動家が彼を救おうとして逆に足下を掬われたり、閉鎖空間でゴチャゴチャお喋りをしている間に、俺は15分で顕正会員を呼べる。それだけが事実である。
【弓山先生】
「宗教と狂気」のテーマを採って、わざと「数学と狂気」や「物理と狂気」の内容でやらかすか。「カントールの宗教性」などどうだろう。
そういえば、物理では「パシャる」人が出るそうだ。表現でニュアンスはわかるだろう。公式を丸暗記できるタイプに多いそうだ。
あの慶應の受講生の中に、一体何人がこの狂気という単語の意味をわかるものだろうか。どうせ井上さんのようなのをして狂気だと思うんだろうが、宗教側に足を突っ込んだ人間にとってあんなものは狂気ではなく、ただの春風に過ぎない。
【Je le vois, mais je ne le crois pas】
現代数学の土壌という本が手元にある。最初の項は集合、次が測度である。
亡き志賀浩二がコリント後書から'我等もし心狂へるならば, 神の為なり, 心慥かならば, 汝らのためなり'といきなり引いてしまうぐらい、数学はその最も基本的な概念が狂気と合わせて語られる。「カントルが'神の為に'涯しない無限へと向かって進んで行った道は現代数学ではすべて捨てられた」のだとしても、「数学は本来イデヤ的なもの」ですらなかったとしても、私はカントールがただ1点"見たが、信じられなかった"と言ってくれただけで深い感謝の念に駆られる。
人間にとって、五感も直感も不確かなものでしかないが、測れるものについては信頼してきた。そして、この数学の導入書は、見ても信じ難い集合という概念の次に、測るという概念を繋げるのである。
五感へ無邪気に依存する凡夫に対して説明するには観るとか聴くといった表現を使うが、「神を観た」というよりは「神を測りおおせた」と説明すべきでないだろうか。その方が確からしい。
神を高次元に置き、連続性を保つ1対1写像によって次元を保ちおおせても、そんなものは潔癖性と唾棄する他ない。一方で、「連続性とはまったく無関係な所」にあっても、なお、慥かな部分を私たちの為に遺してくれたカントールには涙を以てするしかない。
かつて、ある院生が「カントールの書簡は涙なくして読めない」と言っていたのを笑いながら聞いていると、彼は「笑い事じゃないよ」と私を嗜めた。私も、もし「カントールの狂気と宗教性」について発表しろと言われたら、途中で泣き出さない自信がない。集合と無限の深淵に触れるたび、苦悩とも無念ともつかない感情に身を引き裂かれるだろう。
公理主義的確率論ですら、その根本を測度論に持つ。
私が、神概念を論じるにも小うるさく体系を求めるのは、単なる教条的論理的展開への要望ではなく、その根本に「たとえば」測りうるものを求めるからこそである。
それを観たとか信じていると言われても、結局のところは茫漠とした集合の世界を眺めるような気持ちにしかならないが、もし公理的に論じられるとしたら、そのとき私たちは神を測ることが出来たと言えるのではなかろうか。
私は、神概念をもって宗教を分類するつもりはないが、最重要分野であることは間違いない。
神の実在について言い合いをするなど、虚数の実在について論じ合うに等しい愚行である。しかし、自然数に対応させて論じよと言われれば、甚だしい魅力を感じる。
職人技を測定技術に置き換えられたとき、はじめて宗教の近代は始まる。
さて、福田君が顕正会に入るならそれもよし。毎日電話されて嫌がるなら「田舎に帰れば逃げられる」と教えてあげればよし。
そうそう、顕正会って水商売多いんだよ。良かったじゃん、これで福田君が言外に欲しがってた「優しくて可愛くて養ってくれる彼女」ができるね。全宗教法人ゴミ信者ランキング上位0.1%に入ることは確実な彼でも、顕正会なら。
これがお前らが欲しがってるセーフティネットってやつだ。よく見とけよ。
【格】
ニセ「左翼」活動家が彼を救おうとして逆に足下を掬われたり、閉鎖空間でゴチャゴチャお喋りをしている間に、俺は15分で顕正会員を呼べる。それだけが事実である。
【弓山先生】
「宗教と狂気」のテーマを採って、わざと「数学と狂気」や「物理と狂気」の内容でやらかすか。「カントールの宗教性」などどうだろう。
そういえば、物理では「パシャる」人が出るそうだ。表現でニュアンスはわかるだろう。公式を丸暗記できるタイプに多いそうだ。
あの慶應の受講生の中に、一体何人がこの狂気という単語の意味をわかるものだろうか。どうせ井上さんのようなのをして狂気だと思うんだろうが、宗教側に足を突っ込んだ人間にとってあんなものは狂気ではなく、ただの春風に過ぎない。
【Je le vois, mais je ne le crois pas】
現代数学の土壌という本が手元にある。最初の項は集合、次が測度である。
亡き志賀浩二がコリント後書から'我等もし心狂へるならば, 神の為なり, 心慥かならば, 汝らのためなり'といきなり引いてしまうぐらい、数学はその最も基本的な概念が狂気と合わせて語られる。「カントルが'神の為に'涯しない無限へと向かって進んで行った道は現代数学ではすべて捨てられた」のだとしても、「数学は本来イデヤ的なもの」ですらなかったとしても、私はカントールがただ1点"見たが、信じられなかった"と言ってくれただけで深い感謝の念に駆られる。
人間にとって、五感も直感も不確かなものでしかないが、測れるものについては信頼してきた。そして、この数学の導入書は、見ても信じ難い集合という概念の次に、測るという概念を繋げるのである。
五感へ無邪気に依存する凡夫に対して説明するには観るとか聴くといった表現を使うが、「神を観た」というよりは「神を測りおおせた」と説明すべきでないだろうか。その方が確からしい。
神を高次元に置き、連続性を保つ1対1写像によって次元を保ちおおせても、そんなものは潔癖性と唾棄する他ない。一方で、「連続性とはまったく無関係な所」にあっても、なお、慥かな部分を私たちの為に遺してくれたカントールには涙を以てするしかない。
かつて、ある院生が「カントールの書簡は涙なくして読めない」と言っていたのを笑いながら聞いていると、彼は「笑い事じゃないよ」と私を嗜めた。私も、もし「カントールの狂気と宗教性」について発表しろと言われたら、途中で泣き出さない自信がない。集合と無限の深淵に触れるたび、苦悩とも無念ともつかない感情に身を引き裂かれるだろう。
公理主義的確率論ですら、その根本を測度論に持つ。
私が、神概念を論じるにも小うるさく体系を求めるのは、単なる教条的論理的展開への要望ではなく、その根本に「たとえば」測りうるものを求めるからこそである。
それを観たとか信じていると言われても、結局のところは茫漠とした集合の世界を眺めるような気持ちにしかならないが、もし公理的に論じられるとしたら、そのとき私たちは神を測ることが出来たと言えるのではなかろうか。
私は、神概念をもって宗教を分類するつもりはないが、最重要分野であることは間違いない。
神の実在について言い合いをするなど、虚数の実在について論じ合うに等しい愚行である。しかし、自然数に対応させて論じよと言われれば、甚だしい魅力を感じる。
職人技を測定技術に置き換えられたとき、はじめて宗教の近代は始まる。