Communism_is_still@live.us
【リチャードのせいっぱい】
study_hard の発言: (12:16:24)
ところで、このリチャードナンタラさんは、どちらかというと反宗教というよりはただの反教会主義者のように思うが
study_hard の発言: (12:19:25)
今頃になって作業仮説としての神を批判しはじめているのか
laeva の発言: (12:19:33)
「神は妄想である」
「然り、神は無明による煩悩から作られている。知恵によって打ち破るべきだ」
「そうですね」
study_hard の発言: (12:20:14)
誘導尋問はやめるんだ
study_hard の発言: (12:22:27)
宗教そのもの、ってなんだろう
study_hard の発言: (12:22:44)
それが知りたくて溜まらないのに、反宗教主義とやらはそれを知りえたらしい
study_hard の発言: (12:22:53)
すぐに師事しなくては
laeva の発言: (12:23:12)
こうしてカルトに入るものが一人
study_hard の発言: (12:23:41)
非教徒への罰というような宗教が共通して持つ特徴
study_hard の発言: (12:23:47)
知らなかったな
laeva の発言: (12:23:51)
うむ
laeva の発言: (12:24:18)
まあ、文化人(笑)の主張とはこのようなものだ、という見本のような人物だな
study_hard の発言: (12:25:33)
何かの大家が、自分の知らない領域に手出しをするというのはよくあることだし、それを否定してはならないだろう
laeva の発言: (12:26:34)
彼の宗教に対する言説を分析していくと、それらが証拠に基づかない信念であることは明らかだが、まあその通りだな。権威主義者が跋扈するこの世の中ではその通りと言うのにも躊躇いが生じるが
study_hard の発言: (12:27:38)
恐らくは繰り返されてきた営みであり、これも含めて宗教(という名前の文化現象)であるのだろう
【宗教学のせいっぱい】
laeva の発言: (12:27:55)
昨日言いかけていたことを宣言してみるか
laeva の発言: (12:29:15)
レリジョンはいざ知らず、宗教概念は学術が確立させたものだ。借り物の言葉を使って我々のものである宗教概念を批判しようなどとは片腹痛い
study_hard の発言: (12:29:59)
宗教概念は君たちの専有物ではない。数学者は数学の名を騙るものを罰したりはしない。
laeva の発言: (12:30:18)
我々も罰しようなどとはしていない、ただ観察するだけだ
【ニセ科学批判を統制経済の一種とする仮説】
laeva の発言: (12:49:08)
ところで最近の疑似(ニセ)科学批判の権威的人物の見解は、啓蒙主義ではなく「まっとうな科学に回る社会的リソースが減るからやめさせろ」だそうだ
study_hard の発言: (12:49:56)
進歩史観とか統制主義者とか共産主義者とかレッテルを貼っておけば十分だろう
【チェがいいたかったこと】
study_hard の発言: (12:57:25)
フライングスパゲッテーナントカといい、ドーキンスおじさんといい、本当に米国は共産主義の殿堂だな
study_hard の発言: (12:57:42)
ソ連が為し得なかったことをアメリカが肩代わりしてくれている
【結論】
study_hard の発言: (12:52:54)
それにしても、弓山先生ならば、このドーキンスとかいうおじさんに自分たちの席が奪われていることを嘆くのだろうな
【俺たちのせいっぱい(参考文献)】
laeva の発言: (12:58:17)
『利己的な遺伝子』を見ても、基本的には科学者でなく社会思想家であることが推察されるからな
study_hard の発言: (12:58:48)
科学者と思想家を両立させることはできるが、そもそも科学者ってなんだろう
study_hard の発言: (12:59:23)
科学者→科学的
非科学者→非科学的
これだ! 見つけたぞ! これだ!!
laeva の発言: (12:59:39)
車輪並の偉大な発見だな
study_hard の発言: (12:59:51)
カガクモノの嗜みである
laeva の発言: (13:00:41)
科学性が高いことに専門的に携わる人間程度の意味だろうが、
もちろんその人間が科学的であることは保証されない
study_hard の発言: (13:00:56)
ソ連が上から達成することを、アメリカは下から達成する
study_hard の発言: (13:01:06)
本当にアメリカというのは「偉大な社会」だ
study_hard の発言: (13:02:38)
俺も新書ぐらい出せるかもしれん
study_hard の発言: (13:02:48)
「ニセ科学批判と統制経済」とかなんとか
laeva の発言: (13:03:12)
いいね、楽しくなってきた
study_hard の発言: (13:03:41)
もちろん、俺たちは「蒙昧なる宗教擁護者」として日陰者人生をひっそり終えるのだ
study_hard の発言: (13:04:28)
そして、最期の言葉が「それでも宗教は回ってる」という伝承が
laeva の発言: (13:06:42)
弓山先生にはケプラー程度の存在になってもらわないとな
study_hard の発言: (13:07:38)
ティコ・ブラーエは誰にする
laeva の発言: (13:08:19)
ふむ、ブラーエの方が弓山先生らしい気がしてきたな
laeva の発言: (13:09:02)
じゃあ、俺がケプラーに成り損ねた男として秘史に名を残そう
study_hard の発言: (12:16:24)
ところで、このリチャードナンタラさんは、どちらかというと反宗教というよりはただの反教会主義者のように思うが
study_hard の発言: (12:19:25)
今頃になって作業仮説としての神を批判しはじめているのか
laeva の発言: (12:19:33)
「神は妄想である」
「然り、神は無明による煩悩から作られている。知恵によって打ち破るべきだ」
「そうですね」
study_hard の発言: (12:20:14)
誘導尋問はやめるんだ
study_hard の発言: (12:22:27)
宗教そのもの、ってなんだろう
study_hard の発言: (12:22:44)
それが知りたくて溜まらないのに、反宗教主義とやらはそれを知りえたらしい
study_hard の発言: (12:22:53)
すぐに師事しなくては
laeva の発言: (12:23:12)
こうしてカルトに入るものが一人
study_hard の発言: (12:23:41)
非教徒への罰というような宗教が共通して持つ特徴
study_hard の発言: (12:23:47)
知らなかったな
laeva の発言: (12:23:51)
うむ
laeva の発言: (12:24:18)
まあ、文化人(笑)の主張とはこのようなものだ、という見本のような人物だな
study_hard の発言: (12:25:33)
何かの大家が、自分の知らない領域に手出しをするというのはよくあることだし、それを否定してはならないだろう
laeva の発言: (12:26:34)
彼の宗教に対する言説を分析していくと、それらが証拠に基づかない信念であることは明らかだが、まあその通りだな。権威主義者が跋扈するこの世の中ではその通りと言うのにも躊躇いが生じるが
study_hard の発言: (12:27:38)
恐らくは繰り返されてきた営みであり、これも含めて宗教(という名前の文化現象)であるのだろう
【宗教学のせいっぱい】
laeva の発言: (12:27:55)
昨日言いかけていたことを宣言してみるか
laeva の発言: (12:29:15)
レリジョンはいざ知らず、宗教概念は学術が確立させたものだ。借り物の言葉を使って我々のものである宗教概念を批判しようなどとは片腹痛い
study_hard の発言: (12:29:59)
宗教概念は君たちの専有物ではない。数学者は数学の名を騙るものを罰したりはしない。
laeva の発言: (12:30:18)
我々も罰しようなどとはしていない、ただ観察するだけだ
【ニセ科学批判を統制経済の一種とする仮説】
laeva の発言: (12:49:08)
ところで最近の疑似(ニセ)科学批判の権威的人物の見解は、啓蒙主義ではなく「まっとうな科学に回る社会的リソースが減るからやめさせろ」だそうだ
study_hard の発言: (12:49:56)
進歩史観とか統制主義者とか共産主義者とかレッテルを貼っておけば十分だろう
【チェがいいたかったこと】
study_hard の発言: (12:57:25)
フライングスパゲッテーナントカといい、ドーキンスおじさんといい、本当に米国は共産主義の殿堂だな
study_hard の発言: (12:57:42)
ソ連が為し得なかったことをアメリカが肩代わりしてくれている
【結論】
study_hard の発言: (12:52:54)
それにしても、弓山先生ならば、このドーキンスとかいうおじさんに自分たちの席が奪われていることを嘆くのだろうな
【俺たちのせいっぱい(参考文献)】
laeva の発言: (12:58:17)
『利己的な遺伝子』を見ても、基本的には科学者でなく社会思想家であることが推察されるからな
study_hard の発言: (12:58:48)
科学者と思想家を両立させることはできるが、そもそも科学者ってなんだろう
study_hard の発言: (12:59:23)
科学者→科学的
非科学者→非科学的
これだ! 見つけたぞ! これだ!!
laeva の発言: (12:59:39)
車輪並の偉大な発見だな
study_hard の発言: (12:59:51)
カガクモノの嗜みである
laeva の発言: (13:00:41)
科学性が高いことに専門的に携わる人間程度の意味だろうが、
もちろんその人間が科学的であることは保証されない
study_hard の発言: (13:00:56)
ソ連が上から達成することを、アメリカは下から達成する
study_hard の発言: (13:01:06)
本当にアメリカというのは「偉大な社会」だ
study_hard の発言: (13:02:38)
俺も新書ぐらい出せるかもしれん
study_hard の発言: (13:02:48)
「ニセ科学批判と統制経済」とかなんとか
laeva の発言: (13:03:12)
いいね、楽しくなってきた
study_hard の発言: (13:03:41)
もちろん、俺たちは「蒙昧なる宗教擁護者」として日陰者人生をひっそり終えるのだ
study_hard の発言: (13:04:28)
そして、最期の言葉が「それでも宗教は回ってる」という伝承が
laeva の発言: (13:06:42)
弓山先生にはケプラー程度の存在になってもらわないとな
study_hard の発言: (13:07:38)
ティコ・ブラーエは誰にする
laeva の発言: (13:08:19)
ふむ、ブラーエの方が弓山先生らしい気がしてきたな
laeva の発言: (13:09:02)
じゃあ、俺がケプラーに成り損ねた男として秘史に名を残そう
自然言語に依らない論理について、あるいは話題がループすること
【事の発端】
きっかけになったBさんの話はtwitterで確認されたし。
歴史修正主義:主義主張
歴史修正主義批判:イデオロギー
歴史修正主義批判批判:相対主義
歴史修正主義批判批判批判:相対主義批判
歴史修正主義批判批判批判批判:相対主義批判批判
とする。
取りあえず、歴史の話は置いておくとして、巡回群のことを思い出してみる。たとえば、相対主義批判批判辺りになると馬鹿馬鹿しくなって、再び何らかの主張をすべきだという思索に回帰するとする。
上をZ/4Zの巡回群に対応させてみる。つまり、歴史修正主義をAとおくと、
A→A批判→A批判批判→A批判批判批判→A...
という堂々巡りが行われる。
ここで批判という作用の性質については一考を要するが、とりあえずは考えないで先に行く。
【ヘーゲリアン】
上のような何の生産性もないことを空想していると、ふと素朴ヘーゲリアンのことが思い出された。
テーゼ→アンチテーゼ→アウフヘーベンされたやつ(再びテーゼ)
というのは、先ほどの話に対応させれば、ただのZ/2Zの巡回群みたいなもんだということになる。
そうしてみると、話の流れというか論理のストーリーのようなものをZ/NZで表してみると、ちょっと面白いかもしれない。
【N段論法】
世の中には3段論法だけでなくて5段論法なんてのもある、任意のNがあったっていい。
【有限巡回群の構造】
巡回群の部分群はまた巡回群になるわけだが、どうもヘーゲルとかいう困った人は、Z/2Zなんて一番「ありそう」なものを自分の手柄か何かにしようとしているようだ。
というのは冗談だが、Z/2Z×Z/2ZとZ/4Zですら同型ではないとグーグル先生は言っている。そうしてみると、Z/2Zだけで上手いことやろうというのは思考形式の飛躍以外の何者でもない。ヘーゲルに足りないのはやっぱり数学だったのだ。
というのは何重にも渡る冗談だが、ところでヘーゲルは荼毘に付されるべきだ。
【結論】
以上で「話題がループすること」に関する考察を終わる。
ところで巡回群じゃない場合はどうなるのか。
そう、この先には茫漠たる広野が待っているんだよ。
未完
【名誉回復】
有限群の理論は基本的に完成しているので、知りたい人は代数学にて。
【余談】
ところで批判とは何をすることなのだろうか。
そういうことがわからなくても尤もらしいことを言えてしまうのが、数学の形式主義の素晴らしいところであり、困ったところであるのであった。
きっかけになったBさんの話はtwitterで確認されたし。
歴史修正主義:主義主張
歴史修正主義批判:イデオロギー
歴史修正主義批判批判:相対主義
歴史修正主義批判批判批判:相対主義批判
歴史修正主義批判批判批判批判:相対主義批判批判
とする。
取りあえず、歴史の話は置いておくとして、巡回群のことを思い出してみる。たとえば、相対主義批判批判辺りになると馬鹿馬鹿しくなって、再び何らかの主張をすべきだという思索に回帰するとする。
上をZ/4Zの巡回群に対応させてみる。つまり、歴史修正主義をAとおくと、
A→A批判→A批判批判→A批判批判批判→A...
という堂々巡りが行われる。
ここで批判という作用の性質については一考を要するが、とりあえずは考えないで先に行く。
【ヘーゲリアン】
上のような何の生産性もないことを空想していると、ふと素朴ヘーゲリアンのことが思い出された。
テーゼ→アンチテーゼ→アウフヘーベンされたやつ(再びテーゼ)
というのは、先ほどの話に対応させれば、ただのZ/2Zの巡回群みたいなもんだということになる。
そうしてみると、話の流れというか論理のストーリーのようなものをZ/NZで表してみると、ちょっと面白いかもしれない。
【N段論法】
世の中には3段論法だけでなくて5段論法なんてのもある、任意のNがあったっていい。
【有限巡回群の構造】
巡回群の部分群はまた巡回群になるわけだが、どうもヘーゲルとかいう困った人は、Z/2Zなんて一番「ありそう」なものを自分の手柄か何かにしようとしているようだ。
というのは冗談だが、Z/2Z×Z/2ZとZ/4Zですら同型ではないとグーグル先生は言っている。そうしてみると、Z/2Zだけで上手いことやろうというのは思考形式の飛躍以外の何者でもない。ヘーゲルに足りないのはやっぱり数学だったのだ。
というのは何重にも渡る冗談だが、ところでヘーゲルは荼毘に付されるべきだ。
【結論】
以上で「話題がループすること」に関する考察を終わる。
ところで巡回群じゃない場合はどうなるのか。
そう、この先には茫漠たる広野が待っているんだよ。
未完
【名誉回復】
有限群の理論は基本的に完成しているので、知りたい人は代数学にて。
【余談】
ところで批判とは何をすることなのだろうか。
そういうことがわからなくても尤もらしいことを言えてしまうのが、数学の形式主義の素晴らしいところであり、困ったところであるのであった。
宗教と救い...か
【ヨブ記の近代】
救われるべき者が救われず、救われるべきでない者が救われるのは何故か。
こんなことを思ってしまう凡夫どもが、一方で作業仮説を否定する。ナンセンスとはこのことだ。
【凡夫正機】
本当に哀れなことだ。
何らの悲惨も苦痛も与えられなかった凡夫は、どのようにして言い訳人生を送ればよいのだろうか。それに比べると、障害や悲惨を与えられ生きるだけで精一杯、あるいは生き延びることすらままならない人生を与えられた者の、何と幸福なことよ。
しかし、誤解してはならない。幸福であることは、何ら幸運ではない。
【宗教と救い】
宗教団体に通えば、病気も治るし、試験にも受かるし、商売繁盛だし、毎日が楽しくて仕方なくなる。それで全然問題ありません。ところで、それが宗教と何の関係があるんですか。
じゃあ逆に、宗教団体に通ったけど、病気は治らなかったし、試験には落ちたし、商売あがったりで、毎日苦しくて仕方がない。それで全然問題ないでしょう。これが宗教と何の関係があるんですか。
何の関係もないは言い過ぎかもしれない。多少の相関ぐらいはあってもいい。だからといって、相関が本質になるわけでもない。
(日本の)経済学者でも相変わらず相関と因果の取り違えぐらいはしょっちゅうやらかす。人文系は言うまでもない。ましてや、それよりも低レベルがひしめいているこの宗教界で、何を言い出す人間がいても不思議ではない。
なんにせよ簡単なことだ。
つまり、宗教という専門分野において救いとは何か、が問題なのであって、日常用語としての救いが宗教における救いである必要はない。誰でもわかることだ。
問題は、宗教における救いが日常用語における救いとどのように繋がっているのか、あるいは繋がっていないのかであって、これは単なる直観では汲みきれない深い内容を伴っているはずである。
【教祖の意義】
世間の宗教批判は、単にその人の宗教観を露呈しているだけである。同様に、世間の教祖像も、その人の教祖観を露呈しているに過ぎない。
教祖と宗教団体の違いを理解できると、かなりの宗教通と言えるだろう。それは教祖と信者の違いではない。むしろ、教祖も信者団体を構成する1人に過ぎないのである。
残念ながら、世間の宗教団体幹部などというのは、こんなことすら理解できない。それもそうで、彼らは所詮はアマチュアだからだ。いま日本で一番アマチュア主義が浸透しているのは、ここ宗教界なのであった。
【異端を排除しないということ】
一般論としてボカして。
異端を排斥すべきでない理由は、異端排斥や排外主義が悪いからでもなく、多様性や寛容が望ましいからでもない。しばしば、人間は自分が何をしているのか理解できないからである。
異端は排斥してよいし、共同体を乱すものは排除してよい。ある共同体が均質性を維持することは自然であり、そこに特別な理由付けは必要がない。ただし、自分が排斥しているのが異端かどうかすらわからないとき、数学者のように慎重にならなくてはならない。
灰色を白として見逃すのが人類の知恵であり、黒を白のように扱うのが良いわけではない。問題は、これらの諸表現について絶対的な規範があるかどうかであり、恐らくは無いというのが厄介なだけである。
【陰謀と機会主義のお話】
陰謀論者と反陰謀論者の戦いは、ニセ科学と科学カルトの戦いに似ている。
詳しくはまた今度。
救われるべき者が救われず、救われるべきでない者が救われるのは何故か。
こんなことを思ってしまう凡夫どもが、一方で作業仮説を否定する。ナンセンスとはこのことだ。
【凡夫正機】
本当に哀れなことだ。
何らの悲惨も苦痛も与えられなかった凡夫は、どのようにして言い訳人生を送ればよいのだろうか。それに比べると、障害や悲惨を与えられ生きるだけで精一杯、あるいは生き延びることすらままならない人生を与えられた者の、何と幸福なことよ。
しかし、誤解してはならない。幸福であることは、何ら幸運ではない。
【宗教と救い】
宗教団体に通えば、病気も治るし、試験にも受かるし、商売繁盛だし、毎日が楽しくて仕方なくなる。それで全然問題ありません。ところで、それが宗教と何の関係があるんですか。
じゃあ逆に、宗教団体に通ったけど、病気は治らなかったし、試験には落ちたし、商売あがったりで、毎日苦しくて仕方がない。それで全然問題ないでしょう。これが宗教と何の関係があるんですか。
何の関係もないは言い過ぎかもしれない。多少の相関ぐらいはあってもいい。だからといって、相関が本質になるわけでもない。
(日本の)経済学者でも相変わらず相関と因果の取り違えぐらいはしょっちゅうやらかす。人文系は言うまでもない。ましてや、それよりも低レベルがひしめいているこの宗教界で、何を言い出す人間がいても不思議ではない。
なんにせよ簡単なことだ。
つまり、宗教という専門分野において救いとは何か、が問題なのであって、日常用語としての救いが宗教における救いである必要はない。誰でもわかることだ。
問題は、宗教における救いが日常用語における救いとどのように繋がっているのか、あるいは繋がっていないのかであって、これは単なる直観では汲みきれない深い内容を伴っているはずである。
【教祖の意義】
世間の宗教批判は、単にその人の宗教観を露呈しているだけである。同様に、世間の教祖像も、その人の教祖観を露呈しているに過ぎない。
教祖と宗教団体の違いを理解できると、かなりの宗教通と言えるだろう。それは教祖と信者の違いではない。むしろ、教祖も信者団体を構成する1人に過ぎないのである。
残念ながら、世間の宗教団体幹部などというのは、こんなことすら理解できない。それもそうで、彼らは所詮はアマチュアだからだ。いま日本で一番アマチュア主義が浸透しているのは、ここ宗教界なのであった。
【異端を排除しないということ】
一般論としてボカして。
異端を排斥すべきでない理由は、異端排斥や排外主義が悪いからでもなく、多様性や寛容が望ましいからでもない。しばしば、人間は自分が何をしているのか理解できないからである。
異端は排斥してよいし、共同体を乱すものは排除してよい。ある共同体が均質性を維持することは自然であり、そこに特別な理由付けは必要がない。ただし、自分が排斥しているのが異端かどうかすらわからないとき、数学者のように慎重にならなくてはならない。
灰色を白として見逃すのが人類の知恵であり、黒を白のように扱うのが良いわけではない。問題は、これらの諸表現について絶対的な規範があるかどうかであり、恐らくは無いというのが厄介なだけである。
【陰謀と機会主義のお話】
陰謀論者と反陰謀論者の戦いは、ニセ科学と科学カルトの戦いに似ている。
詳しくはまた今度。