Study Hard -18ページ目

世俗の話

 最近、世俗のことについて思い出せなくなった。どうもボケが始まったらしい。

【1】
 とまあ1年ぐらい前までの私なら言っただろう。
 しかし、誰にでも、思い出せないことや思い出す以前に認識していないことはある。つまり、何を意識するかが変化したに過ぎない。

 【1.1】
 何でも宗教ないし数学と絡めて考えることが呼吸の次ぐらいに自然になっただけであり、それ以外のことは意識しないとできなくなってしまっただけだ。

  【1.1.1】
 上の文章はほとんどトートロジーである。

  【1.1.2】
 宗教と数学が乖離しているわけではない。

   【1.1.2.1】
 記述されるべき階層ぐらいは違うかもしれない。

  【1.1.3】
 本当は、宗教でなく、信仰についてしか興味がない。

   【1.1.3.1】
 こういう書き方をすると、「環でなくイデアルにしか興味がない」というような表現になっているので、何だか奇妙だ。

   【1.1.3.2】
「確実性の問題に興味があります。」
「それは当教団に入る上でどのように役立つとお考えですか。」

    【1.1.3.2.1】
「御教団の思考を言語化できます」

     【1.1.3.2.1.1】
 これはもう人間精神に対する侮辱だ。

 【1.2】
 私は世俗のことについて思い出せなくなったのではなく、意識して苦しいこと(世俗的な関心事)をするのが嫌になっただけである。

  【1.2.1】
 歳をとった。

【2】
 とまあこんなことを書いている途中で、小林憲正なる人の文章を見つけた。
 なかなか面白げなことを書いている上に、東工大とはまた近い。

 【2.1】
 数学と真理。これはBかMの時代の文章なのか。

  【2.1.1】
 10年前は確率統計学が正統な数学でないと思われてたのだろうか。

  【2.1.2】
 しかし、片岡先生などは嬉しそうに確率解析のことを話す。
 片岡先生は決して新しい世代の研究者ではないはずだが。

   【2.1.2.1】
 片岡先生は金融工学が大好きすぎる。

    【2.1.2.1.1】
 ヘルダー1/2程度。

   【2.1.2.2】
 むしろ確率解析になることによって解析学は進歩したと言わんばかりだ。

  【2.1.3】
 それどころか、確率、カオス、グラフなどは最先端中の最先端のような気がするが。

   【2.1.3.1】
 理物の人か。

   【2.1.3.2】
 数学の人間も外部に向かってはちょっと保守的なことを言うものだ。

    【2.1.3.2.1】
 少し古い宗教学の「なんでも宗教」病よりは幾分かマシだろう。

     【2.1.3.2.1.1】
 宗教的なものと宗教学的なもの。

 【2.2】
 院の講義は潜り辛いなあ。

【3】
 そういえば関係ないんだが、「相対主義に陥ってはならない」というのはどういう意味なのか。

 【3.1】
「相対主義なんて知らねえよ」
「畜生、こいつ俺を馬鹿にしてるな」

 【3.2】
 ゾニー!

  【3.2.1】
 PAPAPAPAPAPA!

終末科学

【スローガン】
 終末は思想から科学へ!

【誤摩化し人生】
 発表はなんとか誤摩化しきれたようだが、余談は殆どできなかった。
 前提と結論しか書かれていないレジュメだったので、口頭のみで過程を埋めることになってしまい、伝わるかどうか非常に怪しかったが、結果としてはきちんと通じた(人もいた)ようだ。
 以前からちょっとした事情で慶應生の知的水準には疑問を持っていたが、どうやらそれは酷い誤解だったようだ。アカデミックにどうかという問題はとかく、他者理解という点では一定の水準に達しているようで、他人事ながら晴れやかな気分になった。

 A4に1枚でというのは誤解を招く表現だったようなので、今後はオッカムの剃刀でと表現しようと思う。
 何を何ページ分送ったかという確認も重要であることだ。

【雑感】
 体系の無矛盾性が何を意味するのかについて話したかったのだが、混乱を助長すると思われたのでやめにした。
 どうしても多くの人は無矛盾で完全な体系に想いを馳せがちだが、それが両立しないことがあること、むしろ両立しないことによって非常に興味深い問題が起きることについて話したかったが、やっぱり話さなくてよかった。

 大前提(公理系以前)については、非ユークリッド幾何学関連の話をすれば良かったかもしれない。
 たとえば平行線公理は認めても認めなくてもいいが、公理としての地位を有していることは誰でも認めている。つまり、それを無条件に受け入れるか受け入れないかどちらか、という対象になっている。
 ところが、「大西愛治郎は甘露台である」という主張は、それが公理として認識可能かどうかという点からして怪しい。もちろん、大西先生自身は受け入れているのだが、通常はそれを公理として採用するかしないか以前のレベルで理解を越えている。
 逆に、飢えを続ければ死ぬというのは誰でも理解できることであり、その上で飢えを選んで餓死するというのは、前述の話よりも上のレベルの判断になっているのだから、何も違和感のない普通の話ということになる。

 最後の質問については、社会というのはこういった基準で判断可能なほど性質のよい集合なのかが気になるわけだが、それは言わなかった。大人だから。
 いや、質問の方向性は鋭かったですよ。

【個人発表だった場合】
 1.確実性の問題
 2.推論の形式
 の2点でそれぞれ判断し、1の判断を優先する。具体的な判断基準は発表と同じ。
 つまり、本質的には1でしか判断しておらず、2の基準は程度の問題として参考までに挙げているに過ぎない。

 飢え:{1=狂気, 2=宗教}→狂気. 宗教:狂気=3:7
 藤沢:{1=狂気, 2=不明}→狂気. 宗教:狂気=2:8
 霊道:{1=狂気, 2=宗教}→狂気. 宗教:狂気=4:6
 寒戸:{1=不明, 2=不明}→総合的に宗教側. 宗教:狂気=6:4
 教祖:{1=宗教, 2=宗教}→宗教. 宗教:狂気=9:1
 女子:{1=狂気, 2=狂気}→狂気. 宗教:狂気=0:10

 大西先生は、夜中に裸で回ったので狂気プラス1。天理教ないしほんみちが密教集団だったら文句なく宗教10だったのだが。

 義公馬鹿、あるいは数学者集団に伴う問題。
 この基準だと、普通の前提から正しく推論を行うと"{1=狂気, 2=宗教}→狂気."という判断になってしまい、明らかに不適切。これは、一群の事例が悉く「何らかの異常性を孕んでいる」ために基準として成立しているのであって、より広い立場に延長したい場合は、「宗教か狂気か」という最初の命題設定を見直す必要がある。
 そもそも人類史上、予知という現象はありふれており、義公馬鹿の事例について宗教の観点からは特筆すべきことがない。

 あと、この判定基準の本質的問題として、「誰もが無意識に受け入れている普遍宗教」という概念を認めなくなることがある。認めなくても別に困らないのだが、宗教概念を過度に狭くするかもしれないので、一応留意する必要があるかもしれない。

【事例集】
 Y先生:{1=宗教, 2=宗教}→宗教. 宗教:狂気=10:0
 T先生:{1=狂気, 2=宗教}→狂気. 宗教:狂気=5:5
 L:{1=宗教, 2=狂気}→宗教. 宗教:狂気=8:2
 *:{1=狂気, 2=狂気}→狂気. 宗教:狂気=1:9

 Y先生は宗教、*は文学、宗教学は人生。

 数学:{1=宗教または狂気, 2=宗教}→宗教または狂気. 宗教:狂気=7:3
 物理:{1=宗教, 2=狂気}→宗教. 宗教:狂気=8:2
 哲学:{1=狂気, 2=狂気}→狂気. 宗教:狂気=0:10
 神学:{1=狂気, 2=宗教}→狂気. 宗教:狂気=4:6

 物理学が最も宗教的であり、哲学が最も冒涜的。
 数学は神学と宗教のエンタングルした状態。

【好ましくないこと】
 幸福の科学という日本2大テニサーの一角がとうとう動き出した。
 政治遊びなんぞ松下幸之助の眷属に任せておけばよい。幸福の科学には一層面白いアニメーション映画の作成を強く希望する。

【企画案】
 アニメーションで2次元、大川先生実写映像で3次元、大川先生フィギュアで3次元、合わせて8次元。

【スタッフ(敬称略)】
 原案:大川隆法
 シナリオ:谷口清超
 音響:池田大作
 美術:岡田茂吉
 制作進行:金光大陣
 照明:岡田光玉
 ダンス:天理教のみなさん
 題字:出口なお

締切効果

 世間の言う通り、締切がなければ、ほとんどの論文は完成しなかったのだろう。

 あの頃と同じだなあ。
 あの頃は、毎日を戦争のごとく生きられればさぞ良いだろうと思っていた。

 しかし、相手がいない領域にまで来たら、戦争でもない。
 だから、毎日が締切であればさぞ良いだろう。

 もしかすると、締切がなければ、どんな宗教も存在していなかったのかもしれない。
 古今東西の宗教者たちは、どんな締切に追われていたのだろうか。

【雑念】
 私から奪う者こそ、私に与えるものだったように思う。
 一方で、私はただ与えられ続けていたようにも思う。

 宗教は、交換経済なのか移転経済なのか。
 謎である。

【雑念2】
 移転経済は社会科学の最重要点にして最先端の数学と深く関係するように思う。
 恩寵と社会科学と数学には同相な部分があるように思える。