現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -51ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

世の中のポジティブな言葉に触発され、自分があたかも世界の主人公だと勘違いする。

勘違いし続けられたら幸せだけど、99.8%の人は自分の力を思い知り、力の及ばなさに泣き、1人の人間になってく。

それでいいんだよ。

勘違いしたままエラソーに説教垂れる俺みたいな奴らより、よっぽど人間。


残りの0.2%は、0.19%の奴らはただの勘違いバカで、残りの0.01%の人は本当に世界の主人公になっちゃう。


0.01%の人は、世の中のポジティブな言葉なんかに左右されないし、己が世界を変えれると己を信じ壮大なる勘違いを実現しちゃう。


つまり、何が言いたいかと言うと、求めすぎないで、夢も目標も無いなら無いでいいし、年収や結婚、家族、そんな普通の幸せと思い込んでる幸せだけが幸せじゃないし、1度思考をフラットにして、世の中の情報に踊らされてるだけなのか、自分が何を求めてるのかをハッキリしませんか?


俺が思うに、集団で生きてるから、その中の常識を追い求めてしまうけど、実際問題、個々人にとって必要なモノってすっごく少なくて、「マストアイテム」やら「負け組」「勝ち組」、己で思考しないで、そんな言葉に流されてしんどい思いしてる人が多いんだよなぁっと。

主人公になりたいと思いながらも、集団心理にハマっちゃうと、もう、その時点で、ドラクエでいう村人その1、村人その2なんだよなぁ。


自分は自分の人生の主人公なんていうけれども、実際問題、自分を認識して自分を生きてる人がどれだけいるだろうか?


世界の主人公になれなくても、自分を見つめ自分をしっかり把握してる人が自分の人生を生きていると、「俺は、私は、主人公だ!」と言えるんではなかろうか?


俺は世界を変えようとしている。

時代に苦しみ、常識に苦しみ、人の波に苦しんでる人の世界を。

俺は99.8%に属するただの人間。

だから、もし、誰かの世界が変わるとしても、俺が生きてるうちは見れない世界だろうな。


俺はこの世界の主人公じゃない。

チェゲバラにもガンジーにも坂本龍馬にもなれない。

世界を変えるほどのパワーも知恵もない。

ただただ、目の前の誰かを助けるように絵を描く日々。。





んー、どこかどうしても1つの考えを書くときに、それと正反対の言葉や想いを否定してるような言葉になってしまうのが怖いとこですが、あくまでも僕個人の考えを示しているだけで、どんな考え方も、どんな生き方も、否定どころか、むしろ肯定していると言うか、、、ダメな生き方も考え方も無くて、批難を覚悟で言っちゃえば戦争がある時代であれば人を殺せば殺すほど「英雄」と呼ばれる時代もあるわけで、何度も言葉にしてるけど、時代、国、文化でモラルもルールも変わっちゃうんだから、基本的にはある程度、今生きている時代に上手い事合わせつつ、良い人と呼ばれようが、チンピラと呼ばれようが、己の思うように生きたらいいんじゃないかなって思う次第であります。


ただし、自分のケツを自分で拭ける奴が自由を獲得でき、自分のケツを拭けない奴はただのワガママだ!っと思うけど、ワガママに生きるのもありかなーっと。

今の時代で言うと、人を殺したり人のもの取ったり、過度な迷惑を他者にかけなきゃなんでもOK


社会で生きてるんだから迷惑なんてお互い様で、自分の力発揮できる部分は誰かの役に立てればいいし、苦手なことは得意な人に任せれば良い。

それは迷惑とかじゃなく、気を使うとこでもなく、そんな風にやっていくからこその群れでありチームであり仲間であり友達だと思うから。

感謝を忘れなければそれでいい。


ここまで読んでくださってありがとうございました。




、、、後書きの方がくどいな。

すみません。。。

今回はとても個人的な事を書いてみようと思います。

僕は恋人がいる時、多分、恋人以外にも人と接する時に、相手に嫌われないようにしようとする。

それ自体は、日本人の特性ととして、自己主張を避けて周りと合わせるという事で説明が出来そうですが、ここでもう一歩踏み込んで考えてみます。


他の人がどれだけ他者に嫌われるの恐れているのかは分からないですが、僕自身は友人知人、特に恋人に対して「いつフラれるか分からない」っという恐怖感を常に持っています。

つまり、いつも心の何処かに不安感があり、心から安らげない。


そこで思い巡らせてみれば、もしかして、過去に親に、親父に捨てられた。正確に言うと捨てられた訳じゃなく、2歳かな3歳かな、親が離婚して親父が出て行って、親父は「遠くに仕事行ったから、また帰ってくるよ」っと、子供すぎて離婚とか何も知らない僕は、その言葉を信じ切っていた。


でも1年も2年も経つと薄々感づいてくるよね。感覚的に「もう帰ってこねーな」って気づくのもあるけど、子供同士の世界も大人同士の世界に負けず劣らず残酷でドロッとしていて、団地に住んでたんで年齢なんか関係なく外に出りゃ誰かがいて、よく遊んでたけど、「お前の親父もう帰ってこねーよ」っとか、それに対して「絶対帰ってくるもん」っと言い張ってたっという昔話も、昔よく聞いたなぁ。当時の記憶無いけど。。。


中学の時にも親父が奈良にちょいちょい遊びに来てて、でも、また 同じような事があって、親父の言葉が信用できなくて、一時嫌いな時期もあったけれども、もうこの歳になるとどーでもよくて、親には大人の事情があっただろうし、その辺は、理解を示したい。

今はどこで何してんのか知らないけどねん。

興味無いから知りたいとも思わないし。


なので、この人は僕を裏切らないであろうっという相手の事情も知らないで安易な思い込みから、自分勝手に裏切られたと解釈してしまう。

子供だったから仕方ない部分もあると思うけどね。

子供にとっては、家という世界が全てで、保育園や幼稚園なんかは「可愛い可愛い」で甘やかせてくれるしね。


つまり、僕が常に抱いている「捨てられる恐怖」が強いのは、トラウマから生じる恐怖感ではないだろうか?

っという、推測。


いつまで親に甘えて親の世界で生きてるんかな?

もうそろそろ精神的自立をしましょう!

たけちゃん!!!

ってとこですかね。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

結論から言うと、自分の考えが「絶対」だと思ってる奴は読みやがれ!です。

いや、、、すみません。

興味ある人は読んでみてもいいんじゃないでしょうか。


タイトル的に自己啓発っぽいけど、っていうか自己啓発だと思うんだけど、みんな何かしらの洗脳されてるとかぶっちゃけどうでもよくて、「洗脳」って言葉を使うと胡散臭く感じるけど、この本は自分を幸せにするために今まで生きて来た中で埋め込まれた思い込みや洗脳から自分を解き放つ方法が書いてある。


だけども、僕は「脱洗脳」に目を向けて読むんではなくて、日常で自分が思い込んでしまっている「こうしなきゃいけない」っていう思い込みに疑問を持ち、自分の考えを考えてっと。


ここからは超個人的なことになるけど、狂信的な正義を俺に振りかざすのいいけど、そんな当たり前のこと分かってるし、分かってるから善も悪も飛び越えた世界を、まだ見知らぬ世界はいっぱいあるよっと絵で表現している。


こんな事書いて言って、周りには僕は「働いてもいない、学校もろくに通ってないニートのお前に社会の何が分かるの?」っと言われるし、思われてるかもしれない。


でも、学校でも会社でもどこかに属していれば、周りとの調和も大事で、時に吐いた唾を飲み込まなきゃいけない時もあるのも分かる。(僕は体験したことが少ないから本当に分かっているのか分からないけど、少なくとも理解はしようと努めるし、知りたい。)


でも、あなたの事情も分かる。


でも、お前の正義も分かる。


お前の正義はお前で大切にすればいい。


ただ、それは自己吟味した己の正義なのか?

世の中が「これは正しいです。これは悪いです。」って言ってる基準で善悪を語ってないか?っと、屁理屈な僕は思っちゃう。


要は自分の考えで生きてるのか。

周りの村意識で生きていないか?

他者の善悪も、噂話もいいけど、他人の価値観で世界を見ているのか、自分の両目でしっかり目の前の世界を見ているか。

悪いと評判の誰かと接する時に、自分と性格が合って案外と悪い人じゃないなっと思う事もあるかもしれないし、噂通りかもしれない。

それは噂話だけでは、自分で相手と接してみないと分からない事。


っと、まぁ、今の自分が誰が作ったルールで、モラルで、社会で、世界で、生きているのか?っと、自分を見つめる良い機会になる本ではないでしょうか。

「LIFE〜この身が動く最後まで〜」
Acrylic on canvas
SM(227×158mm)
2017.03.16

生きるとはなんでしょうか?

この身が動く最後まで

ボロボロになって立てず身体も起こせず

だけどなんとか力を振り絞ってまだ動く筋肉を駆使して1ミリでも前に進む

それが僕の生き方。


「LIFE〜穴の向こうには幸せが〜」
Acrylic on canvas
SM(227×158mm)
2017.03.16

生きるとはなんでしょうか?

必死に坩堝から這い出し自分を見つけ出す

幸せを求めて蟻地獄から這い出す

底の見えない穴の底には得体の知れない恐怖が渦巻く

だから必死に穴から這い出す

向こうに見えるお花畑を目指す

みんなそうやって生きて行く

時々

もう落ちるとこまで落ちてやろうと投げやりにもなるけど

どこかできっと穴から這い出そうとする自分がいる

みんな一緒

みんな同じ

誰もが幸せを求め目の前に見えている蜃気楼のようなお花畑を目指す

そして今の幸せに気付かすまた穴から這い出そうとする

繰り返し

それが人間