「主人公」について。 | 現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

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「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

世の中のポジティブな言葉に触発され、自分があたかも世界の主人公だと勘違いする。

勘違いし続けられたら幸せだけど、99.8%の人は自分の力を思い知り、力の及ばなさに泣き、1人の人間になってく。

それでいいんだよ。

勘違いしたままエラソーに説教垂れる俺みたいな奴らより、よっぽど人間。


残りの0.2%は、0.19%の奴らはただの勘違いバカで、残りの0.01%の人は本当に世界の主人公になっちゃう。


0.01%の人は、世の中のポジティブな言葉なんかに左右されないし、己が世界を変えれると己を信じ壮大なる勘違いを実現しちゃう。


つまり、何が言いたいかと言うと、求めすぎないで、夢も目標も無いなら無いでいいし、年収や結婚、家族、そんな普通の幸せと思い込んでる幸せだけが幸せじゃないし、1度思考をフラットにして、世の中の情報に踊らされてるだけなのか、自分が何を求めてるのかをハッキリしませんか?


俺が思うに、集団で生きてるから、その中の常識を追い求めてしまうけど、実際問題、個々人にとって必要なモノってすっごく少なくて、「マストアイテム」やら「負け組」「勝ち組」、己で思考しないで、そんな言葉に流されてしんどい思いしてる人が多いんだよなぁっと。

主人公になりたいと思いながらも、集団心理にハマっちゃうと、もう、その時点で、ドラクエでいう村人その1、村人その2なんだよなぁ。


自分は自分の人生の主人公なんていうけれども、実際問題、自分を認識して自分を生きてる人がどれだけいるだろうか?


世界の主人公になれなくても、自分を見つめ自分をしっかり把握してる人が自分の人生を生きていると、「俺は、私は、主人公だ!」と言えるんではなかろうか?


俺は世界を変えようとしている。

時代に苦しみ、常識に苦しみ、人の波に苦しんでる人の世界を。

俺は99.8%に属するただの人間。

だから、もし、誰かの世界が変わるとしても、俺が生きてるうちは見れない世界だろうな。


俺はこの世界の主人公じゃない。

チェゲバラにもガンジーにも坂本龍馬にもなれない。

世界を変えるほどのパワーも知恵もない。

ただただ、目の前の誰かを助けるように絵を描く日々。。





んー、どこかどうしても1つの考えを書くときに、それと正反対の言葉や想いを否定してるような言葉になってしまうのが怖いとこですが、あくまでも僕個人の考えを示しているだけで、どんな考え方も、どんな生き方も、否定どころか、むしろ肯定していると言うか、、、ダメな生き方も考え方も無くて、批難を覚悟で言っちゃえば戦争がある時代であれば人を殺せば殺すほど「英雄」と呼ばれる時代もあるわけで、何度も言葉にしてるけど、時代、国、文化でモラルもルールも変わっちゃうんだから、基本的にはある程度、今生きている時代に上手い事合わせつつ、良い人と呼ばれようが、チンピラと呼ばれようが、己の思うように生きたらいいんじゃないかなって思う次第であります。


ただし、自分のケツを自分で拭ける奴が自由を獲得でき、自分のケツを拭けない奴はただのワガママだ!っと思うけど、ワガママに生きるのもありかなーっと。

今の時代で言うと、人を殺したり人のもの取ったり、過度な迷惑を他者にかけなきゃなんでもOK


社会で生きてるんだから迷惑なんてお互い様で、自分の力発揮できる部分は誰かの役に立てればいいし、苦手なことは得意な人に任せれば良い。

それは迷惑とかじゃなく、気を使うとこでもなく、そんな風にやっていくからこその群れでありチームであり仲間であり友達だと思うから。

感謝を忘れなければそれでいい。


ここまで読んでくださってありがとうございました。




、、、後書きの方がくどいな。

すみません。。。