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引っ越します。さらば。


http://blog.livedoor.jp/wanpaka/

Diabolo

神の敵とはなんだろうか。


例えば仏教において仏の弟子たるものたちが鬼のような顔をして剣と鎧で武装していることがある。鬼のような顔をした不動明王や帝釈天、大黒天(閻魔)などがそうなのだが、これは別にある確定した敵に対して過激派が牙を剥き出ししているわけではない。そもそも仏教には敵がいないのだ。


では何に対して敵意を見せているのかというと、それは修行の邪魔をするもの、つまり煩悩である。


仏は煩悩の存在を認めている。煩悩を否定していない。


仏教の最終目的は苦行の上に悟りを開いたり仏陀になることではない。


人には絶対に煩悩があり、それは取り去りづらいものである。仏はそれを認識しているので欲深い人間を見捨てたりはしない。それを取り去るために最大限努力することこそが仏教の最終目的であるとしたのだ。修行は手段ではない。修行こそが目的。悟りを開いたのでハイ修行終了、というわけではない。悟りを開いた後も、いやむしろそこから真の修行が始まるとさえ言われている。


そして真面目に修行をしているものには仏が手を差し伸べてくれる。取り去りがたい煩悩を鬼面の仏弟子たちが消滅させてくれるのだ。


最近2chの洒落怖話に時々登場する寺生まれのTさん。迂闊に読んでしまって眠れなくなったりトイレに行けなくなったり髪を洗えなくなったりしたねらーたちの強い見方である。


だが幽霊にしろ妖怪にしろ仏教界にそんなものは存在しない。人は死ぬとすぐに魂が六道のいずれかに落ちたのち輪廻転生で別の命に生まれ変わる。現世をさまよう幽霊の出る幕なんてないのだ。


当然対幽霊用の術式なんてものはもっていない。だから幽霊話に寺に駆け込むのはそもそもお門違いである、大工にビーフストロガノフを作れとねだったりプロボクサーに芥川賞を取れと言っているようなものだ。


対してキリスト教の敵。これは言わずもがな悪魔である。悪魔は煩悩などの概念と違い一つの形として存在している。悪魔は人の裡にいるのではなく、悪魔という種として存在しているのだ。彼らは人々を甘言で誑かし唆して堕落させ、最終的には魂を奪う。


悪魔の正体はエデンの園の蛇とも、堕天使サタンとも言われており、聖書において度々神に戦いを挑んでいる。また神の子キリストの前にも何度か出現している。そして都度神の力によって敗走を余儀なくされているのだ。


カトリックは決して認めてはいないが、フィクションの世界においてはキリスト教には悪魔祓い専門の教徒がいて神の武器を使って悪魔と戦っている。こうして現在に至るまで神と悪魔の戦いは続いている。


だがよく考えてみるとこれはどうにもおかしい。


神が全知全能ならば、悪魔が存在しうるわけがないのだ。神の力でとっくの昔に悪魔など消滅させられているはずだ。


つまり逆に言えば悪魔がいるということは神がその存在を許しているといえる。穿った見方をすれば、神は悪魔という存在に対して必要を感じているのだ。


例えば僧都がこんな宗教を立ち上げたとする。


神を信じましょう、人には優しくしましょう、人を傷つけてはいけません。セックスが気持ちいいからって子作り目的以外にしちゃいけません。ごはんは質素にして貧しい人に分け与えましょう。贅沢しちゃいけません。


誰も僧都を信仰しないだろう。言ってることは正しいが、これは道徳・倫理の問題であって人の信仰心を掴むことはできない。


こんなことを言ったら罰当たり、というのは仏教か。神罰が下るかもしれないが、宗教を一つの営業と考えるならば信者獲得においてのコピーとしてはインパクトに欠ける。


現実問題として我々が一般社会でどんなに良い行いをしようとも、悪いやつは必ずいて正直者は馬鹿をみるのだ。


だからそういう社会を跋扈する『悪魔』を退治します!というぐらいの広告力は非常に有効である。これでもう我々は酷い目に遭わないで住む。悪い奴がやっつけられるなら清々する。


実際に悪魔というものは存在しない。これはこの宗教の信者数を伸ばすためのでっち上げである。悪魔そのものに意味はない、というか社会においてのマイナス要因ではあるが、『神が悪魔を打倒する』ということは人々にとって非常に意味がある。


悪魔は装置である。悪魔は悪の限りを尽くして神によって倒されるために製造された装置。だから悪魔は神に絶対勝てないし、自ら消滅することも許されない。神の偉大さを証明するために決して勝てない戦いを延々と続けさせられる奴隷である。


まるでばいきんまんだ。ばいきんまんはアンパンマンに執着していつまでも勝てない戦いを挑んでいるが、彼の科学力と行動力があれば十分残りの人生幸せを過ごしていけるだろう。アンパンマンにこだわるからいつまも不幸なのだ。


だがばいきんまんのいない物語での視聴者獲得は相当難しいだろう。毎度カバ男に自分の顔を食べさせるだけのアンパンマンに一体どれだけの子供が食いつくというのだ。


アンパンマンは恐らくばいきんまんを殺せるだけの力を有している。だがそれをしない。それは創造主であるやなせたかし、じゃなく監督かプロデューサーが決して許さないのだ。ばいきんまんは舞台から消えてはいけない。いつも半殺し止まりでアンパンマンに復讐を誓う存在でなければならない。


悪魔には『悪の源』と『正義に決して勝てない』という二つの意味が内包されているのだ。


こっちに来てからの方が日本の本を読んでいるような気がする。図書館に日本の本が結構陳列されているのだ。恐らく僧都のような短期移住者の寄贈本だと思うのだが、それだけに日本の図書館よりベストセラーが置かれている。しかも当たり前だが日本人しか借りないので『貸し出し中』があまりなくてひょいひょい借りられて便利だ。


最近宮部みゆきの『模倣犯』を読了した。


生意気言うようだが、僧都はあまり宮部みゆきのどうにも生温い表現が好きじゃなかったのだが。それを差し引いても模倣犯は面白かった。


ヒロミとピースは共に快楽殺人犯である。だがその二人の快楽は意味合いがまったく違う。ヒロミはテンプレであり殺人に対してサディステッィクな快楽もつシリアルキラーである。だがピースは殺人そのものより、その非日常的行為によってこの世界の『物語』が大きく変化することを楽しんでいる。被害者がどうなり、被害者の家族がどう嘆き、マスコミがどんな風に取り上げて、専門家が聞いたような口を利く。それが楽しくて仕方ない。


殺人シーンについてはあまり描写がないのでわからないが、恐らくピースは最初の母親殺害以外ほとんど殺人行為はしていないだろう。そして本人が述べていたとおりピースはヒロミを仲間ともなんとも思ってなく、人を殺す特殊な駒としてしか見ていなかった。


ピースは世界を一つの舞台として考えていた。そして自分こそがこの物語を演出する創造主だと。大衆は観客に過ぎない。


大衆を楽しませるためには事件が必要だ。誰も平凡な日常など必要としていない。


そして事件には犯人が必要だ。ピースは偶然にもヒロミという悪魔の駒を手に入れることができた。しかもヒロミはピースを崇拝しているので何でも言うことを聞く。自ら手を汚さなくても、演出家(=神)としてピースは物語を紡ぐことができる。


悪魔はテレビに電話出演する。劇的な効果だ。日本中に正体不明悪魔がいることが知れ渡る。大衆はそのどこにいるかもしれない悪魔に戦慄する。


そして中盤ヒロミと高井が死んだとき、ピースは大笑いする。駒を失うということはゲームにおいて不利以外の何者でもないのだが、ピースにとって不利というのは物語のスパイスでしかない。ああ、これで物語が面白くなったとピースは考えた。第二章の始まりなんだと。


案の定大衆はヒロミと、無関係な高井を『悪魔認定』する。『どこにいるかわからない悪魔』から『確定した悪魔』に大衆は『安堵感』を覚える。怒りのぶつけ所、拠り所を大衆は手に入れた形になる。


事件が収束する前にピースは次の悪魔を作り出す。高井の妹だ。


高井の妹は兄の無実を訴え、その暴走は被害者家族を傷つけてしまう。もちろんピースの仕組んだことだ。


彼女が日本中から攻められたところで、ピースはその姿を表舞台に出す。


そしてピースは高井の無実を訴え、警察の無能さを罵倒する。見てくれがよく、頭もいい、そんな『大衆受け』の良いピースに世論は大逆転する。高井無実論である。次の悪魔は警察となった。


次第にピースに疑問を持ち始めた高井妹を早々と自殺させ、次の悪魔をジャーナリスト前畑滋子とした。


誰も神たるピースに勝てない。すべてはピースが作った物語なのだから悪魔はただ勝てない戦いし続けなければならない。


ピースの賢いところは、常に悪魔を作り続けたところだ。大衆には悪魔が必要だと考えていたのだ。凶事が起きたときに怒りのぶつけ所がないと人々は不安になる。だからピースは大衆のニーズに答えて悪魔を作り続けてきたのだ。


東日本大震災の際、たまたま僧都は休暇で日本に帰っていた。だからリアルタイムで地震を経験している。もっとも北海道なのでほぼ被害はなかったのだが。


地震が起こり、津波が来た。


地震直後、素人の僧都からみても日本のマスコミは混乱していた。報道フロアからヘルメットをかぶって画面に現れたり、誤情報が飛び交ったり、局によって報道がまちまちだったり、不適切発言を連発したり、屋上から助けを求める人をヘリで煽った挙句放置したり。


たぶん最初の悪魔はマスコミだった。人々はこの起きてしまった誰のせいでもない天災に対して怒りのぶつけ所が欲しかったのだ。だからまともに機能しないマスコミをたたき始めた。


そして次に原発。東電の対応が混乱に拍車をかけた。ここでマスコミはここぞとばかりに東電を叩き罵倒する。もともと情報操作はお手の物なのだ。平謝りの東電に対してマスコミの口調はあくまで強硬で返って視聴者が不愉快になるほどであった。だがその界あって大衆にとっての悪魔は東電になった。


そして政府の対応。総理の現地視察が作業の邪魔となったといううわさ、曰くつきの仙石の復帰、枝野の詭弁。

保安院の無能ぶり、芸能人の売名、不謹慎バラエティー番組の復活、在日の人々のいち早い逃亡、邪魔になるボランティア、俺たちが神だ、都知事の天罰発言、ユニセフ義捐金詐欺疑惑、東電副社長がキャバクラで靴下脱いだ、どさくさの竹島教科書問題。


今回の震災で大量の悪魔が必要になり、そして作られた。


みんな悪魔がいないと不安なのだ。悪魔ならば倒すことができる。糾弾することができる。震災は天災だが、起こってしまった悲劇に対して、どうして起きたのか理由が必要だったのだ。


誰も神を求めない。みんながみんな『誰かのせい』にしたかったのだ。それが悪魔だ。

そのころ不謹慎厨という言葉が流行っていた。震災に際し不適切な行動をした人への糾弾を行う人たちの総称だったのだが、最終的にはどんな行動にも悲劇を連想させると不謹慎認定しているおかしな集団になっていった。キャイーンの天野君もツイッターで『こわい』と発言しただけで炎上したというのだから恐ろしい。もはや言葉狩りである。


奇妙なことだが、この不謹慎厨は実際に被災した人間に多くないらしい。つまり被害者でも二次災害加害者でもないほぼ無関係の集団が『被災者の意を汲んで』行動に及んでいるということだ。


恐らく彼らは正義の味方のつもりなのだろう。むしろ震災の影響でに自動的に正義の味方になったともいえる。そして被災者は守るべき存在。


日本においては『正しい行動をするもの』が正義の味方ではない。それは正しい人でしかない。


『悪を叩き潰すもの』だけが正義の味方を名乗れる。悪魔がいなければ正義は立ち行かぬ。


だれもみな悪役をやりたくはない。悪役は絶対に最後には倒されなければならないからだ。


だから正義の味方による悪魔狩りが行われた。


彼らは誇りと優越感と狂信的執念をもって悪魔に探し出し、虐殺の限りを尽くすだろう。


僧都にはその正義の味方たちがディアボロに見える。

越境者たち

中世日本の地方では子どもは7歳を過ぎるまで人間とは見なされていなかったという話がある。だからといって家畜みたいな扱いを受けていたとかそういう話ではない。


子どもに何か異変が起きたとする。例えば教えてもいない言葉を知っていた、動物と話をしてた、変な物拾ってきた、原因不明の病気になった、突然いなくなり突然帰ってくる、あるいはそのまま二度と帰ってこない。それらは人智の及ばない神か物の怪の仕業であるとされた。


現代の常識に照らし合わせると、7歳以下の子どもならば動物に一方的に話すことだってあるだろうし、医療が整っていない時代のことなので大人ですら知らない『原因不明の病気』にもなる。山に行けば行方不明にもなるだろう。


だが物の怪と神が一般常識の時代、その幼稚さ故に大人とのコミュニケーションがままならず本能のまま行動する子どもたちは、現世と彼岸を行き来する越境者であると考えられていた。だから子どもの行動には怪異が付き物であり、何かあればそれは怪現象に昇華される。


『この子の七つのお祝いに・・・』や七五三などの行事に見られる7という数字にはそれなりに意味のあることだと僧都は考える。7歳という年は越境者たる児童たちを現世に固着させる大事な時期なのだ。


僧都の今期のツボアニメ『日常』でこんなシーンがある。


部屋の雑誌を束ねて「よし」と呟く『なの』(少女ロボット)。その横で『はかせ』(女児・8歳)が寝転んで科学の絵本を読んでいる。



『はかせ、ちょっと部屋のごみ片付けてもらっていいですか?』


『ん?・・・・・・うん。』


ちょっと考えて、少し困った顔をする博士。


『はかせにはまだちょっとはやいとおもうの。』


『えっ』


『あそんできます。』


一礼して去っていくはかせ。


『ええっ』


はかせの中にはまだ大人と子どもの間にボーダーラインが存在して、部屋の片付けは大人の仕事であるという意見と同時に自分はまだ子ども側にいることを主張している。


子どもからしてみれば大人の行動も充分怪異だろう。遊んでいたほうが楽しいのになぜ片づけをするのか、なぜ働くのか。


大人にとっての子供怪異は、自分も当然経験したであろう『過去』であり大概それは『忘れ去れたもの』『失われたもの』である。思い出そうと思って思い出せるものでもない。


そして子供にとっての大人怪異は、『未来』であり『いずれわかるもの』『今は知らなくていいもの』である。

ここに大きな違いがある。


大人が子供にその怪異について問いただしても、子供は明確な答えを出すことはできないだろう。子供には子供の理論があるだろうが、それはその未熟さ故に破綻している上、正確に伝える言語能力が未だないのだ。事実上子供の怪異を説明できるものはいないことになる。


だが大人は違う。大人は子供にその理論を説明することができるし、またいずれ大人になる子供に対して説明していかなければならない。


だがそれをしない大人がいる。意図的に理論を隠し、『おまえにはまだ早い。』『子供は知らなくていい』などという。はっきりとこれは子供差別である。子供を自分と同列な人間と見なしていないし、大人の義務を放棄している。


情報は共有しなければならない。大人だけが知っていいという理屈は馬鹿げている。遅かれ早かれ必ず知らなければならない情報を、時期的な理由で断るのはどう考えてもおかしい。


そうしてやはり大人子供ライン突破の大きな弊害となるのがやはり性知識であろう。


僧都が小学4年生のときに小さな事件があった。


国語の時間、その日は教科書の『広い言葉・せまい言葉』という項目を学習していた。


例えば『昆虫』というのは『広い言葉』である。昆虫という言葉は世界に無数にいるであろうインセクト全てを指しており、『昆虫』という言葉の中にそれを内包している。


しかし『オニヤンマ』という言葉は『オニヤンマ』以外に何も内包しておらず、当のオニヤンマを指す以外何の意味も内包していない言葉ということになる。つまりこれが『狭い言葉』ということだ。


中山先生が我々生徒に質問を投げかけた。


「『触る』という言葉は非常に広い言葉です。人が人に触ることには色んな方法がありますね。それを挙げていってください。


『なでる!』


『そうですね。』


『つかむ!』


『うんうん。』


『たたく!』


『おやおや危ないなぁ。でも当たってます。』


『つねる!』


『ける!』


『さする!』


『押す!』


『引っ張る!』


『突っつく!』


何しろ子供だ。男女の関係なく普段からスキンシップは頻繁に行っている。



そしてあらかた出尽くしたころ


『もうないですか?先生はあと三つ四つは思いつきますよ(笑)』


生徒からはもう何も出てこない。


だが僧都はふと思いついた。




僧『先生!舐める!』



先生『えっ』



僧『舐める!』


当時コロコロコミックで『おぼっちゃまくん』という漫画が連載されていた。超大金持ちの御曹司小学生が主人公の漫画なのだが、その世界最高の大金持ちである父親が主人公を可愛がるあまり顔を舐めまくるのだ。

子供は何からでも知識を吸収する。そしてそれを常識だと思う。仮令それがナンセンスギャグ漫画であっても、子供の中ではそれは常識なのだ。


だが


「『舐める』は・・・・・だめだ。」


そう言われた。


正しいでも間違っているでもなく、『だめだ』とそう言われた。


なぜだ。人と人が接触するというルールからは決して外れていない。何しろその例があるのだ。


先生は僧都の謎を釈明することなくスルーして授業は続けられた。僧都はわだかまりが残った。


授業終わって10分休憩時。


クラスでも大人しい女の子(かわいい)が一人僧都の元にやってきた。


「そうくん、『なめる』は・・・・だめだよ」


先生と同じことを言う。


「なんで?」


「なんでって・・・・・『ふだんは』あんまりなめたりしないでしょ・・・・・・とにかくダメなの!(///)」


ふだん?


おぼっちゃまくん親子は顔を合わせるたびになめてたような・・・・。


何で言いよどんでいるのかわからなかったが、その様子がすごく可愛かったことだけは未だに覚えている。


そして今、そのときのことを思い起こしてみると


なるほどだめだな。完全にアウトだ。


僧都は子供だった。まさか『舐める』に大人子供ラインを越境した意味があったとは知らなかった。そしてこの場合クラスメートの女の子は越境者(もちろん知識の上で)であったわけだ。当時一体どれだけの生徒が越境していたのだろう。僧都だけ子供宣言していたようで何だか恥ずかしい。みんなおませさんだな。


しかし先生の『だめだ』は無いと思う。教育者が教育を放棄してどうする。生徒が疑問に思うことがあるならば徹底的にそれを教えなければならないだろうと思う。


そういえば同じ頃こんなこともあった。


漫画の持込がOKというゆるい学風であったその母校で、前とは別の女の子が僧都のところにドラえもんを持ってきた。そして『このページ見て!』と言われる。


詳しいストーリーは忘れたのだが、ドラえもんがいないときに未来デパートから大きな機械が届いて、のびたがが勝手に使い始めるような展開だったと思う。


その道具は人造人間の赤ちゃん製造機械で、家にある簡単なものでお気軽に作れるのだという。おもしろがったのびたがしずちゃんも誘いに出かける。


『一緒に作らない?』


『何を?』


『こども!』


馬鹿なこと言わないでとしずちゃんにボコボコにされるのびた。


女の子「どう?」


僧「何が?」


女の子「意味わかった?」


正直さっぱりだった。なぜしずちゃんが怒り出したのか。


だが当時僧都は変な方向に小賢しかったので、これは何かの伏線か、あるいは僧都の読んでいない過去のエピソードと連結しているのだと思った。


僧「なんとなく。」


女の子「あー僧くんすけべだー!すけべだー!」


僧「なんで!?」


どう考えてもすけべなのは女の子の方だ。なぜか知らんがうちのクラスの女の子たちはやたら性知識の獲得に対して貪欲な節があった気がする。好奇心なのか子宮が求めるのか、男の子たちにやたら『テスト』をしていた。


それに比べてダンスィたちときたらみんな頭があびゃびゃびゃでうんこちんこで爆笑していた。僧都は大人しくてまじめに勉強していたから色々知ってると思ったのだろう。僧都も大人しいだけであびゃびゃびゃだったけど。たかがドラえもんの台詞にセックスが隠されているなど思いもよらない。


僧都が知る限り、女子のほうが越境が早い気がする。やはり初潮という一大イベントが『これで大人』という越境感を強くさせるのだろう。


男子はかなり小さい頃から勃起したりとかちんちんいじってて気持ちよくなったりと性の越境があいまいだ。生理的に体つきががっしりしてきたのやら筋トレでがっしりしてきたのやら区別がつかない。童貞を捨てるときぐらいのインパクトがないとどうにも女子ほどの越境感は得られないのかもしれない。




またも同じ頃。当時聖闘士聖矢が放送されていた。



放送当初はクラスでもあまり見ている子供はいなかったのだが、十二宮の黄金聖闘士編が始まるとさすがにみんなテレビに釘付けになった。


僧都宅はテレビが一台しかなかったので、土曜の夜七時と言えばニュースを見たい母と『所さんのただものではない』を見たい姉と『まんが日本昔話』を見たい僧都の激戦が繰り広げられていたので聖闘士の出る幕は無かったのだが、さすがにクラスの話題についていけなくなったので僧都が泣きながらチャンネル権を主張して無事獲得した。


ありがたい事に十二宮編から見始めても自ずとストーリーが見える。尤も、敵を上の階への当時のジャンプセオリーにストーリーもないわけだが。


教皇のアナザーディメンションを食らって天秤宮に一人転移させられたキグナス氷河が師匠である水瓶座のカミュによって氷の棺に閉じ込められるエピソードがあった。おまえに甘さがあってこれからの戦いには勝てない、他のものに殺されるくらいならば師匠である俺の手で・・・という屈指の名シーンだった。


後から追いついた青銅たちはその棺に驚愕するも、例によって裸になったロン毛が師の天秤聖衣の武器を使って棺を粉砕する。



問題はこの後だ。


低体温となり仮死状態に陥った氷河をアンドロメダ瞬が助けると言い出す。仲間たちはそれを信じ一刻でも早く女神を助けるために次の宮へ向かう。


無人である天秤宮に二人残される氷河と瞬。瞬は氷河を抱きしめながらピンク色の小宇宙を燃やして命を救おうとする。




????





途中から見た僧都には意味がわからなかった。人間と人間が抱きしめあう。これは男と女であるはずだ。


瞬は女だったのか?確か女の聖闘士は顔を隠すとかなんちゃらとかいってた気がする。じゃあやはり男か。

え、男と男が抱きしめあってる?ということはオカマ?


いやこんな大事なシーンにオカマが出るはずがない。オカマというのはドリフに出てくるもので気持ち悪いトリックスターのはずだ。そして最後にたらいが落ちてくるものだ。


このシーンにオカマの出る幕などない。なのに男同士が抱き合っている。あまつさえ瞬は氷河をうっとりとした表情(正確には慈母の表情だが)を浮かべている。


女?オカマ?なのに笑いが無い?一体なんだこれは?


僧都の混乱をよそにストーリーは特別それに触れることなく進んでいった。


ただ変化があった。


クラスの女の子の一部に聖闘士聖矢の文房具を持ってくる者が現れたのだ。


ジャンプは当時男の子の雑誌だった。もちろん聖闘士聖矢も男の子のために書かれた漫画だと思っていた。当然女の子は魔法少女的なものに興味を持っているはずだと信じて疑わなかった。


だから男の子のためのものを持ってきているあいつらはオトコオンナだ!と思っていた。





今考えるとアイツらは完璧腐女子だ。


聖闘士聖矢もよく考えたら、少年漫画にしてはマツゲが長いし、マッチョよりもなよっとした美形キャラのほうが多かったし、女の子大好きの星座をモチーフにしてるし、男同士の友情が熱いし、やたら裸になるロン毛は出てくるし、どう見ても腐女子の大好物ばかりです。本当にありがとうございました。


当時に腐の概念があったか知らないが、製作者側も確実に狙っていた節がある。


特に教皇サガは全裸シーンが多い。やたらローマ風呂につかり、教皇の衣も素肌の上に来ている描写があった。それだけならまだしも双子座聖衣を全裸の上から身につけていた。


それを見てあ~冷たいだろうな・・・と自分のちんちんがきゅんとした印象しかないが、あいつらは別の意味できゅんとしてたということか。


というかこの世に聖闘士聖矢を性的な目線で見ていた視聴者がいることに驚きを隠せない。


あいつらは性の境界のさらに向こう、越えてはいけない狭間を越境してしてしまったのか。


僧都の星座でもある蟹座デスマスクの必殺技・積尸気冥界波は敵を黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)へと送る。


黄泉比良坂とは日本神話おける生と死の境界の地。この黄泉比良坂を越境してしまった日本最初の女神イザナミはその体がすでに腐れ果てていたという。


デスマスクの技はロン毛のみならず日本中の純真無垢な少女を彼岸へと連れ去ってしまった。


そして現在もなおその技は有効であり、こうしている間にも彼女らはデスマスクの餌食となっていく。


僧都はこんなにも残虐で恐ろしい無差別攻撃キャラをしらない。おそらく蟹座の黄金聖闘士は漫画史上最強の悪であろう。

ジャーマンキング

うちの会社はこの小さい町の中にいくつも系列ホテルを持つ田舎の小金持ち企業らしい。


そしてその系列ホテルによってそれぞれ働く人に特色がある。他系列ホテルの日本人友達の話ではやたらフィリピン人が多かったり、日本人しかいなかったり、オーストラリア人ばかりだったりとそれぞれだ。


そして我々のホテルは、スタッフの7割がドイツ人で占められている。



ヒロ「僧さん知ってます?オリーって体に妹二人の名前のタトゥー入れてるんですよ。」


僧「妹?恋人じゃなくて?」


ヒロ「ええ。妹たちはオリーの宝物なんですって。オリーがまだ小さいころ、妹達が生まれてすぐに『こいつらを守るのは俺の使命だ!』って心に決めてたらしいですよ。」


僧「なにそれかっこいい。確かに恋人と違って妹は100%と一生モノだからな。日本でやったらほぼ変態扱いだけど。」


ヒロ「海外だから許されることってありますよね。特にオリーはかなりのイケメンでしょ。彼女めちゃくちゃかわいいし。しかも身長189cm。変態どころか何やってもモテる要因にしかなりませんよね。」


僧「性格もいいしな。あそこまでレベルが高いと嫉妬心も起こらないわ。」


ヒロ「アレで21歳ですよ。俺と同い年。何あの落ち着きよう。」


僧「すでに結婚して子どももいそうな雰囲気だよね。日本の21歳にあのオーラは出せないわ。」


ヒロ「いまやオリーはドイツ軍を束ねるリーダーですからね。」


僧「確かに将軍のようではある。泰然自若」


ヒロ「僧さん三国志わかります?」


僧「ぜんぜん。読んだことない。劉備と関羽と張飛と曹操と孔明しかしらない。」


ヒロ「俺三国志大好きなんですよ。」


僧「横山光輝?」


ヒロ「司馬遼太郎のです。オリーは関羽って感じですね。冷静沈着ながらいざ戦闘となると無双の強さを発揮する偉丈夫。」


僧「じゃあクリス(ドイツ人・193cm)は?」


ヒロ「アイツは魏延ですね。」


僧「誰だそれは。」


ヒロ「三国志のトリックスターですよ。すぐ裏切ったり卑怯な手を使ったり、チンピラ的な。」


僧「クリスすぐ仕事サボるからなぁ・・・・。」


ヒロ「アイツは脳の成長が五歳でストップしてるんですよ。」


僧「俺は?俺は?三国志で言うと誰?」


ヒロ「僧さんは農民ですね(即答)。」


僧「」


ヒロ「近くの村で畑を耕している僧さんが出陣しているオリー軍を見て



『戦が・・・・・始まる!』



ってつぶやくんですよ。」



僧「その役必要?」






ヒロ「ちゃんとバストアップで引きを入れながら撮影する僧さんの最大の見せ場ですよ。」


僧「最大の規模が小せぇよ!じゃあお前は何だよ。」


ヒロ「俺は歩兵隊ですよ。」


僧「ずるいじゃねーか!俺も戦に参加させろよ!」


ヒロ「歩兵隊つっても名前もないしただ死ぬだけのエキストラですよ。」


僧「そもそもオリーは誰と戦うんだ?」


ヒロ「マルセル(カナダ人195cm)ですね。」


僧「ドイツ人対カナダ人の巨人対決だな。マルセルも強そうだ。ヒゲだらけだし。」


ヒロ「マルセル軍はオリー率いるドイツ軍にどんどん追い詰められていくんですよ。そして最後生き残ったマルセルに三頭身の俺50人が一斉に襲い掛かるっ!」


僧「歩兵隊全部オマエかよ。しかも三頭身て。」


ヒロ「足にしがみついたり背中にへばりついたりするんですがマルセルの怪力によって次々千切っては投げ千切っては投げされて倒されていく俺達!」


僧「マルセル無双だな。」


ヒロ「業を煮やしたオリーが『矢を放て!』と号令をかけるんですよ。そして放たれる数千本の矢!空から矢の雨が降り注ぐ!」


僧「うん。」


ヒロ「全身を数百本の矢に貫かれるマルセル。しかし全身から血を噴出し血涙を流しつつもその顔には余裕の笑みが!『ひぃいいい!』と腰を抜かして恐れ慄く俺達!」


僧「・・・・。」


ヒロ「マルセルはまるで何事も無かったかのように平然と立っている。オリーが異変に気づいて俺の一人にマルセルを確認するように指令する。」


僧「・・・・。」


ヒロ『死んでます!将軍、奴はすでに絶命しています!!』


僧「・・・・。」


ヒロ「『立ったまま逝ったか・・・・・敵にするには惜しい漢であった・・・・・。』とつぶやくオリー。」





僧「何でもいいけどオマエばっかりめちゃくちゃ目立ってるじゃねーかよ!俺と代われよ!」


ヒロ「農民はおとなしくしててください!」




メインキャラではなくエキストラの取り合いをする小日本人二人。

ジャーマニックプリンセス

職場にて。ヒロ君は大学休学中の後輩。



ヒロ「アーニャって・・・」


僧「うん。」


ヒロ「会社に二人いるじゃないですか」


僧「そうだね。」


ヒロ「なんて呼んでます?」


僧「え、アーニャって。」


ヒロ「そうじゃなくて。例えば二人並んでたら呼ぶとき困るじゃないですか。」


僧「でもあの二人そんなにいつも一緒にいないよ?」


ヒロ「じゃあ普段誰かに『アーニャが・・・・』と言っても『え、どっちの?』ってなるわけじゃないですか。」


僧「まぁ・・・そうだね。」


ヒロ「呼び方決めましょうよ。」


僧「いいけどさぁ。」


ヒロ「キャサリン(上司)なんて呼んでるか知ってます?」


僧「知らん。」


ヒロ「アーニャ・ナンバー1とアーニャ・ナンバー2ですよ。酷くないですか?」


僧「ふははwwww順位付けちゃダメだよなwwwww」


ヒロ「日本語で言ったら初号機と弐号機ですよ。」


僧「エヴァンゲリオンだなwww」


ヒロ「まぁ確かにナンバー1のほうは初号機に似てますが。」


僧「こらwwwwまぁでも二人目のアーニャが来たときは俺もニューアーニャって呼んでたしな。」


ヒロ「じゃあ元々のアーニャはオールドアーニャですか?確かに年上ですけどそれは酷いですよ。」


僧「35歳だしな。」


ヒロ「大体オレは二人目アーニャの後に入ってきてるのにニューも何もないですよ。」


僧「そうだよな。新しいアーニャったってもう半年も働いてるわけだしな。」


ヒロ「どうします?」


僧「単純に元々いたほうはビッグアーニャ、新しいのはスモールアーニャでいいんじゃない?」


ヒロ「確かに初号機は大女ですけど、ビッグって『年上の~』って意味もあるじゃないですか。西洋圏じゃ年齢の話は絶対タブーだしきっとまずいですよ。」


僧「そうかな。」


ヒロ「そもそも女の人を表現するのにビッグはまずくないですか?」


僧「そりゃまぁそうだな。メガネアーニャは?」


ヒロ「二人ともメガネじゃないですか。」


僧「おおそうか。年下アーニャのほうがオサレなメガネしてるからインパクトが強かった。」


ヒロ「髪の毛の色で判断して黒アーニャと金髪アーニャとか。」


僧「しかしブロンドアーニャはいいがブラックアーニャって何か悪の患部みたいな響きだな。差別的意味とかないかな。」


ヒロ「だいじょぶでしょ。」


僧「まぁ実際にはブロンドアーニャのほうが黒いんだけどな。いろんな意味で。ブラックアーニャは大人しい天然ボケだ。でもくろあにゃ・きんあにゃって響きがかわいい。」


ヒロ「そうですね。でも『きんあにゃ』はやりまくりのイメージあるのであにゃは黒いと思います。」


僧「そういう局部的な色の話をしているんじゃないんだよ。」


ヒロ「でもドイツはアーニャて名前多いんですかね?この小さい街の小さいホテルに二人も在籍してるなんて。」


僧「そうでもないみたいだよ。そんなメジャーな名前じゃないって前にのっぽの方にに聞いた。」


ヒロ「同じドイツ人でメガネで両方ぽっちゃりじゃ特徴つかめないですね。でも目立った特徴言うと失礼になりそうだし。」




仕事終わり



アーニャ(小・金髪)が壁に手をついて伸びをしていた




  ○

Γ

↑こんな感じの格好。ケツが突き出ている。





ヒロ「WHOA!SEXY!」



ヒロがからかう。



彼女はそのままケツでアルファベット『Z』を描きながら『HEY!HEY!』とケツをスパンスパン叩く。ご丁寧にグーにした親指の爪を咥えて物欲しそうにこちらを上目遣いで見ている。



ヒロ「エロアーニャで。」


僧「うん。エロアーニャで。」







ホムンクルス その2

『鵺』を知っているだろうか。平安時代の夜を跋扈した魑魅魍魎である。顔はサルで体はトラ、尻尾は蛇であったという。そういうとおおジャパニーズキメラ!とファンタジーファンが喜びそうだが、実際にはちょっと違う。


第一発見者曰く、鵺はサルの顔をした化け物であった。次のものが見たとき鵺の体にトラ柄の模様がついていたという。そしてその次のものはその尻には蛇がぶら下がっていた。怖気を奮うような鳴き声だけを聞いたという者もいた。


誰も鵺の全体像を確認していない。サルの化け物の体がトラ柄だったといったものはいない。逆にトラ柄の化け物の顔がサルで尻尾が蛇だと証言したものもいない。


『群盲象を撫ず』という諺がある。目の悪い人たちがいくら象を触ってみても、それぞれ撫でたところによって『生き物?』『樹木』『鉄?』と的を射ない発想しかできない。木を見て森を見ず。まさにこんな感じだ。


だから情報を総合したらキメラができた。ただそれだけ。キメラがいたのではない。鵺は脳内が情報を補完した結果生まれた妖怪なのだ。


それと同様に人は僧都の顔を見ているようで見ていない。僧都の顔は正しく見える部分部分と、それを取り巻く脳内イメージで合成されている。


脳内イメージは一人一人違う上に、精神状態にひどく影響を受けやすい。風呂上りに自分の顔を見ると水嶋ヒロに負けてないんじゃね?と思っても、街で偶然見かけた鏡をみると何このクリーチャーwwwwwと思ってしまうのも同様の理由だろう。


カナダの脳外科医ペンフィールドのホムンクルスという有名な絵?がある。



wAn-pAKa


人は手足など体の部分を動かすとき脳を使うが、その脳をたくさん使うものは大きく、少ししか使わなくても動かせるものは小さくして人間を描いてみる。すると手足と顔のやたらでかい不気味な小人のような人間がそこに現れた。ペンフィールドはそれをおとぎ話の小人『ホムンクルス』と名づけた。


手足顔にそれだけ脳をたくさん使っているということは、脳がそれを重要視していることに他ならない。

そして逆に言えば他者の手足顔も脳が注意をはらっているとも考えられる。


このホムンクルスには『首』の部分がない。胴と顔は切り離されている。確かに誰かに道でばったりあって別れ、その後『彼女の首がどんなだったか』を思い出せる人間はそうはいないだろう。


つまり脳からしてみれば、彼女は胴の上に顔が浮いた状態でその辺を歩いていたことになる。だがもちろんそんなことは『ありえない』。


『ありえない』から、あとから脳内で首を再構築して『あったこと』にする。だからそのやっつけ仕事で作られた首に印象はない。小さい黒子があってもそれはなかったことにされる。


ペンフィールドのホムンクルスにおいて胸部は小さく描かれているが、たとえばマイクロビキニで歩いている女がいたら僧都のホムンクルスはおっぱい90%の化け物になっているだろう。


世界のB級ニュースかなんかだったと思うのだが、老人兄弟の家に見知らぬ女が現れセクシーダンスをしながら服を一枚一枚脱いでいった。最後の一枚を脱ぎ終えていろんな部分を見せ付けて女は帰っていった。しばらくして兄弟は自分たちの金庫があらされていることを知った。女は実はもう一人いてペアの強盗だったのだ。


この話の面白いところは、警察に事情聴取を受けたとき、二人ともストリップ女の顔を思い出せなかったということだ。おっぱいや秘所の記憶はあるのに女の顔は思い出せない。結局女二人は捕まらず仕舞いだったのだそうだ。


兄弟のホムンクルスは非常に猥褻な形をしていたことだろう。





人は見た目が9割なんだという。


まぁそれはそうだろう。初めて会った人に見た目以上の情報を得ることは困難だ。視覚を信頼するのは当たり前だ。


しかしその見た目ですら骨であるホムンクルスと肉の脳内イメージ補正で合成されているに過ぎない。優しそうな目が特徴的な人ならば、たとえ暴力的な鼻(?)をしていてもそれは補正される。人はチャームポイント(他薦)が9割と言った方がより正確だろう。


こちらにきて初めて『ブラインド・ラブ』という言葉を知った。実際にあった事がない、顔も見たことがない人をメールなどのやり取りで恋するという新しい愛の形である。


日本で言うところの出会い系もこれにあたる。ネトゲでの恋愛もある。最近ではスカイプも発達してきたので完全なブラインドラブということもないのだろうが、顔が見えないからできる恋愛というのも確かにあるのだろう。それはそれでネットが発達した未来でも残り続けるような気がする。特に日本人はそういうのが好きそうだ。これは恋文のホムンクルスである。恋文だけがやたら発達して残りはすべて脳内で作られたイメージとなる。


最近では声優の顔出しが当然になってきて、顔が好きだからこの声優が好きという若い人も多いという。僧都のころは顔出しがなくて声に聞き惚れて、八方手を尽くして調べてみればうわぁ・・・・ということも多々あった。これは声のホムンクルス。こんなかわいい声なんだからかわいい顔なんだろうと脳が補完している。


もう本人も笑い話にしているらしいが、るろうに剣心の作者が顔出ししたときに当時の腐女子がイメージと違うと怒り狂って、作者を変えろと脅迫メールまで来たらしい。もう完全に本人の預かり知らぬところで合成されたホムンクルスが本体を否定した例だ。


このブログにたまに女性の読者が来る。僧都は別にネットではいい格好しないし、男の本能むき出しでエロネタ満載で毎回ちんこちんこ言ってるし、しかもむしろ女性の敵になるようなことばっかり言っていると自覚しているのだが、彼女らは一体何が楽しくて閲覧しに来ているのだろう。30代の男の本音を読んでくれるのは嬉しいのだが、目的がいまいちよくわからないのでもやもやする。






あのひょっとして皆さん、





僧都に下ネタもいける福山雅治的なホムンクルスを抱いていないでしょうね。






全っっっ然違いますから。


ケチで貧乏で陰湿で中二病で打算的でキモヲタで趣味も友達も恋人もなくてリア充見てるとおどおどするしオナ禁してるから常にムラムラしてるし、顔も不細工だし眉剃りもいまだにうまくできないし一重だし糸目だし下膨れだし髭濃いしゴリマッチョの癖に最近下腹部の肉が浮き輪になってきてるし脛毛濃いしチビだし白いしちんちん小さい。





芸能人で言うとうんこに似てますから。




モテる要素一切ありませんから。


お願いですから変にかっこいいホムンクルスを作らないでください。


街で見かけてもイメージとちがーうとか言って石を投げたりしないでください。

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老充 その2

さて本当の老害の話だがこれには僧都も覚えがある。以前働いていたところは凶暴老人の巣窟であった。


『酒を早くもってこい。走れ。』


『俺の言うことが聞けないのか?』


『(カラオケにて)向こうのグループに歌わせるな。マイクはこちらにおいておけ。』


『俺は大学出だぞ?言うことが聞けないのか?』


『俺は元役場の出納係だぞ?言うことが聞けないのか?』


『飲み放題の種類が少なすぎる。ビールと焼酎も加えろ。』


がっかりした。


僧都はおじいちゃんが好きだった。僧都が小学2年のときに死んでしまったおじいちゃん。和歌を作るのが趣味で幼僧都をモチーフにした作品をいっぱい作ってくれたおじいちゃん。僧都の作文をおもしろいねぇとほめてくれたおじいちゃん。


そして僧都はDB世代。お茶目で実は強い亀仙人に憧れていた。


前々から言っているとおり僧都は物語中毒者。僧都は自分のことを何かの主人公と白昼夢を見ているときがある。だから自分にも普段はスケベでお茶目、でも本当は実力者というおじいちゃん師匠を待望していた。(実はすでに会っているのだが、それはまたいずれ。)


なのになんだこれは。不良老人としか言いようがない。あなたがたは一体この年齢まで何をしていたんだ。余生を人から嫌われるようなことばかりしながら過ごして、ただ過去の栄光に縋って。若者に煙たがられて。


実にくだらない。そんな余生に何の意味がある。本当にくだらない一生だったな。


僧都のバイブル『キノの旅』にこんな話がある。


ペンギンのような体、ゴリラのような腕、幼児並みの知能をもち、ぎゃあぎゃあとうるさいとある動物がその国では『保護』されている。街中にその動物は溢れ、店のものを食い散らかし、人を襲い、糞尿を撒き散らす。それを誰も咎めない。その動物の『保護』がこの国のルールなのだ。そこ現れた旅人がその目に余る動物を撃ち殺す。驚愕する国民と動物。が国民はその場にあった武器を手に取り、一斉に動物に襲い掛かった。動物たちの死骸が散乱する中ただ一匹残った動物に旅人は告げる。





『「保護されている」というのは、それすなわち「アナタが偉くなった」という意味ではないんですよ。』




恐らく少年犯罪に対する風刺を描いた作品なのだろうが、これは老人にも当てはまる。


社会的にも肉体的にも色々と不利な老人を我々は宗教洗脳上『保護』する形をとっている。が、凶暴老人たちはそれを勘違いし、恰も自分が王にでもなったかのように傲慢に振舞う。『作られた尊敬』の上に胡坐を書く虚構の王様。実にくだらない。


じゃあいいよ!俺が爺の手本になってやる!今アホみたいに勉強して働いて経験して、最高のお茶目エロ師匠になってやんよ!ハンモックでエロ本読みながら、時々人生を不器用に過ごしてる若い人に一言アドバイスするような老人に!


海外に来た理由は数が多すぎてもう思い出せないくらいなのだが、上記のような中二病みたいのも理由の一つだった。そんな風に老いること、それが僧都にとって最高の『老充』なのだ。



閑話休題



年金のシステムがおかしい、と僧都は思う。いや日本人誰しも思ってるんだろうけど。


働けない老人に国が金を支給する。その金は若い世代から搾取する。実に合理的だ。


だが実際には低賃金で残業休日出勤とこき使われる若い世代からさらに金を奪い、老人たちは暇と金を持て余してパチンコ屋に入り浸る。


若いうちはいろんなことに興味をもち、それにおけるバイタリティもあるのに金がないので何もできない。

老人たちは孤独で心も満たされないまま金だけがたまる。心の隙をついたオレオレ詐欺や高級羽毛布団屋や健康食品即売会に金を毟られる。


ラストダンジョンでゴールドマンや踊る宝石やミステリードールを大量に出されても困るのだ。もう金で買える強い装備はない。ならばなんであの時、イシスで『おおばさみ』を買うときにいっぱい出てくれなかったんだ。どう考えてもゲームバランスがおかしいだろ。


適材適所の反対というか、国が余計なことして金を移動させてどちらも満たされないという事実を作り上げている。


若い者は金がほしい。老人たちは心を満足させたい。



そこで僧都は





『国民年エロ』を提唱したい。



国の完全管理の元、衣食住を提供することで無駄な金を廃止して、その分老人たちにエロを提供するのだ。


たとえば月に一度市役所に行くと、窓口で


『スーパー銭湯番台回数券』


をもらえる。


他にも


『女子高健康診断胸囲計測回数券』


『女子高乳がん検診触診回数券』


『女子テニス部合宿での入浴時レジオネラ濃度計測回数券』


『女子剣道部更衣室清掃回数券』


『女子バレー部ユニフォーム洗濯回数券』




そういう露骨なのが嫌いな人のために


『図書委員長と深夜まで書架整理回数券』


『文化祭実行委員長と遅くまで綿密な打ち合わせ回数券』


『隣に住んでる幼馴染女子高生が毎朝起こしに来る回数券』


『花火大会に行ったときに、浴衣の女の子がはぐれないようにってラクダシャツの裾をちょんとつまむ回数券』


『おーい、のだめの3巻貸してくれっていきなり妹の部屋に入ったら、上半身だけパジャマ姿の妹がθみたいな形したものをパンツ越しに当ててる場面に遭遇して、バカ兄貴!変態!氏ね!って追い出されるんだけど、夜中にメールが来て、ごめん言い過ぎた・・・・あんまりびっくりしちゃって。いけないことしてるってのはわかってるんだけど、でも・・・・しちゃうの・・・わたし病気なのかな。ねぇ・・・・今からそっち行ってもいい?今日は昔みたいに一緒に・・・・・寝たいの・・・・。という展開になる回数券』


をもらえるというのはどうだろう。若い人も金を過剰に金を払わなくていいし、老人たちも満足だろう。


というかこれが成立するなら早く老人になりたいくらいだ。老後バラ色過ぎる。


老人たちも少しでも年エロを得ようと長生きしようとするに違いない。


「・・・・・わしはもう長くないようじゃ・・・今まで尽くしてくれてありがとう」


「何いってるんですか。早く良くなってくださいよ。人生これからじゃないですか。」


「わしの体のことはわしが一番良くわかっておる・・・・・」


「そんな・・・・・」


「あとのことはまかせたぞ・・・・・」


「でも来月の年エロは○KB48のプロデューサーになって48日間とっかえひっかえ枕営業権ですよ?」


「えええ!じゃあじゃあ、やまぐちりこは!?やまぐちりこはA○B48に含まれるの!?あのたれぱんだみたいなおっぱいを揉んでもいいの!?」


「もちろんです。妹のやまぐちりくも含まれます。」


「出会って2.5秒もやっていいの?いいの?」


「ええお好きなように。」


「やっべwwwww出会って2.5秒で勃つかなwwwww今から鍛えておかないと!がんばるぞー!」


「2.5秒で他界なさらないようにね」





さらに長寿大国になるね。やったね!

老充 その1

自宅、というかただのシェアハウスなのだが、そこがネット環境にないのでわざわざ近くのショッピングモールに出かける毎日。ネット依存症の僧都は休みともなれば朝からそこに出かけ、地下のフードコートで何も食べずに黙々とネットサーフィンをしている。


ホテルマンなので相変わらず土日休みはない。平日の朝九時ごろ、どの店もやっていない薄暗いフードコートは老人たちのたまり場になっている。


『あのファッキン・ジョネスのやろうが・・・』


『キラーズ(スーパーボールのチーム)のケツ穴どもが・・・・』


汚いスラングの汚い老人たちがわいわい盛り上がっている。


なんかいいな、と思った。


それを見ているとCOWBOY BEBOPのモブの汚い三老人(アントニオ・カルロス・ジョビン)を思い出す。やはり汚いなりで汚いスラングを連発する老人たちだった。モブのくせに存在感があり、汚なくてうるさいだけなのにどこか愛嬌がある。当時は洋画でしか『生活観のある老人』というものを見たことがなかったが、あーあるある、もとい、あーいそういそうwwという感想をもったものだ。


バンフは老人の多い町である。思えば知床もそうだった。観光で成り立つ街というのは世界共通なのかもしれない。だから街に老人があふれている。タトゥー入りの太い腕で洗車している爺、奥さんと手をつないで、たまにキスさえする老カップル、ナイトパブでジョニーBグッドを踊り狂う爺、結構列になっているのにレジと話しが盛り上がって中々離れようとしない婆。


この老人たちはリア充なのだろう。つまり『老充』だ。老人生活をエンジョイしまくっとる。


そして日本ではあまり見られない人々である。日本人は非老充な人が多い。


敬老の日、というのが日本にはある。そうすると2ちゃんあたりでこの日ばかり敬老するのか、敬老精神は普段から持つべきじゃないのか、という輩が現れる。


何で日本に敬老の日があるか。それは日本人の敬老意識が低いからなのではないか、と思わず邪推してしまう。低いからこそこういう日が形として残っていないと不安なのだ、と。


老人を敬うことに関して、日本人はある種強迫観念すら持っているように思える。車内が満車なのに優先席にいつまでも座れない若い日本人。もみじマークは老人に対して失礼だと強制変更させられる行政。世間ではとっくに隠居している年代なのにいつまでも力を誇示する者にいつまでも従う政治家。


我々日本人は敬老を道徳、マナーとして認識している。だからそれに反するとあいつは礼儀知らずだ、不心得者だ、反社会的だと罵られる。老人がどうこうではない、それをしないと自分が糾弾されるからしている。それだけだ。


道徳とは儒学からきている。以前少し話したが、儒学は深層心理レベルで日本人を洗脳しつくしている。宗教的洗脳である。


なぜこの信仰的洗脳が生まれたのか。


キリスト教にも回教にも仏教にも『敬老』を明言しているものはない。それはおそらく開祖が若くして宗教者となったからだろう。


高齢者を敬う精神が世間に浸透することで何らかの利益を得る者は誰か。


高齢者である。


こんなことを言ってしまうとものすごい批判されそうだが、高齢者を敬うことで発生する社会的利益というものは存在しない。敬老は非常に非合理的である。


人は高齢になったからといってすべてを達観できるわけではない。エゴもあるし欲もある。


そして死を目前に控えてから生まれる欲というのもある。それは存在を忘れ去られたくない、ということだ。肉体的消滅は絶対に避けられないが、それを『初めからなかったこと』にされることだけは耐え難い苦痛なのだ。


だから存在をしらしめたい。そのために大きな存在でありたい。


日本人は世界でも稀に見る欲深い民族である。


そして日本は世界でも有数の長寿国家だ。


敬老教の誕生にここまで適した国はないだろう。


この宗教のシステムは面白いことに、若いときに無理やり信者にさせられても、絶対にいつか誰もが教祖になるということだ。


教祖たちの信者獲得方法は極めて狡猾だ。さっきも言ったが洗脳レベルである。


桃太郎(※ヴェンピー的ではない方)の話をしろ、と言われたときに『赤ん坊が桃から生まれました』と話し始めるものはいないだろう。まずイメージとしておじいさん、おばあさん、が思い浮かぶ。


主人公は桃太郎で老人夫婦はサブキャラだ。犬猿雉とともにどういう道中があったかl、どういう戦い方をしたか知らなくとも、おじいさんが山へしばかりにいったこと、おばあさんが川で洗濯したこと、きび団子をこさえたこと、最終的に金持ちになったことはがっつり描写されている。


桃太郎の心理描写はDQの勇者ばりほとんど描かれていないのに、老夫婦は驚いたり『おじいさん桃好きなのよね』いちゃつき発言がでたりとやたら主人公を食う。じいさんの柴刈りなんか伏線回収されることなく放置される。一体何のために描写されたのか。


花咲じじいもかぐや姫もこぶとり爺もねずみ御殿も笠地蔵も鶴の恩返しも聞耳頭巾もなんだかんだで老人たちばっかり目立っている。浦島太郎なんか最後の最後で老人がすべて話を食ってしまう。こんな老人ばかり活躍する御伽話だらけの国なんてほかに聞いたことがない。


日本は昔から長寿国家であり、そして農業的生産力の乏しい国でもある。働けるものはみな畑に出ており、結果として老人と子供が家に取り残される。そこで老人たちによる浅ましくも狡猾な洗脳が行われたのではないか。・・・じゃからおじいちゃんを尊敬しなさいよ、と。


敬老は道徳として間違ってはいないし、促進されるべきであると思うが、誰かによって強制されるものでは決してないと思う。


敬老精神は勝手に身につくのが理想だ。


ここカナダは中国の儒教の影響下にはもちろんない。だが若い者は老人に対してそれなりに敬意を払っている。勝手に身についたのだろう。


そしてここが大事なのだが、同時にフレンドリーに老人たちと付き合っている。


日本敬老教の最大の弱点は、若い者たちが老人崇拝を強制されるように、老人たちもまた強制的に崇拝の対象に『ならなければならない』ところにある。


老人は高潔さや純粋たる善、そして尊大さを求められる。


日本でたとえば、何でもいいのだが、老人がてくてくローソンに行ってうまい棒とブラックサンダーを買って、店を出た直後にぼりぼり食い始めたら正直びっくりする。老眼鏡使ってラブプラスをしてたり、孫に『そういやそろそろなかやまきんにくん帰ってくるね。ブログ見て心配してたんじゃよ』『富樫が本気だしたら老人ホームに行く』『安価で隣の部屋で寝てる妹(79)の部屋に突撃する』とか言ったらどびっくりだ。


老人への最強最悪の呪文、それは


『イイトシシテ』


『トシカンガエロ』


である。


肉体・精神問わず日本での高齢者の死因第一位がこの二大魔法であろう。


老人に自由はない。尊敬対象という最大の枷をつけられたまま残りの人生を過ごさなければならない。もう恋一つ周囲の好奇の眼差し抜きで行えないのだ。


そこを行くとカナダの老人は実に自由気ままに思える。彼らも彼らで大変な部分もあるのだろうが、日本ほど孤独でもなければ暇を持て余してないようだ。


若いものたちに気軽におはよう、調子どう、ファッキンヘビースノー!と声をかけている。


誰も過大な敬意を払わないし、誰も疎かにしない。そいつらは長く生きてるだけのファッキンフレンズなのだ。


日本の歪んだ強制敬老精神は反動として老人の暴走を生み出した。


ニュースの見出しで


『凶暴化する老人たち』


というものがあった。


大人しかったころの老人と凶暴化の老人は同一ではないのだろうからこの見出しはおかしい。正確には凶暴であった者たちが老人化しただけなんだろうが、まぁそれはおいといて。


最近老害という言葉をヲタ業界でよく聞く。


とある老人がアニメの表現に対して規制を断行しようとしているからなのだそうだ。リアルで図書館戦争に突入しそうな勢いだ。


老人は元は作家。そして一族は業界の人間である。いわゆる勝ち組、そしてリア充の部類に入る。


僧都にはこの構図が、あるクラスでの一コマに思える。


リア充『オマエ何読んでんだ?』


ヲタ『やめろよ!返せよ!』


リア『なになに・・・・・俺の右手がシスターの肩に触れたその瞬間、彼女の服は霧散しその下から小さな二つ隆起が露になった?(大声)』


リア女達『なにそれwwwwwwキモーイwwwwww』


ヲタ『やめろよ!やめろよ!』


リア充『ふう、だからオマエ皆からキモイキモイ言われるんだぞ?こんなもん捨てて街でリアルな女ナンパしろよ。まぁオマエの顔じゃ難しいかもしれないけどなwwwww』


ヲタ『俺の勝手だろ!』


リア充『こんなもの読んでるより合コンとかスノボに行けよ。色々捗るぞ。とりあえずこれはぼっしゅーwwwww』


ヲタ『返せよ!』


リア『合コンにはオマエみたいの絶対誘わないけどなwwwwwwでもぜってーうまくいくってwwwww俺がうまくいってるからなwwwこれはオマエのために言ってるんだぞ。とにかく自分の人生楽しめwwww以上wwwww』


リア女達「リア充くんやさしーーーー抱いてーーーーーー!!」


ただの弱いものいじめじゃないか。


これがただのリア充じゃなく老人だから質が悪い。時代が移り変わったことに気づかず、自分ができたのだから周りも全員できるはずだ。俺は人生経験豊富だ。俺は間違っていない。


リア充の人生経験などたかが知れている。人生の楽しみの上澄み液を舐め続けたリア充より、沈殿する辛酸を舐めた喪男の方が絶対に人生経験豊富だと思う。


僧都の尊敬する先輩にこんな名言がある。


『仕事できないやつこそ将来いい先輩になる。何しろ仕事できない後輩の気持ちがわかるんだからな。』


そうなのだ。これを聞いたとき全身に電気の走るような衝撃を受けた。


僧都も器用な人間ではない。僧都にあるのはただアホみたいにできるまでただ繰り返し努力する不屈精神だけ。いつもそうやって仕事を覚えてきた。


だからわかる。月日が経ち先輩になったとき、なんでこの後輩がうまく立ち回れないのか。一体何がわからないのか。周囲から無能と罵られてどんなに悔しいか。手に取るようにわかる。


だからそのとき僧都が一番ほしかった言葉をかける。なぜ袋小路に陥ったか、脱出方法は、どうすれば無駄なく合理的か、そしてどうしてそれが合理的なのか納得するまで説明する。


そして言う。『仕事できないやつのほうがいい先輩なるんだぞ』と。


その点に関して僧都は、要領いいだけのリア充同僚よりも優れている自信がある。コミュ力抜群の同僚が親しくている先輩に小手先の技術を学び、大して納得もしてない状態で覚える。だからその技術の真意も知らずに上辺だけでそれをまた後輩に教える。要領のいいリア充後輩なら大丈夫だろうが、僧都みたいな不器用な後輩ならいつまでも理解することができない。


リア充は自分だけが充実しているのだ。そして周囲も当然のように充実していると錯覚し、その感覚を周りに押し付ける。


作家知事の件は、老害というよりはリア充害というほうが正確なように思える。




続く

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