1919年9月20日生まれ、東京都出身

 

慶応商工で1937(昭和12)年

春夏連続で甲子園大会に出場、

慶応義塾大学に入学するも

二度の召集を得て1946(昭和21)年にセネターズに入団。

一年目からエースとして30勝をあげて最多勝。

その上投球回数は440回、

43完投と大活躍した。

 

翌年、1947(昭和22)年は26勝25敗、 

防御率1.74で防御率1位のタイトルを獲得。

戦後の人材がいない頃とはいえ、

最多勝を獲得した投手が、

翌年最多敗戦を経験する凄さに

先発完投が当たり前の時代を感じる。

 

戦後のプロ野球は

セネターズの大下弘が放物線を放ち、

投手は白木義一郎が

復活したプロ野球のなかで

最初のスター選手のひとりとなった。

 

北海道日本ハムの前進である

セネターズは強くはなかったが、

個性的な球団として、

もっと語り続けないといけない気がする。

 

白木はセネターズに黒尾、

赤屋根投手とともに「三色投手」といわれ、

長身と特徴のある顎は

「ロング・ロング・アゴー」とあだ名された。

 

 

白木投手の特徴は相手を

おちょくるショーマンピッチングだ。

投手ゴロを打った打者が

あきらめて走らないと見るや、

捕手に投げ返し一塁へ送球させる

珍プレーで観客を沸かせた。

 

無四球試合リーグトップを3回、

1950年に74回無四球の記録を作った

コントロールの良さは彼の真骨頂だ。

最初の3年で1078回も

投げた影響もあったのか7年で球界を去り、

参議院議員になり政界で活躍した。

まさに記録より記憶に残る選手である。

 

2004年1月25日死去。

242試合 97勝98敗 

1725回 534奪三振 防御率2.83

最多勝、防御率一位 各1回

 

白木義一郎投手成績

 

白木義一郎打撃投手

 

 

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データ協力 日本プロ野球記録

データ協力 たばともクラシックSTATS鑑賞

 

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