伝説のシーズン30勝投手 シリーズ④は

中日ドラゴンズのエース、そして、日本で初めてフォークボールを投げた。と

言われている杉下茂投手です。

 

杉下茂投手は

1952(昭和27)年

61試合、25完投、6完封、32勝14敗 勝率.696、355.2回 、160奪三振、防御率2.33

1954(昭和29)年

63試合、27完投、7完封、32勝12敗  勝率.727、395.1回、273奪三振、防御率1.39

 

以上のように2回シーズン30勝投手を達成しています。

 

杉下茂は1925(大正14)年東京府(現 東京都)生まれ

明治大学専門部を卒業して、中日ドラゴンズに入団した。

学生時代に恩師天知俊一から「フォークボール」の存在を知る。

 

元々プロ野球の世界に入る気もなかったが、

天知が中日の監督になることによって、杉下も中日に入団した。

1949(昭和24)年にデビュー、翌年1950(昭和25)年に27勝15敗の成績で

一気に中日のエースに台頭。

そのシーズンオフに小西得郎を団長に川上哲治、藤村冨美男、小鶴誠とともに

サンフランシスコ・シールズのキャンプに参加。

当初、打撃投手のようにこき使われたことに憤慨し、

フォークボールを投げ、シールズの選手たちから三振を奪い、

オドール監督から評価され、そのままアメリカに残る寸前まで来た。

そのキャンプが自信になり、1950年から6年連続23勝以上の成績につながる。

 

 

1952年は巨人の別所投手が33勝したため、惜しくも最多勝は逃すものの、

1954(昭和29)年は杉下投手のプロ野球人生のハイライトとなった。

その年、中日は天知が監督に復帰、打倒巨人、優勝目指して

杉下投手と西沢道夫内野手を中心にシーズンを迎え、

杉下は鬼神のように投げぬいた。

結果、セ・パ分立後初の投手五冠王の成績で

巨人を抑え、初優勝の大きな原動力となった。

巨人の4番、川上哲治は「捕手が取れないボールが打てるかい」と言って

杉下のフォークボールにお手上げ状態だった。

 

日本シリーズでも初優勝の西鉄の

大下、中西、豊田を擁する強力打線に対しても完全に抑え、

中日ドラゴンズは日本シリーズでも優勝。杉下は6試合を投げMVPに輝いた。

 

杉下のフォークは「どこに行くかわからない」という変化球で

大きな手で、ボールを挟み、回転しないで落ちていく。

140キロは出ていた杉下のフォークはナックルボールのような

摩訶不思議な変化をしていたという。

 

引退後も巨人をはじめ多くの投手を育て、

日本球界に多大なる貢献をした。

 

 

数年前、杉下さんを取材する幸運に恵まれ、

様々な質問をしたが、90歳を超える年齢とは思えない

堂々とした話しぶりに感動したものだ。

 

 

沢村賞を3回(1951年、1952年、1954年)

 

最多勝2回(1951年、1954年)

1985年に野球殿堂入り

 

まだまだ、日本野球を語ってほしい偉大なる野球人だ。

 

杉下茂 投手通算成績

 

杉下茂通算打撃成績 

打者としても結構打っています!

 

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