10月6日は中日、ロッテ、大洋、太平洋で
活躍した強打者江藤慎一の生誕日です。
闘志あふれるプレーで、60年代ONに対抗できる打者として
人気のあった選手です。
野球雲3号で ひょんなことから
プライベートエピソードを聞くことができました。
3号からの転載です。
野球伝説劇場
「江藤慎一とロック歌手の絆」
野球映画の名作、「フィールド・オブ・ドリームス」の
大事なキーワードに「それを作れば、彼は来る」がある。
野球雲も「本を作れば、野球選手が来る」のような気持ちで作っている。
雲プロダクションの一員として、
先日「記憶より記録に残り男 長嶋茂雄」という雑誌の制作に携わり、
個人的に友人のSさんが「ご苦労さん&これからも頑張ろう」のような
感じで飲み会を開いてくれた。
小さな会社を経営している方々4名と、
有楽町のガード下でワイワイガヤガヤ話しているとき、
紅一点の経営者Tさんに「こんな本を作っているのでよろしく」と
野球雲を見せたところ、
「私、あまり野球は知らないけど、
亡くなったおじさんが野球選手だったんですよ」と言う、
Sさんも超パ・リーグマニアな野球ファン、
二人でいっせいに「誰、誰!」と声を荒げる。
Tさんは何気ない顔で
「江藤慎一っていう人なんですけど、知っています?」
思いがけないビッグ・ネームにSさんと目を白黒してしまいながら、
「江藤慎一って・・・、野球殿堂入りしているし、
首位打者3回とっているし、2000本安打しているし・・・」と
しどろもどろだ。
実は野球雲3号の用意をしながら編集長と
「野球伝説劇場の次の選手がいませんね。3号は休止ですかね」と
悩んでいたところに、出てきた名前だったので、
冒頭のフィールド・オブ・ドリームスの言葉が
その場でも頭に浮かんだのだった。
江藤慎一は1936(昭和11)年10月6日生まれ、
熊本県出身で、日鉄二瀬から1959(昭和34)年
中日ドラゴンズに入団。1年目より主力として活躍、
全試合出場を1年目から6年連続で出場、
中日に1969年まで在籍中に首位打者2度獲得し、
王貞治(巨人)の三冠王を阻止した。
その後、水原監督との確執からアンバランスなトレードで
1970年ロッテ・オリオンズに移籍、その翌年、首位打者を獲得。
史上初(NPBでは江藤と内川聖一の二人だけ)の
両リーグでの首位打者を獲得した。
1971年に江藤のハーフスイングの判定をきっかけに試合が紛糾、
35分間のロッテ側の抗議の末、
審判やNPB側の試合再開の要求に応じず没収試合となった
(2013年現在NPB最後の没収試合)。
この事件がその後の野球人生に影を落としていったように思われる。
その後、大洋ホエールズ、
太平洋クラブライオンズでの監督兼任選手、
1976年にロッテに移籍後、同年引退した。
通算成績は18年の現役生活で2084試合、
2057安打、367本塁打、1189打点、
通算打率は2割7分8厘を残した。
残念ながら2008年2月28日70歳で亡くなった。
まだ早い死だった。2010年野球殿堂入りした。
Tさんと江藤慎一さんとの関係は、
Tさんのお父さんの妹さんが江藤さんとご結婚され、
おじさんになったとのこと。
江藤さんはイメージそのままで豪快で話を盛ってしまう様な行動で、
誤解されやすいこともあったそうだ。
Tさんは、普段はあまり野球に興味がなかったので、
親戚の冠婚葬祭くらいしか、お会いしなかったらしい。
しかし、Tさんは一度だけ江藤さんに頼みごとをしたことがあった。
「私の友人が肝臓がんで闘病したのですが、
友人が大の中日ファンだったこともあり、
闘病中の友人を励まそうと思い、
江藤慎一にサインとメッセージを頼んだことがあります。
江藤慎一は快く承諾してくれ、
闘病中だった友人はとても喜んでくれました。」
「その友人は、名古屋出身のタレントで『池田貴族』といいます。
『remote(リモート)』というバンドのボーカルとしてデビューし、
解散後は心霊タレントとして活動していました。
癌の転移で3度の手術・闘病を経て、1999年12月25日に亡くなりました。
今頃は天国で野球談義に花を咲かせているかもしれませんね(笑)」
Tさんは日本がバンドブームのきっかけになったTBSテレビの「イカ天」に出演した「リモート」に衝撃を受け、そのボーカリストとして活躍した池田貴族に一目惚れ。
ファンクラブにも入会して応援していたが、だいぶ経ってから
池田貴族と偶然出会い、交流も増えて行ったそうだ。
出会いの連鎖がとても不思議な気がする。
筆者が江藤慎一を見たのは、大洋時代だった。
「この人が闘将江藤慎一か」とファン手帳を見て、
実績を調べたりしたのが最初だった。
太平洋クラブ時代に監督兼任選手になったことも、
当時は「かっこいいな~」と思い、
南海の野村監督と違い熱く熱くチームを
引っ張っているように思えたので、
1年で解任されたのもショックだった。
野球をもっと知るようになっても、
野球少年をそのまま大きくなったような、
笑顔が子供のように天真爛漫な表情に惹かれていただけに、
Tさんの出会いから、スーパースターの素顔が聞けたのは、
野球文化に対する思いを上げてくれた。
野球雲3号「野球伝説劇場」をもとに改編しました。
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