EAGLES(album) | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:P-10046Y(Asylum) 1975年(国内盤)

 

 

 新宿のタ〇ーレ〇ードで見つけたこのLPをもって、イーグルス(EAGLES)のオリジナルスタジオアルバムのアナログレコードによるコンプリートが実現しました(`ω´)

 

 といってもイエス(YES)ほどの作品数も無く、流通量の大きなイーグルスは比較的集めやすかったように思います。

 さらに時間をかければ、国内盤のみ、とか、逆に輸入盤だけで固めるとか、初年度盤のみ、といった縛りプレイ(?)も出来たかもしれません。それぐらいイーグルスのアルバムはあちこちで見かけます。

 

 

ジャケット裏。上辺に小さく収録曲、メンバーの集合写真。

表がカラー印刷のライナーには

解説と歌詞。訳詞はありません。

帯もあります。イーグルスのLPの帯はサイズやフォントにそれほど大きな差が無いような気がします。

 

 

 

 

 先に音質について書いておくと、音が全体的に暗めです。

 これは次作”DESPERADO”でも同様ですし、ディスコグラフィ的な背景をご存じの方ならお察しいただけるとおり、プロデュースのグリン・ジョンズの意向により本拠地ロスアンジェルス(以下LA)ではなくUK、ロンドンのオリンピックスタジオで大半が録音されています。

 デジタルリマスターされたCDはともかく、アナログレコードで聴くイーグルスのサウンドにシャープさと明るさが加わるのは、ひいき目に見ても”ONE OF THESE NIGHTS”、シビアな見方をすれば"THE LONG RUN”からではないでしょうか。

 

 それと、これまた次作と同じになってしまいますが、エレキギターの音がショボいのが何とも残念です。

 これはバンドの意図を理解しないグリン・ジョンズがイーグルスのことを勝手にバラードがウリのグループと決めつけたのが一因とする説もありますし、ロンドンのオリンピックスタジオの録音環境もあるのかもしれません。

 ですが、録音された時期がほぼ同時期の、そう後に正規メンバーとして加入するジョー・ウォルシュがジェイムズ・ギャング(JAMES GANG)で残した、キレまくりのヘヴィサウンドを聴くと、あぁイーグルスって制作陣に恵まれへんかったんやなぁとしみじみ感じてしまいます…

 

 

 

 

 

 リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まったメンバーが結成したという生い立ちで知られるイーグルスですが、それ以前の略歴と、アルバム制作時の年齢を以下に列記すると;

 

 グレン・フライは24歳。郷里のデトロイトから当時のガールフレンドを追いかけてLAに転居、ジャクソン・ブラウンやJ・D・サウザーと知己を得ます。サウザーとはロングブランチ・ペニーウィッスルを結成して1969年にレコードデビューしますがセールス的に失敗し解散、ロンシュタットに起用されるまでしばらく雌伏の時を過ごします。

 

 ドン・ヘンリーは25歳。地元テキサス州ギルマーで結成したシャイローのメンバーとともに飛躍を求めてLAに移りますが1970年にアルバムを一作リリースして解散、ヘンリーはそのままLAにとどまり、縁あってロンシュタットのバックバンドに参加します。

 

 ランディ・マイズナーは26歳。郷里ネブラスカからコロラドに移って音楽活動を開始し、プア―というバンドで名を挙げたのち1967年頃にLAに移住します。バッファロー・スプリングフィールドを解散させたリッチー・フューレイ、ジム・メッシーナとともにポコを結成しますがファーストアルバムのリリース前に脱退、1971年頃にロンシュタットのバンドに加入します。

 ちなみに彼の後任としてポコに加入したのが、マイズナーのイーグルス脱退後に同様に後任として加入するティモシー・B・シュミットでした。

 

 バーニー・リードン(レドン)は25歳。幼少期を過ごしたサンディエゴでクリス・ヒルマンと交友のあった彼は1967年頃にLAに進出、先輩格のミュージシャンが結成したグループへの参加を経てロンシュタットのバックに加わります。

 ただしこの時のメンバーは上記3名ではなかったとされています。その後ヒルマンの誘いでともにフライング・ブリトー・ブラザーズに加入、しばらく活動した後に再度ロンシュタットのバックバンドに参加、ここで上記3名と知り合ったのでした。

 

 

 ヘンリー、マイズナー、リードン、フライの4人のうち、新バンド結成で商業的な成功を狙うことを明確に意識していたのはフライだったとされています。LAで知り合った友人にして楽曲の共同制作者のジャクソン・ブラウンが先に契約を勝ち取っていたアサイラムに出向いていったのもフライです。

 

…もっとも、アサイラムの創始者デヴィッド・ゲフィンに対しては、ブラウンに不純な動機(^_^;)で近づいてきたものと勘違いし

このオ〇マ野郎が(#゚Д゚)

と言い放ったことがあるそうで…それでよくまぁ契約までこぎつけられたもんだと感心してしまいます。ま、ゲフィンが心の広ーいヒトだったのかもしれませんが(;^ω^)

 

 

 そのジャクソン・ブラウンとフライが共作した”Take It Easy”の軽快なコードストロークで始まるこのファーストアルバム、カントリーロックのフレイバーを、収録曲でいえば”Train Leaves Here This Morning””EarlyBirds””Peaceful Easy Feeling”あたりに感じることができます。リードンがクリス・ヒルマンと親しかったこと、さらにFBブラザーズ在籍時に出会ったグラム・パーソンズの影響下にあることを考えれば、リードンによるリードプレイがカントリーの色を濃く残しているのは当然といえます。

 

 一方で、A面2曲目に置かれた”Witchy Woman”、B面曲目の”Take The Devil”がたたえるダークでヘヴィな質感が、第3作”ON THE BORDER”でさらに明確に打ち出されることになります。

 マイズナーはともかく、ヘンリーとフライがこの後志向するのはバンドのヘヴィサウンド化であり、またこの二人の共作曲がバンドの看板となっていくにつれてリードンの立場は微妙なものになっていきます。それは後にリードンの旧友であるドン・フェルダーの加入、リードンの脱退、そしてジョー・ウォルシュの加入により決定的なものになります。

 

 

 

 

 イーグルスのファーストアルバムは、その後のディスコグラフィ的な変遷を知っているリスナーにとっては、明るく乾いたサウンドと、どこかに残るイノセンス、20代中~後半の若きロッカー達の夢と野望が混在する、どこか切なくなるアルバムです。

 一方でイーグルスのディスコグラフィやその後の歴史を詳しく知らない方、メンバー全員の名前すら分からないというリスナーにも、70年代のアメリカンなロックの佳作にして力作であることは十分に伝わると思います。

 

 1969年のウッドストックフェスティバルには間に合わなかったものの、ロックがまだひと握りの「分かっている」者達のアンセムだった時代の最後にデビューしたバンドとしてのイーグルスが、このアナログレコードの中にいます。

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