DESPERADO(album) | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:P-10047Y(ASYLUM) 1975年(国内盤/再発/プロモ盤)

 

 

 今まで後回しにしてきたイーグルス(THE EAGLES)のアルバムを、そろそろコンプしておこうかという気になり始めたのが今年の夏ごろでした。

 なぜか最後期、ライヴ盤を大阪府郊外のリサイクル店で見つけてしまったのがきっかけではありますが、新しい年代から揃っていくアルバムを聴いているうちに、もうそろそろかな、という気になるというか、変な焦りのようなものが(^_^;)そんなこと考える必要もないはずなんですが…

 

 

 このLPは先日足を運んだ神戸の元町高架下商店街の中古レコード/CD店で見つけました。国内盤ですが帯が無いので格安、まさにボクのためにあるような一枚でした(;^ω^)

 ただですね、帰宅して聴いてみるとホコリまみれだったらしくプチプチパチパチ。やれやれ、またも水洗浄を施さないと…

 

ジャケット裏にはメンバーが扮したギャング団が捕らえられた構図のカットが。これについては後ほど。

日本語ライナー。解説の日付は1975年7月となっており、その時点でイーグルスにはドン・フェルダーが参加していること、プロデューサーがビル・シムジクに交代していることが書かれています。

この時期の洋楽アルバムには珍しく見開きを使って歌詞と対訳を記載。そのかわり、といっては変ですが楽曲ごとのクレジットがどこにも見当たりません。

 

 

 

 

 このアルバム”DESPERADO"、西部開拓時代に実在したギャング団をモチーフにして制作されたコンセプトアルバムであるということはファンの方ならどこかで聞いたことがおありかもしれません。

 しかし、そのモデルとなったドールトン(ダルトン)兄弟のギャング団については、おそらくですがあまり知られていないのではないでしょうか。

 

 ボクも後になって調べてみたのですが、だいたい70年代頃までは映画化されたりしていて、少なくともUSAではそれなりに名の知れた存在ではあるようです。しかし、以降は日本でも西部劇というジャンルがあまり顧みられなくなったこともあり、いつしかなじみの薄いものになってしまいました。

 

 

 

 

 ではここで、先ほど出てきたジャケット裏のカットについて。

 射殺されたギャング団に扮しているのはイーグルスのメンバーですが、その中にジャクソン・ブラウン(向かって左端)とJ・D・サウザー(右端)が加わっているのはよく知られていますね。

 では、保安官に扮した他のメンバーは、というと、

向かって右から;

 

グリン・ジョンズ(このアルバムのプロデューサー) 白い帽子をかぶっています

ジョン・ハートマン(マネジャー)

トミー・ニクソン(ロードマネジャー)

ボイド・エドラー(画家)

ロードクルー 2人(ともに姓名不詳)

ゲイリー・バーデン(画家)

 

そのうちB・エドラーは後のイーグルス作品のジャケットでフィーチュアされる

このガイコツをデザインしたそうです。

 また、左端のG・バーデンはこのアルバム”DESPERADO”のジャケットデザインを担当しています。さらにT・ニクソンは後述しますが収録曲”Out Of Control”の作曲にクレジットされています。

 

 

 

 

 ダルトンギャングをモチーフにしたストーリーアルバムというのはどうやらグレン・フライ(ヴォーカル/ギター)が長年暖めてきたアイデアらしく、しかもそれを旧友たちに話して聞かせたり、またはアイデアを拝借したりしてきたのでしょう、オープニングナンバーの”Doolin-Dalton”の作曲にはフライ、ドン・ヘンリー(ドラム/ヴォーカル)の他にジャクソン・ブラウンとJ・D・サウザーが加わっています。

 他にも”Outlaw Man”では同じくアサイラム所属のデイヴィッド・ブルーが作曲を担当したり、さらにはジャケット裏のカットに登場しているロードマネジャーのトム・ニクソンの名が”Out Of Control”にクレジットされたりと、当時のロスアンジェルスに形成されていた音楽共同体『トルバドゥール・サーキット』の一端が垣間見えます。

 

 そんな西海岸の、カントリーのフレイバーたっぷりのこのアルバムですがレコーディングはなぜかロンドンで行われています。

 これはプロデューサーのグリン・ジョンズの意向だったそうですが、ジョンズとイーグルスのメンバーは反りが合わなかったことが後に明かされています。

 

 ある時など、

ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)みたいなドラムサウンドで録ってほしいんだ

と願い出たドン・ヘンリーに対しジョンズは

でも君は彼じゃないだろ(・3・)

と言い放ったとか。

 おそらくこういった意見の相違はたびたび起こったのでしょう、

(#^ω^)ナンヤネン

となったイーグルスとジョンズは次のアルバム”ON THE BORDER”の制作前に袂を分かちます。

 

 ちなみに、表題作にして現在も歌い継がれる美しい曲”Desperado”の録音の際には製作費をケチったジョンズが4、5テイクしか録らせてくれなかったそうです。こうなるとジョンズとヘンリーの個人間の闘争のような気がしないでもないようなウググ

 

 

 さらに今回LPで聴きかえして気づいたのですが、バンジョーやアコースティックギターの音がきれいに聴こえる反面、エレキギターがヘヴィに歪んだ音がかなりしょぼいのです。

 当時のロンドンのレコーディングスタジオで録音するギターサウンドの水準がこのレベルだったのかもしれませんが、同時期の他の西海岸のバンド、例えばドゥービー・ブラザーズが鳴らしていたギターサウンドと比べればはるかに見劣り、聴き劣りするシャリシャリでペロンペロンな音を聴くと、後のイーグルスがヘヴィロックを志向し、自分の音を持っているギタリストとしてドン・フェルダーそしてジョー・ウォルシュを参加させたのが理解できるような気がしてきます。

 

 それと、これはロンドン録音のせいとは言えないかも知れませんが、何となく音像が重く暗いような気がします。

 ダークなタッチの楽曲が集まった”ONE OF THESE NIGHTS”が音像そのものはシャープでクリアなのに対し、”DESPERADO”は音の無い箇所さえも重くよどんでいるように聴こえてしまいます。

 想像ですが、この音像をイーグルスのメンバーは良く思っていなかったのではないでしょうか。せっかくわざわざ大西洋を渡ってロンドンまで出向いたのに仕上がった音がこれかい(`Д´) という不満が後のプロデューサー交代のきっかけになったような気がします。

 

 

 ただ、この時点でのイーグルスは前年にアルバムデビューを果たしたばかりの新参者であり、全米ヒットチャートの上位に食い込むヒット曲もまだありませんでした。

 プロデューサーやレコード会社の介入にも甘んじなければならず、他バンドの前座でのプレイもこなさなければならなかった頃‐73年の時点ではジェスロ・タルの前座だったとか‐の、若く野望に満ちていたイーグルスの苦闘の軌跡だと思えば、妙に暗い音像やイマイチなギターサウンドにもちゃんと意味と価値が見出せるように思えてきます。

 

 それに、以降イーグルスの屋台骨となるフライ‐ヘンリーのソングライティングチーム、通称”Gods”‐冗談ではなく後にイーグルスの関係者のなかで実際にそう呼ばれたとか‐がその実力を認められるきっかけとなった記念すべき作品でもあります。イーグルス飛翔の兆しはこの第2作にもしっかりと刻まれている、と言ってもいいでしょう。

 

 

 

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