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霜はらふかれのゝあらしふきさやぎしろくのこれる有あけのかげ

 

源具顕(ともあき)

中院具顕詠百首和歌30

 

 

 

【現代語訳】

霜を吹き払う枯野の強風。

その嵐が吹き、

枯野に音を立てている。

そして空を見上げると、

地上の騒がしさをよそに

明け初めた空にうっすら白く残る

有明の月の姿だけが。

(訳:梶間和歌)

 
【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

嵐:激しい勢いで吹く風

 

さやぎ:(草木の葉などが)

 さやさやと音を立てる

 

のこれる有あけ:

 残っている有明の月、

 残った有明の月。

 残って、そこにあるという意味。

 「残った有明の月」と訳しても

 よいが、それは過去ではなく

 完了、存続としての意味を取る

 必要がある

 (この場合の現代語訳「残った」は

 完了形であり、過去形ではない)

 「り(る)」はもともと

 補助動詞「あり」が変化して

 助動詞化したもの

 (「残りあり」→「残れり」)

 「てあり」の変化して助動詞化した

 「たり」と同じ働きを持つ

 (「残りてあり」→「残りたり」)が、

 「り」は四段動詞とサ変動詞にしか

 接続しない。

 「たり」はラ変以外の

 すべての動詞、また

 「つ」以外の動詞型活用の

 助動詞に接続できる。

 

有あけのかげ:有明の月の姿。

 「有明(の月)」は

 夜が明けても空に残っている

 下弦の月、特に二十日余りの月。

 男女の後朝(きぬぎぬ)

 連想させるが、この歌では

 それを前提としなくてよい。

 「影」は姿、また光を

 意味することが多いが、

 ここでは姿の意。

 

 

 

三句「ふきさやぎ」は

なかなか見ない表現ですが、

少し気になります。

 

 

「吹く」の主語は

「風」「嵐」であるはずで、

 

「さやぐ」の主語は

「草木」「枯野」であるはず。

 

 

複合動詞として

「ふきさやぐ」は耳慣れない、

 

かといって

「吹き、さやぎ」と読むとすると

 

「枯野の嵐が吹き、

 (枯野の草が)さやぎ」

と、ねじれた主語を補って

読まねばなりません。

 

 

「主語の転換が

 自然とおこなわれている」

という場合は、それこそ

“自然に”おこなわれるもので、

 

このような、

外国人の日本語のような

奥歯にものの挟まった表現に

その評は当てはめられません。

 

 

京極派には、時々こういう

文法面に甘さのある歌が

見られます。

 

きゝきかずおなじひゞきもみだるなり嵐のうちの暁のかね

進子内親王 風雅和歌集雑中1622

の時にも

そのような事を述べましたね。

 

ほかの箇所の感性が鋭く

歌としてすばらしいだけに、

 

そういうちょっとした部分の

マイナス印象が

本来以上に際立って

見えてしまいます。

 

もったいない。

 

 

 

「しろくのこれる」の部分は

こちらが参考になります。

 

 

伊原昭氏によれば、和歌の世界――特に勅撰集の世界では、色彩に関する表現というものが非常に類型化して、

「白雪」「黒髪」「青柳」とは常にいうが、「雪が白い」「髪が黒い」「柳が青い」という事は非常に稀であり、「空が白む」「草が青む」に至ってはほとんど無い

色の名で形容される物も、たとえば白なら雪・露・浪・雲・菊・袖・髪などほんとうにきまりきった物に限られている。

その中で、玉葉風雅の二集だけがこの類型化から脱し、「雪が白い」「柳が青い」「空が白む」「草が青む」式の表現を目立って多用しており、

又形容される物も、白なら梅の花、桜の花、萩の葉、鷺、雨などの、ほとんど前例のない珍しい物象と共に、

雪との関連における曙光、桜との関連における曙光、薄暮の光というような複合的な天象がその対象となっている。

もとより和歌の世界で「雪が白い」「柳が青い」式の表現を安易に用いるのは素人や初心者のする事として戒められたであろう。

しかしそれを知りつつそこに突破口を求めて、感動の初心から再出発した所にこそ、「心を正確に詞にあらわす」京極派の成功の鍵があったのである。

91~92頁より。

 

 

 

ページ数は覚えていませんが、

こちらも同じく参考までに。

 

 

「“しろく”残れる有あけのかげ」

珍しい表現、挑戦的な表現

なのですよ。

 

勅撰集の

(すべてとは言いません)

代表的なところを

ある程度かじっただけでも、

その斬新さはわかります。

 

「しろくのこれる」

「垣根もしろく」

「影しらみぬる」

の斬新さが。

 

 

 

「ふりしける」を含む

「中院具顕詠百首和歌」は

弘安九年閏十二月の詠。

 

弘安九年は1286年ですが

閏十二月は1287年に当たります。

 

具顕の没年は弘安十年(1287年)

この百首歌を詠んで約1年で

亡くなりました。

 

享年が数えで28歳前後か

と岩佐美代子氏が推定しています。

 

 

この百首歌には、死の約1年前に

近い将来の自身の死を

思いながら詠んだ気配が

あります。

 

そのあたりは

「ふりしける」「をちこちの」あたりの

文章もご参照ください。

 

 

霜はらふかれのゝあらしふきさやぎしろくのこれる有あけのかげ

 

 

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