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ふりしける庭の落ち葉がうへにして霜にあとある村時雨かな

 

源具顕(ともあき)

中院具顕詠百首和歌10

 

 

 

【現代語訳】

降り敷いた庭の落ち葉、

その上にして、

いまは降っておらず

落ち葉に置いた霜に

その跡だけを残している

先ほどの村時雨だなあ。


(訳:梶間和歌)

 
【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

ふりしける:降り敷いた、

 降り敷いている。

 「り(る)」は

 完了、存続の助動詞で、

 元は「降り敷きあり」が

 「降り敷けり」と変化する形で

 助動詞化した。

 ここでは

 時雨ではなく落ち葉に係る。

 時雨は「降」るが、

 「降り敷」くことはない。

 

霜にあとある村時雨:

 落ち葉に置いた霜に

 降った跡だけを残している

 いまは降っていない村時雨。

 「時雨」は晩秋、初冬に

 降ったり止んだりする冷たい雨、

 「村時雨」はひとしきり降って

 通り過ぎてゆく時雨。

 

 

 

源具顕は

伏見天皇の東宮時代の近臣。

 

東宮の践祚、即位と相前後して

20代後半で亡くなりました。

 

伏見院が信頼し「友」と呼んだ

歳の近い存在だったようです。

 

 

 

京極派にとっては

揺籃期と呼ぶべき時期に、

 

のちの『風雅集』の歌風を

思わせる出来の歌も

具顕は詠んでいます。

 

 

揺籃期といえば未熟

と相場が決まっているのに。

 

実際、

のちに京極派歌人と呼ばれる

歌人たちの、

「ふりしける」と同時期の歌は、

 

「おお……これ、京極派? 」

「さ、最初は

 誰でもそんなものよね」

という感じです。

 

 

 

和歌も、ある特定の歌風も、

もちろんひとりの人間も、

 

前の時代(人の場合は前の時期)

踏まえて、乗り越えることで

少しずつ成長してゆくもの。

 

 

その原則を飛び越え

 

『風雅集』時代の何十年も前に

のちの『風雅集』を

思わせる出来の歌を詠んだ

歌人がいた

 

とは、奇跡的ですね。

 

 

自身の死を近く感じ

生を見つめる姿勢が、

「京極派和歌」数十年分の時間の

短縮を、彼の短い人生に

実現させたのでしょう。

 

 

 

表現の自由は保証されるけれども、
「心」そのものは各人の持ちまえが
そのまま出てしまうわけである。

歌境を深めるためには
技法で糊塗するわけには行かず、
自らの心を深めるほかに
進歩の方法はない
のである。

心を深めるという事は、
順境の時には難しい。
偶ま具顕は命をかけた悲しみの中で
これをつかみとったわけであるが

そのような機会が誰にもおとずれる
というものではない。

大多数の前期京極派歌人にとっては、
伏見院ほど甚だしくは
なかったにせよ、
やはりこの正安の政変が
特記すべき失意の体験であり、
彼等に共通のこの逆境の中で、
彼等はそれぞれにその「心」を深め、
自然を見る眼を深め、
その歌境を深化させえたのでは
なかろうか。

 

こういうことですね。

 

 

 

“良い歌を詠むために

 不幸が必要である”

わけではない

 

が、現実問題、多くの人間には

 

不幸を経験しないと

良い歌を詠むに必要な

心の筋肉が発達させられない、

 

という弱さがある。

 

 

現代において和歌ないし短歌、

その他創作をおこなう我々が

真剣に考えねばならない

ことです。

 

わざわざ不幸を伴わずに、

不幸を経て心を研ぎ澄ましたのと

同じ程度に研ぎ澄ました心を

持ち、保つ、

 

ということを私たちは

志向せねばならない。

 

 

 

別に、不幸に飛び込むことで

芸術的成功をつかもうとしても

よいわけですが、

 

できれば幸福と芸術的成功の

両方を手に入れたいのが

芸術家としての人情でしょう。

 

 

それに、不幸を経験すれば

問答無用に心が鍛えられ

問答無用に良い作品が生める

というわけでもありません

 

不幸を経験し、それをきっかけに

心を研ぎ澄ますという努力を

怠らなかったその先にだけ

不幸と芸術的成功の両立が

あるのですから。

 


こちらもご参考までに。

 

 

 

「ふりしける」の詠まれた時期は

弘安九年閏12月。

 

弘安九年は1286年ですが

閏12月は1287年に当たります。

 

具顕の没年は弘安十年(1287年)

 

ですので「ふりしける」を含む

「中院具顕題詠百首和歌」は

彼の死の約1年前に

詠まれたもの。

 

自らの死を思う歌も含む

百首歌でした。

 

 

具顕については

こちらの投稿もご参考までに。

 

 

 

ふりしける庭の落ち葉がうへにして霜にあとある村時雨かな

 

 

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