富士の御山は高き山なり。低き思いは、死をも招かん。 | 2019R01のブログ

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神への願掛(がんか)け、祈願成就(きがんじょうじゅ)は、神への帰依とは異なるものなり。


登るからとて、尊からず。

 

詣(まい)るからとて、利益(りやく)はあらず。
 

神のご加護を求むる者は、多くは己の邪心邪欲を、神のお山に持ち込む者なれ、ときには厳しき禊ぎに会わん。


なればこそ、登る前にはよくよく浄めて、十二分にも浄まりし後、神への感謝と謙虚さもちて、少しの暗さも、後ろめたさも、己の胸より、祓いて入れよ。


神の山なり。

 

神聖なれば、神へのご無礼なきように、心し、気配り、敬虔(けいけん)なれよ。


神と最も近付く場なれば、登りし後には、祈り捧げよ。

天上世界に届けんように、己の精魂、全てをこめよ。


神との交流、交信得し後、一度生まれし縁なるを、神に感謝し、その後も祈れよ。


富士の霊気は清浄なれば、この世の他のどこよりも、高く尊き霊気を宿し、神も降りられ、この世を浄めん。


なれば人も神と交信、交流ご縁を得し者も、これからご縁を頂く者も、富士の霊峰、登るがよからん。


人間心の小さき願い、低き望みは、富士にはそぐわぬ。


邪欲を離れ、我欲を捨てて、ただひたすらの精進昇華、それのみ求めて登る者こそ、神もご縁を結ばんとさる。


富士の御山は高き山なり。

 

低き思いは、死をも招かん。
 

浅き考え、軽き願望、低き思いは、かえりて危険。

 

それのみ戒め、諌めて登れよ。
 

神の願いは人類全てが、神の子たちが戻り来ること。
 

なれば富士とて、同じ思いよ。

 

神の世界に近付くなれば、神の心に、始めに戻れよ。


神の思いを、願いを頂き、神への感謝と奉仕の心。


富士にも多くの神々おられ、人を見守り、導く神あり。

 

人を恨みて、邪魔する神あり。
 

なれば人は心して、聖なる山に近付く前の、心と体の汚れを禊ぎ、清き魂(たま)にて、入るを願えよ。
 

神とて人は愛しき我が子。

 

子の帰り来るときを待ち、我が子の顔も見たき思いよ。
 

なれば人は、親の心を慮(おもんばか)りて、親の嘆きを深めぬように、よく戒めて、高めて入れよ。
 

富士の山こそ、日本の象徴。

 

日本の神世の、名残なり。
 

なればこの後、富士に対して、さらに信仰、思いを深めよ。
 

なればこそ、「いろは」の書にも、「ひふみ」にも、富士は輝き、光を放たん。
 

富士こそ日本の始めなり。

 

富士は不二にて、世界に一つ。

 

神への入り口、天とのつながり。

かつて煙もたなびきて、聖なる灰をも降らせしものを。
 

今は力も衰えて、この世も終わりを迎えんとする。
 

富士の力の果てぬるときこそ、次なる世界の始めと思えよ。

さにて本日 富士のこと、聖なる山の意味を伝えき。
 

もし折りあらば、富士に詣れよ。

 

富士こそ多くの神々様が、鎮座し、守る霊山なれば。
 

そのとき浄めて、慎みゆけよ。

 

ゆめにも軽き思いは持つなよ。
 

それのみ心し、忘るなかれよ。

 

さにて。

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
http://www4.tokai.or.jp/kmh/index.html