神への願掛(がんか)け、祈願成就(きがんじょうじゅ)は、神への帰依とは異なるものなり。
登るからとて、尊からず。
詣(まい)るからとて、利益(りやく)はあらず。
神のご加護を求むる者は、多くは己の邪心邪欲を、神のお山に持ち込む者なれ、ときには厳しき禊ぎに会わん。
なればこそ、登る前にはよくよく浄めて、十二分にも浄まりし後、神への感謝と謙虚さもちて、少しの暗さも、後ろめたさも、己の胸より、祓いて入れよ。
神の山なり。
神聖なれば、神へのご無礼なきように、心し、気配り、敬虔(けいけん)なれよ。
神と最も近付く場なれば、登りし後には、祈り捧げよ。
天上世界に届けんように、己の精魂、全てをこめよ。
神との交流、交信得し後、一度生まれし縁なるを、神に感謝し、その後も祈れよ。
富士の霊気は清浄なれば、この世の他のどこよりも、高く尊き霊気を宿し、神も降りられ、この世を浄めん。
なれば人も神と交信、交流ご縁を得し者も、これからご縁を頂く者も、富士の霊峰、登るがよからん。
人間心の小さき願い、低き望みは、富士にはそぐわぬ。
邪欲を離れ、我欲を捨てて、ただひたすらの精進昇華、それのみ求めて登る者こそ、神もご縁を結ばんとさる。
富士の御山は高き山なり。
低き思いは、死をも招かん。
浅き考え、軽き願望、低き思いは、かえりて危険。
それのみ戒め、諌めて登れよ。
神の願いは人類全てが、神の子たちが戻り来ること。
なれば富士とて、同じ思いよ。
神の世界に近付くなれば、神の心に、始めに戻れよ。
神の思いを、願いを頂き、神への感謝と奉仕の心。
富士にも多くの神々おられ、人を見守り、導く神あり。
人を恨みて、邪魔する神あり。
なれば人は心して、聖なる山に近付く前の、心と体の汚れを禊ぎ、清き魂(たま)にて、入るを願えよ。
神とて人は愛しき我が子。
子の帰り来るときを待ち、我が子の顔も見たき思いよ。
なれば人は、親の心を慮(おもんばか)りて、親の嘆きを深めぬように、よく戒めて、高めて入れよ。
富士の山こそ、日本の象徴。
日本の神世の、名残なり。
なればこの後、富士に対して、さらに信仰、思いを深めよ。
なればこそ、「いろは」の書にも、「ひふみ」にも、富士は輝き、光を放たん。
富士こそ日本の始めなり。
富士は不二にて、世界に一つ。
神への入り口、天とのつながり。
かつて煙もたなびきて、聖なる灰をも降らせしものを。
今は力も衰えて、この世も終わりを迎えんとする。
富士の力の果てぬるときこそ、次なる世界の始めと思えよ。
さにて本日 富士のこと、聖なる山の意味を伝えき。
もし折りあらば、富士に詣れよ。
富士こそ多くの神々様が、鎮座し、守る霊山なれば。
そのとき浄めて、慎みゆけよ。
ゆめにも軽き思いは持つなよ。
それのみ心し、忘るなかれよ。
さにて。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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