神は永遠の時の流れの中で、一瞬たりとも人から心を離されはしない。
人が自ら離れしときも 神は人のそばにあらせられる。
人は人の我と迷妄により、神を見失うが、神の光に気付き、神の み力を信じる気持ちを取り戻すならば、神はすぐにも人の元に戻って来られる。
神に心を開け、神のおはする場所を設けよ。心の中に、心の中の宇宙の中心、そこに神は おはする。
神のおはした宇宙の中心、それが神のおはする場所であり、そこは常に浄められておらねばならぬ。
欲や我で汚(けが)されし心の中の宇宙の中心を光で浄めよ。光で高めよ。そして神の戻られる場所を立て直せよ。
大立て替え、大立て直し、その時の来る前に、人は一人一人、その心に神の復活を念じよ。
魂を浄め磨け。浄め高められし魂の中に、神のおはすための場所を設けよ。
既に時は近づきつつあり、今はその最後の時なり。
文明が栄え、文明と逆に、人は汚(けが)れ腐れて、今の世を迎えた。その声を謙虚に受け止めよ。
神の声を、心を正し聞く者は、やがて神の存在を身近に感じ、神のお役に立つ心をめざめさせ得る。
人は人の心のままで行を進めても、いつか行き詰まるときがくる。
人の心のまま行を進めるうち、やがて人は我と妄執のとりことなる。
それは既に行ではなく、単なる利害のため、自己愛にとりつかれた汚れし行いにすぎぬ。
人はその繰り返しで人生を歩む。
しかし、いつかは立ち返り、神の心に立ち返り、神の み役を務めるように定められている。
定めしことを行わずば、魂は救われぬ。人は救われぬ。人は闇に落ちてゆく。
もはや残りし時はわずかなり。わずかの時を無駄にするなかれ。
人として行を積みしこれまでの日を、神に感謝し、次なる行を与えたもうことを祈れ。
そなたの生まれし意味を問うてみよ。
神の御心にかなう人の道を問うてみよ。
神の御心に添う生き方を神に求めてみよ。
神はお教えくださろう。
そなたの み役、霊行は今始まろうとしている。
そなたが神を求め、神に祈り、神に救いを乞うたとき、そなたの心に神の居場所が設けられた、そう思え。
神もまた喜びてそなたのそばに、そなたの心の中に戻られ、そなたと共にこの世の行を行われる。
人は人の心の中に、目に見えぬ光の魂を与えられている。
それは主魂(しゅこん)とも呼ばれる。それが曇り、光を失うとき、人は神の道から外れ、自らの迷いに苦しむのだ。
神の光で道を照らせよ。
神の力で道を歩めよ。
神は救わん。自ら神を求める魂を。
神は照らさん。神の光を探す魂を。
神はみ力をもて、人の行を行わせ、そして共に行じておられる。
そなた一人の行ではない。
神が、神々が、そなたの守護霊たちが、共にそなたの行の進むのを助け導こうとしている。
そなた一人の行ではない。
それは、神や神々、守護霊たちの救い、導きをもって始めて可能となる行なり。
神の前に道なく、神の後(あと)に道なし。
神が道である。神の示される先が道となる。
その示されし道を人が歩み進むとき、人は神に近づく道を歩む。
決して自ら道を作り、道を進んではならぬ。神の示されし道を進め。
心素直に、心清く、心明らかに、道を問え。
神は示されよう、そなたの進む道を。
神はそなたの進む道を示される。
心の中に清い魂が備わりし者は、神の声に耳を傾け、神の教えに素直に従うことができよう。
心の中に強い我があり、心ふさぐ者は神の声を聞くことはできない。
人一人でできることは、神の力を必要としない。それは霊行ではない。
人の行は、人の役には立つが、神の役は果たせぬ。
人は人のために生まれ、生き、死ぬが、それでは魂は昇華(しょうげ)せぬ。
人が人の道を、神の示されし道を歩むとき、人の行は霊行となり、人を救い、自らを救い、そして神のお役に立つことができる。
人は忘れることなく、神を求めよ。神に祈り、神を求めよ。
辛きことあるは、己の心が至らぬから。 苦しきこと多きは、己の心に 神の み心に添わぬものが多いとき。
すべからく神に従え。
すべからく神に求めよ。
神への思いを高めよ。
そなたは既に神の声を聞く者なり。
神はそなたにこれからも教えられよう。
神と共にこの世を歩め。人間心(にんげんごころ)で行動するなかれ。神の御心に適う人たれ。
明日もノートを開き、ペンを持て。
明日もそなたに神の道を、神の行を、そなたのすべき人の行と神の行を伝えん。
~神から人へ〈上〉 :今日の話題社: 新版 (2003/09)ひふみ ともこ より~
http://www4.tokai.or.jp/kmh/index.html